木のしたで
お読みいただき、ありがとうございます。
今回も、クルナの物語が続きます。
よろしくお願いいたします。
メルが見つかったと聞いたとき、クルナは玄関へ走った。
「どこにいるの?」
父は一人で帰ってきていた。後ろにメルの姿はなかった。
「メルの家に……」
「じゃあ、行ってくる」
「クルナ」
横を通り抜けようとしたところで、肩をつかまれた。
「話を聞いてくれ」
父はクルナの前に膝をついた。
『朝から捜しに行ったのに、今日はもう帰ってきたんだ』
その先を考える前に、父が口を開いた。
「メルちゃんは、亡くなっていた」
「……え?」
「川で足を滑らせたんだろうって。流れの速いところに入ってしまったんじゃないかと……」
「でも、見つかったんでしょ?」
父の手に力がこもった。
「見つかったんなら、会えるよね?」
「……会える。ただ――」
「私、謝らないと」
父はそれ以上、何も言わなかった。
*
メルの家には、何人もの大人が集まっていた。
開いた戸から入っても、誰もいつものようには挨拶をしなかった。小さな声で話していた人たちが、クルナを見ると脇へ寄った。
寝台に、メルが寝ていた。
緑の髪はきれいにとかされ、胸の上で両手が重ねられている。
『あの日も、この手を窓のところに置いてた』
クルナが拾ったイヤリングは、枕元に置かれていた。
「メル」
寝台のそばまで行って、呼んだ。
返事はなかった。
『眠ってるだけなら、起こせばいい。いつもメルがするみたいに、返事をするまで呼べば……』
「……来たよ」
そばに座っていたメルの母親が、口元を押さえた。
クルナは布から出ていた指先に触れた。
冷たかった。
「この前は、ごめん」
言ってから、待った。
『いいよって、言ってよ。じゃあ今日は遊ぼうって……』
「……怖かったの、私」
「メルは、誰とでも楽しそうに話せるでしょ。私、何を話せばいいか分かんないし、みんなみたいに遊べないし……」
メルの顔は変わらなかった。
「一緒に行って、つまんない子だなって思われたら、もう誘ってくれなくなる気がして」
『あんなに断ったのに。次も来てくれるって、思ってた』
「だからって、あんな言い方……」
クルナは唇を噛んだ。
「ほんとは、来てくれるの、うれしかった」
「ちゃんと聞くから。魚の話も……だから……」
後ろから母に抱き寄せられた。
クルナはその腕を振りほどこうとしたが、うまく力が入らなかった。
「まだ話してるの」
「うん」
「お母さん、私、まだ……」
「うん」
母の袖を握ったまま、クルナはメルを見ていた。
*
メルを見送った後も、朝になると窓の外を見た。
誰もいないことを確かめてから、本を開く。
少し読んでは、外の足音に顔を上げる。
そんな日が続いた。
村では、子供だけで川へ行ってはいけないと言われるようになった。大人たちが川の危ない場所について話す声を、クルナは何度も聞いた。
ある日の昼過ぎ、窓辺に座っていると、風が本の頁をめくった。
猫の姿をした魔法使いが、大きな木の根元で雨宿りをしている挿絵が現れた。
クルナは、その頁を押さえた。
――これ、あの木みたいじゃない?
いつだったか、隣から本をのぞき込んだメルが言っていた。
村外れに、根元が大きく空洞になった木がある。
幼い頃、二人で入り込んで遊んだ場所だった。木の実やきれいな石を持ち込み、メルが勝手に「秘密基地」と名づけた。
『最後に行ったの、いつだったかな』
クルナは本を閉じた。
*
母に行き先を告げると、暗くなる前に戻るよう、何度も念を押された。
村外れへ向かう道には、覚えているものと、覚えていないものがあった。昔はまたいで越えた倒木が崩れていたり、何もなかったところに低い柵ができていたりした。
大きな木は、そのままだった。
クルナは根元にしゃがみ込んだ。
前は簡単に入れたはずなのに、今は頭を下げても肩がつかえる。身体を横にして、どうにか潜り込んだ。
土と、湿った木の匂いがした。
奥には平たい石が並んでいた。二人で食卓のつもりにしていたものだ。その脇に置かれた木箱にも見覚えがあった。
ただ、蓋を包んでいる布は新しかった。
クルナは箱を引き寄せた。
中には、欠けた白い石、木の実の殻、それから小さな本が入っていた。
表紙の隅に、メルの名前が書いてあった。
「……まだ来てたんだ」
本を開いた。
最初の頁には、大きさの揃わない文字が並んでいた。
〈今日から日記を書く。
クルナはいつも本を読んでる。難しい字もすらすら読めて、すごい。
わたしも毎日書いたら、もっと字が分かるようになるかな。
同じ本を読んで、面白かったところを一緒に話したい。〉
『そんなこと、一度も言わなかったのに』
次の頁には、短い文と絵が並んでいた。
母親の手伝いをして皿を割ったこと。畑で変な形の野菜を見つけたこと。分からなかったらしい字の代わりに、小さな絵が描いてある。
頁をめくるにつれて、絵は少なくなり、文章が長くなっていった。
〈今日はクルナの本に出てくる字が読めた。
でも、読んでる途中だったから、じゃましないで帰った。
もう少し読めるようになったら、隣で一緒に読ませてもらおう。〉
『言ってくれたら、教えたのに』
自分の名前を見つけるたびに、クルナの指は止まった。
『私が断った後、ここに来てたのかな』
何枚かめくると、シワになっている頁があった。
そこだけ、何度も書いては消した跡が残っていた。
〈十七歳になったら、わたしを神様にあげるんだって。〉
クルナは読み直した。
〈お父さんは御迎え子に選ばれるのは、名誉なことだって言っていた。
でも、死んじゃうんでしょうって聞いたら、お母さんは神様のおそばに行くんだよって。
そうじゃなくて、死ぬのか聞いたのに。
二人とも私が死ぬのが嫌じゃないんだ。悲しかった…〉
木の外で、葉が擦れ合った。
クルナは次の行へ目を移した。
〈でも、あと五年もあるから、怖がらなくていいって。
五年たったら、怖くなくなるのかな。
わたしは今も怖い。〉
『御迎え子……?』
その言葉を、クルナは何度も目でなぞった。
『昔祖母と散歩しているとき聞いたこと、あったっけ。神様へのお供えってこと? でも、メルを?』
頁の端をつかむ手が滑った。
〈クルナに話そうと思った。
あの子は本をいっぱい読んでるから、何か知ってるかもしれない。
知らなくてもいいから、聞いてほしい。〉
次の頁にも、クルナの名前があった。
〈今日も誘ったけど、来なかった。
窓のところじゃ話せない。
ここなら、誰にも聞かれないのに。〉
クルナは顔を上げた。
二人で座れば、いっぱいになる木の中。
隣の空いた場所に、手をついた。
『ここで、話そうとしてたんだ』
〈また本を読んでた。
ちょっとくらい、こっちを見てくれたっていいのに。
でも、何から話せばいいんだろう。〉
その先にも、短い記録が続いていた。
よく眠れなかった日。いつもどおり遊べた日。怖い夢を見て、母親に話そうとしてやめた日。
最後まで読んでも、クルナに相談できたとは書かれていなかった。
――川。一緒に行かない?
『あの日も、笑ってたのに』
クルナは最後の頁から、もう一度前へ戻った。
『怖がってるなんて、思わなかった。毎日遊んで、誰とでも話して、悩みなんかないんだって……』
「……言ってくれれば」
口にした途端、あの日の自分の声が重なった。
――見て分からない? 私、本を読んでるの。
『言えるわけ、ないよね』
大人たちは、足を滑らせたのだろうと言っていた。
『本当に、そうだったの?』
クルナは、〈御迎え子〉について書かれた頁へ戻った。
『五年後には死ななきゃいけない。怖くても、名誉なことだって言われて。話を聞いてほしかった私にも、帰れって言われて……』
『それで、もう何もかも嫌になっちゃったの?』
「私が……」
日記には、そんなことは書かれていなかった。
それでも一度浮かんだ考えは、何度読み返しても消えなかった。
『あの日、本を閉じていれば』
『一緒に外へ出ていれば』
『ここで、話を聞いていれば』
「私が、聞かなかったから……」
木の中は、クルナ一人なら少し広かった。
帳面を胸に押し当て、隣の空いた場所へ身をかがめた。
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