平和な1日
今回から、最初の一人、クルナ・カシュンの物語が始まります。
本を読むのが好きで、人の輪に入るのが苦手な少女。 まずは、彼女が暮らしていた村での一日から。
クルナはいつも一人だった。
迫害を受けていたわけでも、同世代の子供が周りにいなかったわけでもない。
村の人々は会えば声をかけてくれたし、幼なじみもいた。しかし、彼女は自分から誰かの輪に入ろうとはしなかった。
その日も、クルナは窓辺で本を読んでいた。
どうも、祖母の代から代々受け継がれている本で
何度も開いたせいで、頁の端は丸く擦り切れている。
猫に変身する力を持った魔法使いの女の子が、悪い魔女と戦う物語。どこで何が起こるかも、最後にどうなるかも、もう知っていた。それでも読み始めると、好きな場面まで、あと少しだけと読み進めてしまう。
「クルナ、川に行こうよ」
聞き慣れた声だった。クルナは顔を上げず、次の頁に指をかけた。
「ねえ、クルナってば」
返事をするまで帰らないつもりらしい。
「……何?」
顔を上げると、緑の髪をしたエルフの少女が、窓枠に両肘をついていた。髪の間から長い耳がのぞいている。外の日差しが眩しくて、クルナは目を細めた。
「川。一緒に行かない?」
彼女は幼なじみのメルいつもこうして話しかけてくる。本を読んでいようと、お構いなしだ。
『なんで私が、あんたなんかと行かなきゃいけないの。』
そう思ったクルナは一度、本に目を戻した。あと数行で、好きな場面が始まるところだった。けれど、窓の向こうの少女は返事を待っている。
読みかけの頁に指を挟み、本を閉じた。
「……行かない」
「なんで?」
「見て分からない?私、本を読んでるの。」
「ふーん。でも、それ、いつものやつじゃん。それよりさ!さっき川で、大きい魚を見つけたの。こっちじゃ、あんまり見かけないやつ!」
「だから?」
「一緒に捕まえに行こうよ」
『そんな誘い行くわけない....』
クルナがそう思うのも当然だ、クルナが外に出るのは、週に一度、母親と川へ水を汲みに行くときくらいだった。小柄な身体で、水の入った桶を家まで運ぶ。それだけでも、帰り着く頃には腕が痛くなるのだ。
そのうえ、川で魚を追い回すなんて。
「捕まえてどうするの」
「食べる!」
「興味ないし、もう行って」
クルナは本を開き直した。
「……分かったよ」
メルは唇を尖らせ、窓枠から手を離した。
「みんな、行こ」
その声に、木の陰から数人の子供たちが顔を出した。
「クルナは?」
「来ないって」
メルは短く答えると、子供たちと川のほうへ駆けていった。遠ざかる足音に、魚がどうとか、網がどうとかいう声が混じっていた。
「はぁ……」
クルナは開いた本を机に置き、天井を見上げた。
『メルは、なんでいつも私に話しかけてくるんだろう。』
ずっと疑問だった。何度断っても、次の日にはまた窓の外にいる。今日だって、ほかに遊ぶ相手はいた。それなら最初から、その子たちだけと行けばいいのに。
外から、メルの笑い声がかすかに聞こえた。
少なくとも、クルナには、断られてまで誰かを誘いに行く気持ちは分からなかった。
そんなことを考えているうちに、あくびが漏れた。 机の上の本に目を戻したが、同じ行を二度読んでも、内容が頭に入ってこない。
窓から入る風が、頬を撫でた。クルナは椅子の背にもたれ、少しだけ目を閉じた。
*
何時間経っただろうか、さっきまで明るかった外はもう暗い、母親の甲高い声が遠くから呼びかけているのが聞こえる
「クルナ、ご飯できてるわよー! 早く起きなさーい!」
母親の声はよく通る。寝ていても、家のどこにいても、お構いなしに耳へ届く。
「……起きてる」
返事はかすれて、自分にしか聞こえなかった。
クルナは目をこすり、身体を起こした。首の後ろが痛い。横を向いて眠っていたらしく、伸ばそうとすると、ますます痛んだ。
「クルナー?」
「今行く!」
返事をし直ぐに台所へ向かった。
食卓には父と祖母が座っていた。母は鍋からスープをよそいながら、入ってきたクルナを見た。
「また本を読んだまま寝てたの?」
「……うん」
「首、痛くなるわよ」
「もう痛い」
父が小さく笑った。クルナは首の後ろをさすりながら、空いている椅子に座った。目の前に置かれた器から、温かな湯気が上がっていた。
「そういえば、今日メルちゃんたち、来てただろ?」
そう切り出したのは父だった。村で畑を耕している父の手は、洗っても爪の間に土が残っている。その手でパンをちぎりながら、クルナの返事を待っていた。
「来たけど」
「川に行かなかったのか?」
「うん。本、読んでたから」
「そっか。畑の横を通っていったから、お前も一緒かと思ったんだけどな」
父はちぎったパンを口に運んだ。
「そんなわけないでしょ! 私は行かないって、いつも言ってるじゃん」
父の手が、パンを持ったまま止まった。
「そう怒るなよ。聞いただけだろ」
「別に怒ってない」
クルナはスープをすくった。口に入れるにはまだ熱く、匙を器に戻す。
「メルちゃんも、一緒に遊びたかったんでしょう」
母が言った。
「私は本を読んでたかったの」
「それは分かるけど、言い方ってものがあるでしょう」
「……お母さん、見てたの?」
「いいえ。今のお父さんへの言い方を聞いてるの」
「まあまあ、いいんだよ、シルカ」
父が間に入った。
「クルナ、お母さんはお前を心配してるだけなんだ」
「分かってる……」
クルナはスープに息を吹きかけた。これ以上、何か言えば、また言い方を注意される。
「それで、今日は何を読んでいたんだい?」
それまで黙って食べていた祖母が尋ねた。
「……猫になる魔法使いの本」
「ああ、あれかい」
祖母はパンを置き、目を細めた。
「どこまで読んだ?」
「もう何回も、最後まで読んでるよ」
「そうじゃなくて、今日の話さ」
「……魔女のお城に忍び込むところ。猫になって、台所の窓から入るの」
「ああ。クルナは、そこが好きだったね」
「うん。誰にも気づかれないで、料理をつまみ食いするところ」
「そうかい」
祖母が笑うと、クルナの口元も少し緩んだ。
「だって、魔女のご飯だよ。変なものが入ってるかもしれないのに、食べちゃうんだもん」
「猫になっても、食いしん坊は変わらないんだねえ」
「違うよ。朝から何も食べてなかったんだよ。お城に着くまで、ずっと森を歩いてたから」
「それじゃあね、我慢できないね」
「でもね、食べてる途中で料理番が戻ってくるの」
クルナは匙を置いた。
「逃げればいいのに、お魚をくわえようとするんだよ。それが重くて、お皿ごと落としちゃうの」
「おやおや」
「それで、料理番に追いかけられるんだけど――」
そこまで話して、クルナは祖母の顔を見た。
「……おばあちゃんも、知ってるでしょ」
「知ってるよ。でも、 クルナが覚えてるところと、私が覚えてるところは違うからね」
クルナは少し考えてから、食卓のパンを一つ取った。
「じゃあ、廊下に逃げたところからね」
パンをちぎっては話し、祖母が相づちを打つ間にスープを飲んだ。ときどき話す順番を間違えて、「あ、その前にね」と戻るたび、祖母は「うんうん」と耳を傾けた。
気づけば器は空になっていたが、クルナの話はまだ続いていた。
こうして夜は深くなっていく
お読みいただき、ありがとうございます。
メルにはそっけないクルナですが、好きな本の話になると、なかなか止まらないようです。 家族との食卓で、彼女の違う一面が伝わっていたらうれしいです。
次回も、クルナの物語にお付き合いください。




