『神様を見送る日』
異世界へ旅立つ人がいる。 その人を見送る神がいる。
これは、召喚する側から見る物語です。
『神様を見送る日』
序章
「おめでとうございます。あなたは選ばれました」
白い部屋だった。
窓はない。扉もない。
中央に机が一つ。その向こうに、白い服を着た、白髪交じりの中年の男が座っていた。
男は机の上に広げた紙と、目の前に立つ青年の顔を交互に見た。
「ヤマダ・タロウさん。お間違いありませんね」
「はい……」
「結構。では、あなたにはこれから、元いた世界とは別の、剣と魔法の世界へ行っていただきます」
「え――」
太郎が口を開きかけたが、男はよどみなく続けた。
「心配はいりません。向こうの言語は読み書きも含めて扱えるようになりますし、身体についても、現地で生活するうえで不自由がないよう調整します。それから、特別な力を一つ――」
そこで言葉が止まった。
男は紙を見つめたまま、口を閉じていた。
「……一つ?」
太郎が促すと、男は深く息を吐き、天井を仰いだ 。
「ああ。もういいか」
机にあった紙を裏返す。
「すみません。今の話、なしで」
「なし?」
「私が行きます」
···白い部屋に、短い沈黙が落ちた。
「どこへですか」
「剣と魔法の世界へ」
「あなたが?」
「はい」
男は机の向こうから歩み出た。
一歩進むと、白い衣の裾がほどけた。
ほどけた布は床に落ちず、色を変え、厚手の上着へと織り直されていく。裸足だった足が、革の靴に覆われた。
男は片足を持ち上げ、足首をゆっくり回した。
「……歩きにくいですね、これ」
「何をしているんですか」
「支度です。向こうでは石を踏むと痛いそうなので」
男は靴の先で、白い床を軽くたたいた。
「行き先は決めていたんです。ただ、なかなか決心がつかなくて」
太郎は一歩近づいた。男が顔を上げるより先に、問いかけた。
「待ってください。そもそも、あなたは何者なんですか? ここはどこなんですか?」
「神です」
男は自分の胸を指した。
「まあ、正確には、異なる世界から人を呼び寄せて、別の世界へ送り出す役職です。ここは、そのための場所。あなたのいた世界にも、これから行く世界にも属していません」
太郎は部屋を見回した。
白い壁に視線を巡らせ、再び男を見た。
「その神が、なぜ自分で行くんですか」
「飽きたので」
「……飽きた」
「ええ。人を選んで、事情を説明して、力を渡して、見送る。ずっとそれです」
男は太郎の後ろへ視線を向けた。
何もなかったはずの壁に、扉が現れていた。
古びた木の扉だった。下の隙間から、白い部屋にはなかった暖かな光が漏れている。
「向こうに、パン屋があるんです」
男が言った。
「市場の通りに小さな窯があって。前に送った人が、よくそこで買っていました」
「見えるんですか」
「必要があれば。でも、匂いも味も分かりません。その人は、焼きたてを食べるたびに同じことを言うんです。うまい、って」
男は扉を見つめたまま、少し笑った。
「一度くらい、自分で確かめたいでしょう」
革靴が床を鳴らした。
男は扉の前まで歩き、取っ手へ手を伸ばした。
「今度は私が主人公をやります」
「俺はどうなるんですか」
男の手が止まった。
「ああ。それなんですが」
男は机の向こうへ戻り、自分が座っていた椅子を引いた。
「後任をお願いしたいんです」
そう言って、空いた座面を手で示した。
太郎は机を挟んだ向かい側に立ったまま、男を見た。
「引き受けるとは言っていません」
男は差し出していた手を引っ込めた。
「……そうですね。順番が逆でした」
椅子を机の下へ戻し、太郎に向き直る。
「まず、仕事内容を説明します。それを聞いてから、引き受けるか決めてください」
「断ったら?」
「別の人を探します。あなたも、当初の予定どおり異世界へお送りします」
太郎は椅子から男へと目を戻した。
「それなら、どうぞ」
*
男が机に手をかざすと、薄い帳面が現れた。
表紙を開く。
最初の頁に人の名前が浮かび、その下を、小さな文字が次々と埋めていった。
「候補者の記録です。どこで暮らして、何をしてきたか。送り先を決める前に、必ず読んでください」
「本人に聞けばいいのでは」
「聞くことも必要です。ただ、自分のことを全部話してくれるとは限りません」
男は帳面を太郎のほうへ向け、頁の端に触れた。
文字が消え、今度は地図が現れた。
「送り先はこちらで確認できます。それから、送り方は大きく二つ。転生と転移です」
「違いは?」
「転生は、その世界の命として生まれ直すこと。転移は、今の身体のまま世界を移ることです」
「どちらにするかも、俺が?」
「ええ。慣れれば、記録を読むだけで判断できます。判断に迷うようなら、本人に聞いても構いません」
太郎は振り返り、背後の扉を見た。
「最初、俺にはどちらを?」
「転生です。説明が済んだら、あの扉から出てもらう予定でした」
「あなたも、そこから?」
「ええ」
男が頁をめくると、地図の代わりに、いくつもの項目が並んだ。
「渡せる力は、世界と本人によって違います。細かな手順は、この帳面で確認できます。慣れるまでは、一つずつ確かめてください」
「あなたと同じように、人を呼んで、送り出す」
「ええ」
「その後は?」
「見届けることはできます」
「助けることは」
男の指が、頁の上で止まった。
「一人につき、三回までなら」
「三回……」
「何ができるかは、この帳面で確認してください。使うかどうかも、いつ使うかも、あなたが決めることです」
太郎は、開かれた帳面に視線を落としていた。
男は続きを待った。
扉の下から差し込む光が、太郎の足元まで細く伸びていた。
やがて太郎が口を開いた。
「最初の人を呼ぶところまで、ここにいてください」
「それは、引き受けるということで?」
「……はい。ただ、最初の一人は一緒にお願いします」
「……分かりました」
男は机の脇へ退いた。
太郎は机を回り込み、椅子を引いて腰を下ろした。
帳面を自分のほうへ向け直す。
開いた頁から文字が消えた。
白紙に戻ったその上に、新しい名前が浮かび上がった。
―― クルナ・カシュン ――
お読みいただき、ありがとうございます。
次回から、最初に召喚される人物の物語が始まります。 どんな人生を歩んできた人が、太郎いや、神の前に立つのか。引き続きお付き合いいただけるとうれしいです。




