第8話 消される報告書
ルテラ村から戻って三日後、レオンは王都へ送る報告書を書き終えた。
本文は十二頁になった。現在の地図から消えたルテラ村が二十年前の地図と十八年前までの行政記録には存在し、現地には今も家屋が残っていること、教会や学校の記録から百三人の住民が実際に暮らしていたと確認できること、さらに、ルテラ村に関する情報へ接触した人間には関連する記憶だけが失われることを、証拠とともに記してある。
ミレアについては、本人の同意を得たうえで、十八年前に旧第七支線沿いで保護された身元不明児であることと、ルテラ村のミレア・ルーウェンとの一致点を記載した。
さらに、アルノー・フェルナーが作成したと思われる戸籍簿に、
百三名、確認。欠員なし。明朝までに全員を村外へ出すこと。
という記述が残されていたことも加えた。
「長いですね」
向かいの机でミレアが報告書を眺めていた。
「必要な情報を削った結果です」
「削って十二頁?」
「元は十九頁ありました」
「王都の人、ちゃんと読むかなあ」
「読んでもらわないと困ります」
トーマが横から一頁目を覗き込んだ。
「記憶が消えるって話まで普通の報告書で送るのか?」
「だからこそ送ります。現地だけで処理できる内容ではありません」
「向こうで読んだやつも忘れたら?」
レオンは手を止めた。
「可能性はあります」
「考えてなかったのか」
「考えていたので、三部作りました」
「それで足りるのかって聞いてる」
「分かりません」
トーマはため息をついた。
「最近、その答えに慣れてきた自分が嫌だな」
レオンは三部の報告書をそれぞれ確認した。一部は王立記録院本院へ、もう一部は宮廷魔術局へ送り、残る一部は西部守備隊を通じて王都の軍務記録担当へ届ける。
同じ内容を複数の経路へ送れば、一ヶ所で紛失しても他に残る可能性がある。少なくとも、今できる対策としてはそれが最も現実的だった。
「全部《定録》ですか?」
ミレアが尋ねる。
「重要部分はそうです。ただし、複写した紙そのものを燃やされたら終わりです」
「魔法で消せなくても、普通に捨てられたら駄目なんですね」
「はい」
「思ったより地味な弱点」
「紙なので」
「そこは魔法っぽく何とかならないんです?」
「なりません」
ミレアは残念そうな顔をした。
◇
最初の報告書は、定期便で王立記録院本院の地方記録部へ送った。レオンが以前所属していた部署とは違うが、地方で見つかった異常記録を扱うなら、そこが妥当だった。
報告書には受領後、確認の返書を送るよう依頼を付けた。
通常なら、西部から王都まで七日。内部処理を含めても、二週間もあれば何らかの返答が届く。
ところが、十六日経っても何も来なかった。
「遅れてるだけじゃないですか?」
ミレアが言った。
「可能性はあります。ただ、受領確認だけなら時間がかかりすぎています」
「王都の役所ってもっと遅いものかと思ってました」
「内容の審査は遅いですが、文書を受け取ったという返事は比較的早いです」
「妙に説得力ありますね」
「三年いましたから」
発送記録には、辺境資料保管所から出した日付も、定期便へ渡した記録も残っており、途中で事故が起きたという報告もない。そこでレオンは、報告書が本院へ届いたかどうかだけを問う照会書を、王都へ向かう次の公営便に載せた。
◇
それから十二日後、地方記録部ではなく、王立記録院の文書受付担当から返事が届いた。
西部辺境資料保管所発、ルテラ村調査報告書について、到着記録あり。受領者、ヨハン・クリース。
レオンはその一文を二度読んだ。
「届いてはいたんですね」
ミレアが言う。
「はい」
「じゃあ、返事を忘れただけ?」
「報告書自体をどう処理したのか確認します」
ヨハン・クリースは王立記録院の文書整理課にいる職員で、レオンも本院勤務時代に何度か顔を合わせていた。几帳面な性格で、少なくとも受領した重要文書を理由もなく放置するような人物ではない。
レオンはヨハン宛てに直接手紙を書き、報告書を受け取ったか、どの部署へ回し、現在どこに保管されているかを尋ねた。本人の記憶だけに頼らないよう、回答する前に必ず文書受付記録を確認してほしいとも付け加えた。
十一日後に届いた返答は短かった。
レオン・フェルナー殿。
照会された文書について、受付簿上、私が受領した記録を確認しました。しかし、当該文書を受け取った記憶がありません。現在、整理課および地方記録部を確認しましたが、現物も発見できませんでした。
受領後の処理についても、記録が残っていません。
その下には、ヨハン自身の手書きで一文だけ追記されていた。
自分の署名があるのに、何も覚えていないのは気味が悪い。
レオンは手紙を机へ置いた。
「王都でも同じか」
トーマが言った。
「少なくともヨハンさんには、似た現象が起きています」
「村から何日も離れてるんだろ?」
「はい」
「じゃあ距離だけじゃない?」
ミレアの問いに、レオンは頷いた。
「そう考えた方がよさそうです。ルテラ村について詳しい情報を読んだこと自体が、何らかの影響を受ける条件なのかもしれません」
「報告書を読んだだけで?」
「まだ断定はできません。ただ、王都にいるヨハンさんまで記憶を失っている以上、村からの距離だけでは説明できません」
トーマは報告書の残り二部を見る。
「それでも送るのか?」
「送ります。今度は同じ場所へ集中させません」
◇
二回目は内容を分け、三つの部署へ送ることにした。王立記録院には村の存在と行政記録の異常を、宮廷魔術局には記憶欠落現象を中心とした観察結果を、軍務側には旧第七支線と村周辺の安全確認、および十八年前の避難を示す記述を送る。どの部署にも完全な報告書を置かず、担当に必要な情報だけを分散させる試みだった。
「何で分けるんです?」
ミレアが尋ねた。
「前回は一つの文書に情報を集めすぎた可能性があります」
「集めすぎると駄目なんですか」
「分かりません。ただ、同じ方法を繰り返して同じ結果になるより、条件を変えた方がいい」
「実験みたいですね」
「実際、何が起きているか分からない以上、比較しながら調べるしかありません」
三通には異なる受領確認方法を指定し、王立記録院には通常の受付印、宮廷魔術局には受領者の署名を求めた。軍務側には、受け取った時点で西部守備隊へ符号だけを返送してもらうことにした。
文書の内容を覚えていなくても、「何かを受け取った」という外部記録だけは残るようにした。
結果は以前より早く判明した。三通とも王都へ届き、指定した受領記録も残ったが、その後の所在を確認できなかったのである。王立記録院では地方記録部へ回したところまで記録されているのに保管棚に現物がなく、宮廷魔術局でも担当研究室が受領した二日後には、整理記録から文書名そのものが抜けていた。軍務側からは受領符号が返ってきたが、照会を受けた担当者は何を受け取ったのか覚えておらず、書類も見つけられなかった。
別々の経路で異なる部署へ送った文書が、すべて受領後に消え、それに触れた人間の記憶まで曖昧になっている。もはや偶然の紛失では説明できなかった。
「これ、誰かが捨ててるんじゃないですか?」
ミレアが言った。
「その可能性も調べます」
「魔法じゃなくて?」
「両方あり得ます。記憶が失われる現象と、文書が物理的になくなることは分けて考えるべきです」
「誰かが忘れたあとで、邪魔な紙だから捨ててるとか?」
「それもあり得ます」
トーマが腕を組んだ。
「逆もあるな。誰かが意図的に紙を処分して、見たやつの記憶も消してる」
「その場合は、誰かが現象を利用していることになります」
「そういうやつが王都にいるなら、かなり面倒だぞ」
「はい」
レオンも同じことを考えていた。
ただし、証拠がないうちから敵がいると決めつけるべきではない。
◇
数日後、レオンが本院にいた頃の同僚、ユリウス・ケインから私信が届いた。
封筒には通常の手紙が一枚と、小さく折り畳まれた別紙が入っていた。表の手紙にあるのは、東部の収穫統計が再調査になったことや、レオンがいなくなって地方統計課が忙しいこと、西部で熊に食われていないなら一度くらい返事を寄越せといった近況だけで、問題は別紙の方だった。
そこにはユリウス自身の筆跡で、こう書かれていた。
フェルナーから届く「ルテラ」という文書を読むな。まず封を保管し、院外へ写しを出せ。
さらに下に、小さな文字で続いている。
この指示を書いた理由を、俺は覚えていない。
レオンは何度か読み返した。
「ユリウスさんも?」
ミレアが尋ねる。
「おそらく、何かに気づいて自分へ指示を残したんだと思います」
「レオンさんと同じですね」
「はい」
自分が過去の自分から「一人で調べるな」と言われたのと、ほとんど同じ状況だった。
ユリウスは何らかの理由でルテラに関する文書をそのまま院内で扱うべきではないと判断し、忘れる前に自分へ注意書きを残した。
ただし、その判断に至った記憶はすでに失われている。レオンはすぐに返書を書き、詳しい事情を無理に思い出さず、院内に残っている可能性がある受領簿、移送簿、廃棄記録だけを確認してほしいと頼んだ。
ルテラという内容そのものより、文書がどこへ動いたのかを追ってほしいと頼んだ。
◇
回答は二週間後に届いた。
今度のユリウスの手紙には、廃棄記録の写しが同封されていた。
写しに記された受付番号は、最初に送った十二頁の報告書と一致しており、処理欄には重複資料につき処分とあった。
「重複?」
ミレアが首を傾げた。
「何と重複したんです?」
「それが分かりません」
同じ内容の報告書が別に存在するなら、その文書番号を添えるのが通常だが、この記録には参照先がない。処分日は受領から三日後、担当は王立記録院地方記録部で、最終承認欄には一人の名前が記されていた。
院長 ヴァルター・クロイツ。
「院長って、一番偉い人ですか?」
「王立記録院では、そうです」
「そんな人が、地方から来た報告書を一枚ずつ処分するんです?」
「通常はしません」
廃棄の承認は各部門長で足りる。
院長本人の名前が残っている方が不自然だった。
トーマが記録を見ながら尋ねた。
「知ってる相手か?」
「もちろん名前は知っています。直接話したことはほとんどありません」
「どんな人だ」
「王立記録院に三十年近くいる記録官です。私が入った頃には、すでに院長でした」
「信用できる?」
レオンは少し考えた。
「分かりません」
「またそれか」
「この記録だけで、院長が意図的に隠しているとは判断できません。本人が内容を忘れた状態で、何か別の理由から処分を承認した可能性もあります」
「じゃあ、ただの偶然?」
「それも考えにくいです」
レオンは廃棄記録の写しを机へ置いた。
報告書が確かに王都へ届き、その内容を読んだ人間がルテラに関する記憶を失ったうえ、文書そのものは誰かの手で物理的に処分されていた。少なくともこの一通は、現象によって自然に消えたのではなく、人間が廃棄手続きを行っている。
「次はどうするんです?」
ミレアが尋ねた。
「ヴァルター・クロイツについて調べます。ただし、最初から敵だとは考えません」
「自分の報告書を捨てた人なのに?」
「だからこそ、理由を確認します」
レオンは新しい頁を開き、現在確認できている事実だけを記録した。
ルテラ村調査報告書は王立記録院へ到着後、受領者の記憶から失われた。現物は「重複資料」として処分されており、最終承認者は院長ヴァルター・クロイツ。重複元となる資料は現時点で確認できない。
その下に、推測として別の一文を加えた。
ルテラ村に関する情報を、意図的に残さないよう行動している人物または仕組みが存在する可能性がある。ただし、ヴァルター・クロイツ本人の意図については未確認。
《定録》で固定する。
ミレアが文章を覗き込みながら言った。
「こういうときでも慎重ですね」
「記録なので」
「もし本当にその院長が全部知ってたら?」
「そのときは、本人から聞きます」
「王都まで?」
「必要なら」
レオンは廃棄記録に残されたヴァルター・クロイツという名前を、もう一度見た。
十八年前のルテラ村とは直接関係のない場所から、明確な人物名が現れたのは、これが初めてだった。ヴァルターが村を忘れている側なのか、それとも忘れさせようとしている側なのか、今のレオンにはまだ判断できなかった。




