第11話 王都へ
王都へ向かうことを決めたのは、ミレアの身元を確認してから二日後だった。
ルテラ村で起きた出来事を追うには、西部に残る資料だけでは限界がある。十八年前、アルノー・フェルナーが何のために西部へ派遣され、なぜ村の住民百三人を《定録》で記録したのか。その答えが残っているとすれば、王立記録院本院か、当時の命令を出した中央機関だった。
さらに、レオンが送った報告書を「重複資料」として処分した記録には、院長ヴァルター・クロイツの名がある。本人へ処分の理由を確かめることも含め、王都へ行く理由は十分に揃っていた。
「私も行きます」
ミレアは当然のように言った。
「長旅になります」
「西部中を走ってる飛脚に言います?」
「仕事は?」
「休みを取りました」
「いつの間に」
「昨日」
「まだ私、何も頼んでいませんでしたが」
「どうせ一緒に来てほしいって言うと思ったので」
レオンは否定しようとして、やめた。
実際、一人で行くつもりはなかった。ルテラ村に関する記憶が失われる以上、複数人で記録を確認し合える状態を維持した方がいい。
「トーマさんは?」
「守備隊を何日も離れられないそうです」
「まあ、そりゃそうか」
ミレアは少し残念そうだった。
「王都まで護衛してもらったら、完全に仕事じゃなくなりますもんね」
「お前ら二人で余計なことするなよ、とは言われました」
「もうしてる気がする」
「私もそう思います」
◇
西部を離れて数日すると、記憶の欠落には明らかな変化が現れた。
一晩経ってもレオンはルテラ村の名を覚えており、ミレアも毎朝記録を読み返す前から、自分がミレア・ルーウェンだったことを説明できた。
「今日は覚えてます」
宿を出る前、ミレアが胸元の記録を確認しながら言った。
「昨日もでしたね」
「西へいるときよりずっと楽です。やっぱり村から離れるほど弱くなるんじゃないですか?」
「その傾向はありそうです」
ただし、完全に影響がなくなったわけではない。
途中の宿場で、ミレアが旅の理由を宿の主人へ説明したことがあった。
出生地を調べるため王都へ向かっている、とだけ話している間は問題なかった。
ところが、ルテラ村という名前を出し、十八年前に村そのものが記録から消えていると説明し始めた翌朝、宿の主人はその会話を覚えていなかった。
レオンとミレア自身も、細かなやり取りの一部が曖昧になっていた。
「離れれば何でも大丈夫、ではないみたいですね」
ミレアが言った。
「はい。場所による影響とは別に、ルテラ村について直接情報を扱うこと自体が条件になっている可能性があります」
「王都で報告書を読んだ人が忘れたのと同じ?」
「おそらく」
「面倒だなあ」
西部から離れるほど作用は弱まる。しかし、ルテラに関する情報へ深く触れれば、遠く離れていても記憶は失われる。
現時点では、その二つの要因があると考えるのが自然だった。
◇
王都へ着いたのは、資料保管所を出て八日目の夕方だった。
ミレアは城壁をくぐるなり、辺りを見回した。
「人、多いですね」
「王都なので」
「建物も高い」
「王都なので」
「もうちょっと案内する気ないんです?」
「観光で来たわけではありません」
「そういうところですよ」
何度言われたか分からない言葉だった。
翌朝、二人は王立記録院へ向かった。白い石造りの四階建てで、正面階段の上には羽根ペンと開いた書物を組み合わせた紋章が掲げられている。三年間ほとんど毎日通った建物なのに、数ヶ月ぶりに見上げると妙に大きく感じられた。
「ここで働いてたんですね」
「はい」
「追い出される前まで」
「配置転換です」
「まだ言ってる」
受付で身分証を見せると、職員がレオンの名前に気づいた。
「あれ、フェルナーさん?」
「お久しぶりです」
「西部じゃなかったんですか」
「現在も西部所属です。調査で来ました」
「戻ってきたのかと思いましたよ」
どうやら、本院でも完全に忘れられていたわけではないらしい。
もっとも、レオン自身についてはルテラ村と関係がないのだから当然だった。
◇
最初に訪ねたのはユリウス・ケインだった。地方統計課の扉を開けると、見覚えのある机の配置と顔ぶれがレオンを迎えた。
その一番奥で書類を読んでいたユリウスが、レオンを見るなり目を丸くした。
「お前、何でいるんだ?」
「調査です」
「帰ってきたんじゃないのか」
「まだ西部所属です」
「そうか。残念だったな」
「私は特に残念ではありません」
「本当に?」
ユリウスは立ち上がり、ミレアを見る。
「そっちは?」
「ミレア・ノルンです。公営飛脚やってます」
「西部から一緒に?」
「はい」
ユリウスがレオンを見る。
「お前、辺境に行って何してたんだ?」
「説明すると長くなります」
「じゃあ昼飯食いながら聞く」
「その前に、あなたから送られた手紙について確認したいことがあります」
レオンは、ユリウスから届いた別紙を出した。
フェルナーから届く「ルテラ」という文書を読むな。まず封を保管し、院外へ写しを出せ。
ユリウスは紙を見るなり顔をしかめた。
「俺の字だな」
「覚えていますか」
「これを書いたことは覚えてない。ただ……」
少し考える。
「お前から何か変な文書が来てた、ってことは覚えてる」
「内容は?」
「出てこない」
「ルテラ村という名前は?」
「今お前が言ったから分かる。でも、前にも聞いた気がする程度だな」
レオンは予想していた。
「この紙を書いた理由について、何か残していませんか」
「実はある」
ユリウスは自分の机の引き出しを開け、小さな手帳を取り出した。
「お前の手紙が来てから、自分宛ての変な注意書きが増えたんだよ」
ユリウスが開いた該当頁には、彼自身の字で、
西部から来た件について、院内で詳細を話すな。
と書かれている。
その下には、
理由を思い出せなくても従え。外でフェルナー本人に確認すること。
と続いていた。
「だから、ここでは話さない方がいい」
ユリウスは声を落とした。
「俺も何でそう思ったのか分からない。でも、これを書いたときの俺には理由があったんだろ」
「私も同意します」
「昼休みに外へ出よう。それまで別件にしろ」
「分かりました」
ユリウスは手帳を閉じたあと、不意に思い出したように言った。
「そうだ。お前に言っとくことがある」
「何です?」
「例の収穫統計、お前が正しかったぞ」
レオンは一瞬何のことか分からなかったが、数秒後、それが西部へ異動する原因になった一件だと思い出した。
「東部の収穫量ですか」
「そう。お前が飛ばされたあと、別部署が再集計した。結局、地方から上がってきた原本の方が正しくて、九十二・六で確定した」
「そうですか」
「反応薄いな」
「確認できたなら良かったです」
「そのせいで上がちょっと揉めたんだぞ。お前が《定録》で残した原集計が書き換えられなかったから、最初の数字もそのまま残ってた」
レオンが作った記録が、結果的に元の統計を証明したらしい。
「人事も見直すとか何とか言ってる。場合によっては本院へ戻れるかもしれないぞ」
「今は戻るつもりはありません」
ユリウスが目を丸くした。
「即答かよ」
「調べていることが終わっていません」
「その西部の変な件?」
「はい」
「お前、本当に余計なもの拾うよな」
「戸籍簿を一冊見つけただけです」
「そこから王都まで来てる時点で、もう一冊じゃないだろ」
それは否定できなかった。
◇
昼休みになると、四人は記録院から少し離れた食堂へ移った。
そこで初めて、レオンはユリウスへこれまでの経緯を説明した。
ただし、情報を一度に集めすぎないよう、必要な部分だけに絞った。
レオンは、十八年前まで存在したルテラ村と百三人の住民、記憶の欠落、報告書の処分とヴァルター・クロイツの承認、そしてアルノー・フェルナーについて順を追って話した。
説明を聞き終えたユリウスは、しばらく何も言わなかった。
「それ、本当にお前の大伯父なのか」
「家族記録と職員記録は一致しています」
「十八年前に西部で行方不明?」
「はい」
「ちょっと待て」
ユリウスが眉を寄せた。
「アルノー・フェルナーって名前、どこかで見た気がする」
「どこで?」
「分からん。でも職員記録じゃない。もっと……命令書とか」
レオンは身を乗り出した。
「思い出せますか」
「無理だ。こういうとき、思い出そうとするなって話だったな」
ユリウスは自分で言って、苦笑した。
「お前の変な調査に慣れてきたらしい」
「記録を探しましょう」
「そこはお前らしいな」
◇
午後、レオンは報告書を最初に受け取った文書整理課のヨハン・クリースを訪ねた。
ヨハンはレオンの顔を見ると、すぐに分かったようだった。
「西部のフェルナーさんですね」
「覚えているんですか」
「あなたから妙な照会が来たことは覚えています。肝心の内容は相変わらず曖昧ですが」
レオンは廃棄記録の写しを見せた。
「この処分について、何か分かりましたか」
「少しだけ」
ヨハンは周囲を確認してから、声を落とした。
「まず、この文書を院長決裁で廃棄するのは普通じゃありません」
「やはりそうですか」
「地方から届いた十二頁の調査報告でしょう? 本来なら担当部長どころか、課長判断で処理できる。院長まで上げる理由がない」
「では、なぜ」
「分かりません。ただ、俺も自分用のメモを見つけました」
ヨハンは手帳を取り出した。
そこには、数週間前の日付で一文だけ残されている。
西部から届いた報告書は、内容を読むな。受付記録だけ確認しろ。
さらに、その下。
院長室へ直接回すこと。
「あなた自身が?」
「俺の字です。でも、どうしてそう判断したのかは覚えてない」
「院長から事前に指示があった可能性は?」
「あると思います。ただ、それを示す命令書は見つからない」
ヨハンは少し考えた。
「変なのは、報告書を読むなってところです。普通、内容を確認しない文書を院長へ直接回すことなんてありません」
「その指示に従って?」
「たぶん。だから俺は内容そのものをあまり覚えてないのかもしれない」
記憶の欠落によって忘れたのか、最初から詳しく読んでいないのか、その区別すらつかないが、院長へ直接回すという異例の経路が偶然だったとは考えにくかった。
◇
アルノー・フェルナーの十八年前の行動記録は、記録院地下の旧人事文書庫に残っていた。
通常なら古い人事記録をそこまで調べる必要はないが、ユリウスが職員番号から当時の出張命令を辿ってくれた。
「これだ」
古い台帳を机へ置く。
アルノー・フェルナー。西部特別派遣。
派遣期間は十八年前の秋で、目的欄には、
王命第七二一号に基づく現地記録支援。
と記されている。
「王命?」
ミレアが尋ねた。
「国王名義で出される正式命令です」
「村の戸籍を作るのに?」
「通常は必要ありません」
レオンは番号を書き留めた。
この王命第七二一号こそ、アルノーが西部へ送られた理由に繋がる手掛かりだった。
「王命そのものはどこに?」
ユリウスが別の目録を調べる。
「年代別の命令書庫。地下二層だな」
三人でさらに奥へ移動した。
王命は年度ごとに番号順で綴じられていたが、第七一八号から第七二〇号までをめくったところで、レオンは手を止めた。次に綴じられていたのは第七二一号ではなく、第七二二号だった。
「七二一は?」
ミレアが聞く。
綴じ具を確認すると、紙が一枚抜け落ちたのではなく、根元近くから刃物で切り取られたような跡が残っていた。
「物理的に外されています」
「昔から?」
ユリウスが管理記録を見る。
「少なくとも、欠損報告はない」
「誰かが勝手に?」
「王命を?」
ユリウスの表情が険しくなった。
「それ、普通なら洒落にならないぞ」
本文がなくても周辺記録までは消えておらず、台帳の索引には、第七二一号が十八年前に西部を対象として発令されたことだけが記載されていた。
そこまで確認したところで、背後から声がした。
「その番号を、どこで知った?」
三人が振り返ると、地下書庫の入口に一人の男が立っていた。五十代前半で、灰色の髪をきれいに撫でつけ、濃紺の記録官服を着ている。レオンにはすぐに誰か分かった。
「ヴァルター院長」
王立記録院長、ヴァルター・クロイツ。
ヴァルターはレオンの顔を確認したあと、机の上に開かれた台帳へ目を移した。
「西部へ異動したと聞いていたが」
「現在も西部所属です」
「では、なぜ王命記録を調べている?」
口調は穏やかだったが、視線は第七二一号の欠落した部分から動かない。レオンは少し考えたものの、ここで事情を曖昧にする理由はなかった。
「アルノー・フェルナーの西部派遣について調べています」
ヴァルターの表情は変わらない。
「そうか」
「彼は王命第七二一号に基づいて派遣されています。しかし、命令書本文がありません」
「古い文書には欠損もある」
「切り取られています」
ヴァルターは答えなかった。
レオンは続けた。
「院長に、もう一つ伺いたいことがあります」
「何だ」
「ルテラ村をご存じですか」
ほんの一瞬、ヴァルターの視線がレオンから外れた。表情が崩れたわけでも、驚きや怯えが浮かんだわけでもないが、その名前をまったく知らない人間の反応には見えなかった。
ヴァルターは数秒黙ったあと、静かに尋ねた。
「その名前を、どこで知った?」
質問への答えではなかったが、ヴァルターがルテラ村という名前に何らかの事情を知っていると判断するには、それだけで十分だった。




