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婚約破棄を告げた王太子は、泣きそうな顔で私に微笑んだ  作者: なごやかたろう


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9/13

第九話 卒業の日を前に

 卒業まで、あと一週間。

 王立学園は、すっかり卒業を迎える準備に入っていた。

 廊下には祝賀の飾りが施され、講堂では卒業式の準備が進められている。

 最終学年の生徒たちは、授業の合間にも卒業後の話で盛り上がっていた。


「卒業したら領地へ戻るんだ」

「私は王都に残るわ」

「卒業パーティーが楽しみね」


 そんな声を聞きながら、私は窓の外を眺めていた。

 あと一週間。

 レオンと学園で過ごせる時間も、もうほとんど残っていない。

 けれど。

 私はまだ、彼を信じていた。

 卒業パーティーには必ず来る。

 レオン自身がそう言ってくれたのだから。


     ◇


「エレノア」


 昼休み。

 友人が私の机に手をついた。


「どうしたの?」

「お兄様が卒業パーティーにいらっしゃるって本当?」

「ええ」

「王太子殿下は?」


 私は一瞬、言葉に詰まった。


「……まだ分からないわ」

「でも殿下は出席されるのでしょう?」

「来るとは言ってくださったわ」

「それなら――」

「ただ、私をエスコートできるかどうかは分からないそうなの」

「まあ……」


 友人が困ったような顔をする。


「王太子殿下ともなると、大変なのね」

「そうね」


 私は笑った。

 けれど。

 本当は、少しだけ寂しかった。

 以前なら、卒業パーティーでレオンの隣に立つことを疑うことなどなかった。

 それが今では。

 彼が来るのか。

 私の隣に立つのか。

 何一つ確かなことがない。


     ◇


 その日の放課後。

 私は教室で一人、帰り支度をしていた。


「エレオノーラ嬢」


 突然、声がした。

 振り返る。

 レオンだった。


「殿下……」


 驚いた。

 彼が私の前に現れるのは、久しぶりだった。

 レオンは少し疲れた顔をしていた。


「今、少し話せるか?」

「はい」


 レオンは教室へ入ってくる。

 けれど、以前のように近くまで来ることはなかった。

 一定の距離を保ったまま、立ち止まる。


「卒業パーティーのことだ」

「……はい」

「俺は出席する」

「本当ですか?」

「ああ」


 思わず笑顔になった。


「よかった……」


 その表情を見て、レオンの顔がわずかに歪んだ。


「ただ」

「……はい」

「君のエスコートはできない」


 笑顔が消えた。


「……そうですか」

「すまない」

「王族としてのご用事が?」

「ああ」

「それなら、仕方ありませんね」


 私はそう答えた。

 仕方がない。

 そう言うしかない。

 けれど。


「では、誰が私を?」

「……君のお兄様に頼んである」

「お兄様に?」

「ああ」


 私は少し驚いた。

 けれど、すぐに納得した。


「分かりました」

「エレノア」


 その呼び方に、胸が跳ねた。

 久しぶりだった。

 レオンが私を「エレノア」と呼んだ。


「……はい」

「卒業、おめでとう」

「まだ一週間ありますよ」

「そうだったな」


 レオンが笑う。

 ほんの一瞬だけ。

 昔のレオンに戻ったような笑顔だった。

 私はその笑顔を見つめた。


「殿下」

「なんだ?」

「卒業パーティーの日。

 少しだけでも、二人でお話しできますか?」


 レオンの表情が曇る。


「……ああ」

「約束ですよ」

「ああ。約束する」


 その返事を聞いて、私は安心した。

 少なくとも。

 最後には、きちんと話ができる。

 そう思った。


「では、失礼します」


 レオンが踵を返す。

 私はその背中を見つめた。


「レオン」


 呼び止める。

 レオンが振り返った。


「……何だ?」

「お気をつけて」


 一瞬。

 レオンは驚いたような顔をした。

 そして、優しく笑った。


「ああ」


 その笑顔を最後に。

 レオンは教室を出ていった。


     ◇


 廊下を歩くレオンの隣には、あの女性がいた。


「よろしかったのですか?」

「ああ」

「本当に、何もお伝えしないままで?」

「……これでいい」


 レオンは歩みを止めない。


「エレオノーラ様は、殿下を信じておられます」

「だからこそだ」

「……」

「俺を信じているから、あいつは待ってしまう」


 レオンは拳を握った。


「だから、卒業パーティーが最後だ」

「最後……」

「俺が何をしているのかを、あいつは知らなくていい」

「ですが――」

「それより」


 レオンが足を止めた。


「俺は、あいつとの約束を守りたい」


 女性は静かにレオンを見る。


「二人で話す約束ですか?」

「ああ」


 レオンは少しだけ笑った。


「それくらいは、許されるだろう」


     ◇


 その夜。

 私は兄の部屋を訪ねた。


「お兄様」

「どうした、エレオノーラ」

「卒業パーティーの日、エスコートをお願いしてもいい?」

「もちろんだ」


 兄は即答した。


「殿下から頼まれた」

「そうなのですね」

「ああ。ずいぶん急な話だったが」

「……お忙しいのでしょう」

「王太子だからな」


 兄はそう言ってから、私の顔をじっと見た。


「エレオノーラ」

「はい?」

「本当に大丈夫か?」

「……何が?」

「最近のお前は、少し無理をしているように見える」


 私は少しだけ笑った。


「大丈夫よ」

「殿下のことか?」

「……」


 答えられない。

 兄はそれ以上、聞かなかった。


「まあ、何かあれば俺を頼れ」

「ありがとう、お兄様」


 私は兄の部屋を出た。

 廊下を歩きながら、窓の外を見る。

 夜の王宮には、今夜も明かりが灯っていた。

 あの中にレオンがいる。

 そして。

 あの女性もいる。

 私はもう、そのことを考えるのをやめようとしていた。

 レオンを信じる。

 それだけでいい。

 卒業パーティーの日。

 きっと、すべてを話してくれる。

 そう信じて眠りについた。


     ◇


 同じ頃。

 王宮の奥深く。

 レオンは、最後の術式を前に立っていた。

 その顔には疲労が滲んでいる。

 それでも、瞳だけは強かった。


「ここまで来れば、あとは――」


 女性が言葉を止める。


「……はい」


 レオンが頷く。


「卒業パーティーの日までに、間に合わせる」

「殿下」

「分かっている」


 レオンは静かに息を吐いた。


「必ず、戻る」


 その言葉を聞いた女性は、何も答えなかった。

 ただ静かに、レオンを見つめていた。

 卒業まで、あと七日。

 そして。

 二人が最後に笑って話せるはずだったその日へ向けて、時間だけが静かに進んでいた。

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