第九話 卒業の日を前に
卒業まで、あと一週間。
王立学園は、すっかり卒業を迎える準備に入っていた。
廊下には祝賀の飾りが施され、講堂では卒業式の準備が進められている。
最終学年の生徒たちは、授業の合間にも卒業後の話で盛り上がっていた。
「卒業したら領地へ戻るんだ」
「私は王都に残るわ」
「卒業パーティーが楽しみね」
そんな声を聞きながら、私は窓の外を眺めていた。
あと一週間。
レオンと学園で過ごせる時間も、もうほとんど残っていない。
けれど。
私はまだ、彼を信じていた。
卒業パーティーには必ず来る。
レオン自身がそう言ってくれたのだから。
◇
「エレノア」
昼休み。
友人が私の机に手をついた。
「どうしたの?」
「お兄様が卒業パーティーにいらっしゃるって本当?」
「ええ」
「王太子殿下は?」
私は一瞬、言葉に詰まった。
「……まだ分からないわ」
「でも殿下は出席されるのでしょう?」
「来るとは言ってくださったわ」
「それなら――」
「ただ、私をエスコートできるかどうかは分からないそうなの」
「まあ……」
友人が困ったような顔をする。
「王太子殿下ともなると、大変なのね」
「そうね」
私は笑った。
けれど。
本当は、少しだけ寂しかった。
以前なら、卒業パーティーでレオンの隣に立つことを疑うことなどなかった。
それが今では。
彼が来るのか。
私の隣に立つのか。
何一つ確かなことがない。
◇
その日の放課後。
私は教室で一人、帰り支度をしていた。
「エレオノーラ嬢」
突然、声がした。
振り返る。
レオンだった。
「殿下……」
驚いた。
彼が私の前に現れるのは、久しぶりだった。
レオンは少し疲れた顔をしていた。
「今、少し話せるか?」
「はい」
レオンは教室へ入ってくる。
けれど、以前のように近くまで来ることはなかった。
一定の距離を保ったまま、立ち止まる。
「卒業パーティーのことだ」
「……はい」
「俺は出席する」
「本当ですか?」
「ああ」
思わず笑顔になった。
「よかった……」
その表情を見て、レオンの顔がわずかに歪んだ。
「ただ」
「……はい」
「君のエスコートはできない」
笑顔が消えた。
「……そうですか」
「すまない」
「王族としてのご用事が?」
「ああ」
「それなら、仕方ありませんね」
私はそう答えた。
仕方がない。
そう言うしかない。
けれど。
「では、誰が私を?」
「……君のお兄様に頼んである」
「お兄様に?」
「ああ」
私は少し驚いた。
けれど、すぐに納得した。
「分かりました」
「エレノア」
その呼び方に、胸が跳ねた。
久しぶりだった。
レオンが私を「エレノア」と呼んだ。
「……はい」
「卒業、おめでとう」
「まだ一週間ありますよ」
「そうだったな」
レオンが笑う。
ほんの一瞬だけ。
昔のレオンに戻ったような笑顔だった。
私はその笑顔を見つめた。
「殿下」
「なんだ?」
「卒業パーティーの日。
少しだけでも、二人でお話しできますか?」
レオンの表情が曇る。
「……ああ」
「約束ですよ」
「ああ。約束する」
その返事を聞いて、私は安心した。
少なくとも。
最後には、きちんと話ができる。
そう思った。
「では、失礼します」
レオンが踵を返す。
私はその背中を見つめた。
「レオン」
呼び止める。
レオンが振り返った。
「……何だ?」
「お気をつけて」
一瞬。
レオンは驚いたような顔をした。
そして、優しく笑った。
「ああ」
その笑顔を最後に。
レオンは教室を出ていった。
◇
廊下を歩くレオンの隣には、あの女性がいた。
「よろしかったのですか?」
「ああ」
「本当に、何もお伝えしないままで?」
「……これでいい」
レオンは歩みを止めない。
「エレオノーラ様は、殿下を信じておられます」
「だからこそだ」
「……」
「俺を信じているから、あいつは待ってしまう」
レオンは拳を握った。
「だから、卒業パーティーが最後だ」
「最後……」
「俺が何をしているのかを、あいつは知らなくていい」
「ですが――」
「それより」
レオンが足を止めた。
「俺は、あいつとの約束を守りたい」
女性は静かにレオンを見る。
「二人で話す約束ですか?」
「ああ」
レオンは少しだけ笑った。
「それくらいは、許されるだろう」
◇
その夜。
私は兄の部屋を訪ねた。
「お兄様」
「どうした、エレオノーラ」
「卒業パーティーの日、エスコートをお願いしてもいい?」
「もちろんだ」
兄は即答した。
「殿下から頼まれた」
「そうなのですね」
「ああ。ずいぶん急な話だったが」
「……お忙しいのでしょう」
「王太子だからな」
兄はそう言ってから、私の顔をじっと見た。
「エレオノーラ」
「はい?」
「本当に大丈夫か?」
「……何が?」
「最近のお前は、少し無理をしているように見える」
私は少しだけ笑った。
「大丈夫よ」
「殿下のことか?」
「……」
答えられない。
兄はそれ以上、聞かなかった。
「まあ、何かあれば俺を頼れ」
「ありがとう、お兄様」
私は兄の部屋を出た。
廊下を歩きながら、窓の外を見る。
夜の王宮には、今夜も明かりが灯っていた。
あの中にレオンがいる。
そして。
あの女性もいる。
私はもう、そのことを考えるのをやめようとしていた。
レオンを信じる。
それだけでいい。
卒業パーティーの日。
きっと、すべてを話してくれる。
そう信じて眠りについた。
◇
同じ頃。
王宮の奥深く。
レオンは、最後の術式を前に立っていた。
その顔には疲労が滲んでいる。
それでも、瞳だけは強かった。
「ここまで来れば、あとは――」
女性が言葉を止める。
「……はい」
レオンが頷く。
「卒業パーティーの日までに、間に合わせる」
「殿下」
「分かっている」
レオンは静かに息を吐いた。
「必ず、戻る」
その言葉を聞いた女性は、何も答えなかった。
ただ静かに、レオンを見つめていた。
卒業まで、あと七日。
そして。
二人が最後に笑って話せるはずだったその日へ向けて、時間だけが静かに進んでいた。




