第八話 もうすぐ卒業
卒業まで、あと二週間。
季節は春から初夏へ移り、王立学園の木々もすっかり緑に染まっていた。
授業が終わると、生徒たちは卒業パーティーの話で盛り上がっている。
「エレオノーラ様、ドレスは決まりましたか?」
「ええ。一応」
「では、やはり王太子殿下がエスコートを?」
「……そのはずよ」
答えながら、胸の奥が少し痛んだ。
レオンから、卒業パーティーについて何も聞いていない。
以前なら。
『当日は俺が迎えに行く』
そう言ってくれたはずなのに。
今では、手紙さえほとんど届かない。
◇
その日の放課後。
私は久しぶりに、生徒会室へ向かった。
卒業前の手続きについて確認するためだった。
扉を開ける。
そこには数人の生徒がいた。
「エレオノーラ様」
「卒業パーティーの最終確認ですか?」
「ええ」
机の上には、出席者の名簿や座席表が並んでいる。
私はその中の一枚を手に取った。
「エスコートについては、こちらで確認しておきますね」
「ありがとう」
「王太子殿下のお名前は――」
生徒が名簿を確認する。
「レオンハルト殿下で登録されています」
胸が少しだけ軽くなった。
まだ、私の隣はレオンの場所なのだ。
そう思った。
「ただ……」
「何か?」
「殿下の出席については、まだ最終的な確認が取れていないようです」
「……そう」
私は笑顔を作った。
「きっと、お忙しいだけよ」
◇
その日の夕方。
学園から帰ろうとしていた時だった。
「エレオノーラ嬢」
声をかけられた。
振り返ると、王宮の騎士が立っている。
「王太子殿下から、こちらを預かっております」
差し出されたのは、一通の手紙。
私はすぐに受け取った。
「ありがとうございます」
馬車に乗ってから、封を開く。
『卒業パーティーには、必ず行く』
その一文を見た瞬間。
胸がいっぱいになった。
「……レオン」
思わず笑みがこぼれる。
そして、その下には続きがあった。
『ただし、当日のエスコートについては、まだ約束できない』
「……え?」
笑顔が消えた。
理由は書かれていない。
ただ、それだけ。
私は手紙を握りしめた。
どうして?
王太子である以上、突然の公務が入ることはある。
それくらい分かっている。
けれど。
卒業パーティーだけは。
私にとって、特別な日だった。
レオンにとっても、そうだと思っていた。
◇
翌日。
私は廊下でレオンを見かけた。
久しぶりだった。
以前より少し痩せたように見える。
疲れている。
それでも、その姿を見ただけで胸が温かくなった。
「殿下」
私は声をかけた。
レオンが振り返る。
「……エレオノーラ嬢」
やはり、その呼び方。
「手紙をありがとうございました」
「ああ」
「卒業パーティーには来てくださるのですね」
「ああ。必ず行く」
「それなら……」
私は勇気を出した。
「私をエスコートしていただけませんか?」
レオンの表情が固まった。
「……それは」
「婚約者ですもの」
少しだけ笑う。
レオンは苦しそうに目を伏せた。
「すまない」
「……どうして?」
「俺には、王族として果たさなければならないことがある」
また、その言葉。
「それは、私よりも大切なことですか?」
レオンは答えなかった。
私はすぐに後悔した。
「……ごめんなさい。そんな聞き方をするつもりでは」
「エレオノーラ」
レオンが私を見る。
その瞳は、やはり悲しそうだった。
「俺を……恨んでくれていい」
「そんなこと……」
「俺を嫌いになってもいい」
「嫌いになれるわけがないでしょう!」
思わず声が大きくなる。
周囲の生徒たちがこちらを見る。
私は慌てて声を落とした。
「……私は、殿下を嫌いになったりしません」
「……そうか」
レオンは小さく笑った。
けれど、その笑顔は今にも泣き出しそうだった。
「ありがとう」
そして。
「卒業パーティーで、必ず会おう」
そう言って、レオンは去っていった。
私はその背中を見つめた。
どうして。
どうして、そんな顔をするの?
◇
その夜。
王宮の一室。
「殿下」
女性が静かに声をかける。
「エレオノーラ様には、何もお伝えしないのですね」
「……ああ」
「卒業パーティーまで、もう二週間もありません」
「分かっている」
レオンは窓の外を見た。
「だからこそ、急がなければならない」
「術式は、まだ完全ではありません」
「あと二週間ある」
「殿下」
女性の声が少しだけ強くなる。
「命を懸ける覚悟と、命を失うことは同じではありません」
レオンは黙った。
そして、静かに答える。
「……それでも俺は行く」
「王太子として?」
「違う」
レオンは目を閉じた。
「俺自身が、そうしたいんだ」
その胸の奥には、ただ一人の少女の姿があった。
エレノア。
自分が帰れなくなった後も。
どうか幸せに生きてほしい。
そう願いながら。
◇
卒業パーティーまで、あと二週間。
私はまだ知らなかった。
レオンが何のために王宮へ籠もっているのか。
あの女性が何者なのか。
そして――。
卒業パーティーの日に、私たちを待っている運命がどれほど大きなものなのかを。




