第七話 婚約者の知らない時間
卒業まで、あと三週間。
王立学園は、少しずつ卒業の日へ向けた空気に変わっていた。
廊下には卒業パーティーの案内が掲示され、生徒たちは卒業後の進路や将来について語り合っている。
私も、本来なら友人たちとそんな話をしていたはずだった。
けれど――。
私の頭の中にあるのは、いつも一つ。
レオンのことだった。
◇
「エレオノーラ様」
昼休み。
友人が私の隣に腰を下ろした。
「卒業パーティーのドレス、もう決めました?」
「まだよ」
「まあ。早く決めたほうがいいですよ」
「そうね」
私は曖昧に笑った。
卒業パーティー。
少し前までは、楽しみで仕方がなかった。
レオンが私をエスコートしてくれる。
その姿を想像するだけで、胸が温かくなった。
けれど今は。
本当に来てくれるのかさえ分からない。
「王太子殿下がエレオノーラ様をエスコートされるのでしょう?」
「……その予定だったわ」
「予定だった?」
「まだ、何も聞いていないの」
友人が不思議そうな顔をする。
「でも、お二人は婚約者でしょう?」
「そうね」
私はそれ以上答えられなかった。
◇
放課後。
私は図書室へ向かった。
少しでもレオンのことを考えない時間が欲しかった。
けれど。
静かな図書室に入った瞬間、机の上に見覚えのあるものが置かれているのに気づいた。
一枚の紙。
そこには王家の紋章が押されている。
「……?」
私は近づいた。
けれど、それを読む前に司書が慌ててやってきた。
「エレオノーラ様、それは――」
「これは?」
「申し訳ありません。まだ公開されていない書類です」
司書は慌てて紙を回収した。
「王宮から届いたものなのですが、学園には関係のないものですので」
「そうですか」
私は頷いた。
けれど。
その紙に書かれていた一文だけが、目に残っていた。
『王家の血を継ぐ者のみが――』
その先は見えなかった。
「……王家の血?」
私が呟くと、司書は一瞬だけ固まった。
「いえ。何でもありません」
明らかに様子がおかしい。
けれど、問い詰めることはできなかった。
王家の秘密に関わることなら、なおさらだ。
◇
その夜。
私は父に尋ねた。
「お父様。王家には、王族にしか扱えない特殊な術があるのでしょうか?」
父は本を閉じた。
「どうしてそんなことを聞く?」
「今日、学園で少し気になるものを見たのです」
「……そうか」
父はしばらく考えた。
「王家には、代々受け継がれている秘術がいくつかある」
「秘術……」
「ああ」
「どんなものなのですか?」
「それは私にも詳しくは分からない」
父はそれ以上話さなかった。
「ただ、エレオノーラ」
「はい」
「王家の秘術については、決して他人に尋ねないほうがいい」
「……分かりました」
私は頷いた。
けれど。
余計に気になってしまった。
◇
数日後。
私は王宮からの帰りと思われる馬車を、学園の窓から見つめていた。
あの女性が乗っている。
最近では、彼女が王宮にいることも珍しくなくなった。
そして、その女性の姿を見るたびに、私は思ってしまう。
レオンは今、何をしているのだろう。
何を教わっているのだろう。
どうして私には何も話してくれないのだろう。
そんな疑問が積み重なっていく。
◇
その頃。
王宮の地下深く。
人の気配がほとんどない、古い石造りの部屋。
レオンは一人、巨大な魔法陣の前に立っていた。
「……もう一度」
向かいに立つ女性が告げる。
「集中してください」
「ああ」
レオンが手を掲げる。
魔力が流れる。
魔法陣が淡く輝く。
しかし――。
次の瞬間。
魔法陣の一部が崩れた。
「っ……!」
レオンが膝をつく。
「殿下!」
「大丈夫だ」
女性が駆け寄る。
「まだ、身体が術式に馴染んでいません」
「分かっている」
レオンは息を整えた。
「もう一度やる」
「今日はここまでにしてください」
「駄目だ」
レオンは立ち上がる。
「時間がない」
女性は黙った。
「殿下……」
「俺には、時間がないんだ」
レオンは魔法陣を見つめた。
その目には、決意が宿っていた。
「だから、間に合わせる」
◇
その日の夜。
私は机の前に座り、卒業パーティーの案内状を眺めていた。
あと三週間。
レオンは言った。
『卒業パーティーの日まで、俺を待っていてくれ』
だから待つ。
今は、それしかできない。
私は引き出しから、一枚の紙を取り出した。
そこには、レオンへの手紙を書きかけていた。
『レオンへ』
そこから先が書けない。
私はペンを置いた。
「……ちゃんと話をしたい」
ただ、それだけだった。
責めたいわけではない。
疑いたいわけでもない。
ただ。
もう一度、昔のように笑って話したい。
それだけ。
私は手紙を大切にしまった。
そして、窓の外を見る。
王宮の明かりは、今夜も消えない。
その中でレオンが何をしているのか。
私には分からない。
けれど。
その知らない時間が、少しずつ私たちの距離を広げていることだけは、はっきりと感じていた。




