第四話 冷たい言葉
レオンから届いた手紙を、私は何度も読み返していた。
『卒業パーティーの日まで、俺を待っていてくれ』
たった一行。
けれど、その言葉を信じることにした。
待っていればいい。
卒業パーティーの日には、きっとレオンが戻ってくる。
そして、きちんと話をしてくれる。
そう思っていた。
――そう、思いたかった。
◇
それから二週間。
レオンは学園に一度も姿を見せなかった。
王宮からの面会制限も続いている。
手紙も、あれから届いていない。
けれど私は、レオンとの約束を守っていた。
余計なことを聞かず、騒がず、ただ待つ。
それが、今の私にできることだった。
そんなある日の放課後。
私はどうしてもレオンに渡したいものがあり、王宮へ向かった。
面会はできない。
それは分かっている。
だから、直接渡すつもりはなかった。
以前レオンが使っていた王宮の執務室に、手紙と小さな包みを届けてもらうだけ。
包みの中には、私が刺繍したハンカチが入っている。
少し早いけれど、卒業祝いのつもりだった。
王宮の門をくぐり、案内された廊下を歩く。
すると、奥から声が聞こえてきた。
「殿下、こちらの術式ですが――」
あの女性の声だった。
私は足を止めた。
しばらくすると、もう一つの声が聞こえる。
「分かった。もう一度やってみよう」
レオンだ。
会いたい。
ほんの少しだけでも、顔を見たい。
そう思ってしまった。
私は廊下の角から、そっと中を覗いた。
レオンが机に向かっている。
その隣には、あの女性が立っていた。
二人の間には見たこともない道具や書物が並べられている。
レオンは真剣な表情で、それらを見つめていた。
以前なら、私が近づけばすぐに気づいてくれた。
けれど今は、私の存在に気づいていない。
「殿下」
女性が何かを言う。
レオンが頷く。
その横顔は、とても疲れていた。
「……レオン」
思わず、小さく声が漏れた。
その瞬間。
レオンが顔を上げた。
目が合う。
「……エレノア?」
驚いた表情。
私は嬉しくなった。
「レオン」
思わず一歩、近づく。
「ごめんなさい。会いに来てはいけないと分かっていたのですけれど……」
「どうして来た?」
声が冷たかった。
私は足を止めた。
「……渡したいものがあって」
「今は困る」
「でも……」
「エレノア」
レオンが立ち上がる。
「何度言えば分かる?」
胸が痛んだ。
「俺は今、王命を受けている」
「分かっています」
「なら、どうして来た?」
「……」
答えられない。
ただ、会いたかった。
それだけだった。
「私は……」
言葉を探す。
「レオンの婚約者です」
「だから何だ?」
その言葉に、胸が凍りついた。
レオン自身も、言ってしまったことに気づいたようだった。
一瞬、表情が揺れる。
けれど、すぐに冷たい顔へ戻った。
「王太子の婚約者だからといって、何でも許されるわけではない」
「……そうですね」
声が震える。
「申し訳ありませんでした」
私は頭を下げた。
顔を上げることができない。
「もう、来ません」
そのまま踵を返した。
「エレノア」
背後から声がした。
私は足を止める。
もしかしたら。
謝ってくれるのではないか。
そう思った。
けれど。
「……いや、何でもない」
「……はい」
私はそのまま歩き出した。
◇
王宮を出た馬車の中。
私は窓の外を眺めていた。
王宮が遠ざかっていく。
目の奥が熱い。
泣いてはいけない。
そう思っているのに、涙が一粒だけ頬を伝った。
「私の何がいけなかったのかしら……」
誰にも聞こえない声で呟く。
あんな言葉をレオンから聞くなんて、思ってもいなかった。
婚約者だからといって、何でも許されるわけではない。
そんなことは分かっている。
私は王太子の婚約者である前に、一人の人間だ。
レオンだって、それを分かっているはずだった。
なのに。
どうして。
◇
その頃。
王宮の一室。
レオンは窓の外を見つめていた。
エレノアを乗せた馬車が、遠ざかっていく。
「……殿下」
隣にいた女性が声をかける。
レオンは答えない。
「追いかけなくてよろしいのですか?」
「……いい」
「ですが――」
「これでいいんだ」
レオンは拳を強く握った。
先ほどのエレノアの顔が、頭から離れない。
泣きそうな顔。
それでも、涙をこらえて笑おうとしていた。
「……最低だな、俺は」
誰にも聞こえないほど小さな声。
女性は何も言わなかった。
しばらくして、レオンが呟く。
「嫌われたほうがいい」
「なぜです?」
「俺が帰れなかった時、あいつが俺を待ち続けるようなことになってはいけない」
レオンは目を閉じた。
「俺のことなんて、忘れてくれればいい」
その言葉とは裏腹に。
彼の瞳には、今にも零れそうなほどの悲しみが浮かんでいた。
◇
その日を境に。
レオンは、私に対してさらに冷たくなった。
学園で顔を合わせることがあっても、必要な言葉しか交わさない。
人前では、まるで私がただの貴族令嬢であるかのように振る舞う。
「エレオノーラ嬢」
以前なら、
「エレノア」
と呼んでくれた名前。
その呼び方が変わっただけで、こんなにも遠く感じる。
私は笑顔を作った。
「はい、殿下」
私もまた、彼を「レオン」と呼ばなくなった。
それでも。
彼が私を見るたび、その瞳だけは悲しそうだった。
冷たい言葉とは正反対の瞳。
私は、その意味を知ることができなかった。




