第三話 王命という名の距離
レオンが学園に姿を見せなくなってから、一週間が過ぎた。
私は毎朝、教室の扉が開くたびに、無意識にそちらへ目を向けるようになっていた。
けれど、そこにレオンの姿が現れることはない。
最初の数日は、周囲も何も言わなかった。
けれど、一週間も経てば話題にならないはずもない。
「王太子殿下、ずっと王宮にいらっしゃるそうね」
「何か重要なお仕事があるみたいよ」
「それに、最近王宮に見慣れない女性が出入りしているとか……」
教室の隅から聞こえてくる声。
私は聞こえないふりをして、本を開いた。
ページの文字が、まるで頭に入ってこない。
王宮にいる女性。
レオンの周囲にいる女性。
そのことを考えるたび、胸の奥が落ち着かなくなる。
けれど、レオンを疑いたくはなかった。
私たちは幼い頃から一緒だった。
レオンが私を裏切るような人ではないことくらい、分かっている。
――そう、思いたかった。
◇
その日の放課後。
私は侯爵家へ戻るため、学園の正門へ向かっていた。
「エレオノーラ嬢」
突然、後ろから声をかけられた。
振り返る。
そこにいたのは、王宮から派遣された騎士だった。
「王宮から、伝言を預かっております」
「私に?」
「はい」
騎士は一礼し、一通の封書を差し出した。
王家の紋章。
私は驚きながら受け取る。
「殿下からですか?」
「いえ。王宮からの正式な伝達です」
胸がざわついた。
封を開く。
中に書かれていたのは、短い文章だった。
――王太子殿下への面会について、当面の間これを制限する。
それだけ。
「……どういうことですか?」
思わず騎士に尋ねた。
「申し訳ありません。私にも詳細は知らされておりません」
「ですが、私は殿下の婚約者です」
「承知しております」
騎士は困ったように目を伏せた。
「ですが、今回の件は王命によるものです」
王命。
その言葉に、私は何も言えなくなった。
「レオン殿下は……」
声が震える。
「お元気なのですか?」
「はい」
騎士は即答した。
「少なくとも、私が確認した限りでは」
少しだけ、胸が軽くなった。
生きている。
元気でいる。
それだけでも安心できる。
けれど――。
「どうして、私に会わせていただけないのでしょう」
「……それは」
騎士は口を閉ざした。
「私には申し上げられません」
「そうですか」
私は手紙を握りしめた。
王命。
その言葉が、重く胸に残った。
◇
その夜。
私は父の書斎を訪ねた。
「お父様」
「どうした、エレオノーラ」
「今日、王宮から面会制限の通達がありました」
父の表情が変わる。
「……そうか」
「何かご存じなのですか?」
「いや」
父はそう答えた。
けれど、その答え方が妙に引っかかった。
「本当に?」
「ああ」
少しの沈黙。
やがて父は、静かに言った。
「エレオノーラ。今回の件には、私たち貴族が知る必要のない事情がある」
「……」
「王家から命が出ている以上、それに従うしかない」
「でも……」
私は俯いた。
「レオンは、私に何も言ってくれません」
その言葉を口にした瞬間、胸が苦しくなった。
「以前は、何でも話してくれたのに」
父は何も言わなかった。
「私、何か悪いことをしたのでしょうか」
「エレオノーラ」
「もしそうなら、謝りたいのです」
「お前は何も悪くない」
父の声は優しかった。
「それだけは、私が保証する」
「……お父様」
「今は待ちなさい」
父はそれ以上、何も語らなかった。
◇
数日後。
王立学園からの帰り道。
私は馬車の窓から王宮を眺めていた。
その時だった。
王宮へ続く門の前に、一台の黒い馬車が停まっていた。
そこから、一人の女性が降りてくる。
長い黒髪。
深い色の外套。
顔立ちは遠くからでも分かるほど整っていた。
その女性を、王宮の騎士たちが恭しく迎えている。
「……あの方は?」
思わず呟いた。
御者に尋ねても、
「さあ……」
と首を傾げるだけだった。
女性は騎士たちに囲まれながら、王宮へ入っていく。
そして、その直後。
王宮の奥から、レオンが現れた。
「……!」
私は息を呑んだ。
馬車を止めてもらおうとした。
けれど、その前にレオンが女性のもとへ歩いていく。
二人は何か言葉を交わしている。
距離が遠くて、何を話しているのかは分からない。
ただ――。
女性がレオンに何かを告げると、レオンは真剣な表情で頷いた。
それだけだった。
それだけなのに。
胸の奥が、ひどく痛んだ。
「……レオン」
私は窓越しに彼を見つめた。
その時。
レオンがふと顔を上げた。
視線が重なる。
「……!」
一瞬、時間が止まったように感じた。
私は思わず笑顔になった。
けれど。
レオンは目を逸らした。
そして、その女性とともに王宮の中へ消えていった。
「……どうして?」
私は呟いた。
王命だから。
そう言われれば、それまでなのかもしれない。
王太子であるレオンには、私には分からない務めがある。
それも分かっている。
それでも。
あんなふうに目を逸らされる理由だけは、分からなかった。
◇
その夜。
王宮の一室。
「殿下」
静かな声が響く。
「まだ、あの方に真実をお伝えするおつもりはないのですね」
「……ああ」
レオンは窓の外を見つめた。
その視線の先には、遠く王都の夜景が広がっている。
「今は、何も知らないほうがいい」
「ですが――」
「俺が戻れなかった時、あいつに余計なものを背負わせたくない」
レオンは拳を握った。
「だから、これでいい」
そう言った声は、ひどく寂しげだった。
そして翌朝。
エレオノーラのもとに、レオンから一通の手紙が届いた。
以前なら必ず書かれていた、『愛している』という言葉は、そこにはなかった。
ただ一言。
『卒業パーティーの日まで、俺を待っていてくれ』
それだけが記されていた。




