第二話 突然変わった婚約者
レオンと卒業パーティーの約束をしてから、三週間ほどが過ぎた。
春の終わりを告げる風が、王都を穏やかに吹き抜けている。
王立学園では卒業試験の話題が増え、私たち最終学年の生徒たちは、残り少ない学園生活を惜しみながら日々を過ごしていた。
私は今日も、いつものように授業を終えた。
教室を出ようとした、その時だった。
「エレノア」
聞き慣れた声に振り返る。
「レオン」
そこには、王太子レオンハルト・アストリアが立っていた。
私は自然と笑顔になる。
いつものように、レオンが私を迎えに来てくれた。
そう思った。
けれど――。
「……少し、話がある」
レオンは笑っていなかった。
「どうしたのですか?」
「王宮から、急な命を受けた」
「王宮から?」
「ああ」
レオンは周囲を確認するように廊下を見渡した。
「ここでは話せない」
いつものレオンとは違う。
私は胸騒ぎを覚えた。
「何か、大変なことがあったのですか?」
「……そういうわけではない」
ほんの一瞬。
レオンの瞳が揺れた。
「ただ、しばらく王宮でやらなければならないことがある」
「どれくらいですか?」
「分からない」
「では、明日は?」
「それも……分からない」
私は黙り込んだ。
昨日までなら、こんなことはなかった。
明日の予定を聞けば、レオンはいつも笑って答えてくれた。
けれど今日は違う。
「レオン」
「なんだ?」
「私に話せないことなのですか?」
「ああ」
即答だった。
その言葉が、胸に刺さる。
「……婚約者の私にも?」
レオンは答えなかった。
しばらく沈黙したあと、低い声で言った。
「エレノア」
「はい」
「しばらく、俺に会いに来ないでくれ」
「……え?」
思わず聞き返した。
「どうしてですか?」
「今は、俺自身にも余裕がない」
「それなら、私は邪魔をしないようにします。少し顔を見るだけでも――」
「駄目だ」
強い声だった。
私は言葉を失った。
レオンが、こんな声を出すのを聞いたことがない。
「……分かりました」
ようやく、それだけを口にした。
「お仕事、頑張ってください」
「ああ」
レオンは短く答える。
そして私の横を通り過ぎていった。
私は、その背中を見つめた。
いつもなら。
別れ際には必ず振り返ってくれる。
けれど今日は、振り返らなかった。
「……レオン」
小さく呼んだ。
届いたかどうかは分からない。
そのまま彼の姿は廊下の向こうへ消えていった。
◇
それから数日。
レオンは学園に来なくなった。
王太子なのだから、学園を休むこと自体は珍しくない。
けれど、これまではどれほど忙しくても、短い時間を見つけて私に会いに来てくれた。
それが、なくなった。
手紙も来ない。
使いの者からの伝言もない。
私は何度も王宮へ手紙を書こうとした。
けれど、書き始めるたびに筆が止まった。
何を書けばいいのだろう。
なぜ会えないのか。
何があったのか。
聞きたいことはたくさんある。
けれど、レオンが話せないと言ったことを無理に聞くのもためらわれた。
「エレノア様」
昼休み。
友人が心配そうに声をかけてきた。
「最近、王太子殿下と何かあったのですか?」
「……どうして?」
「だって、以前は毎日のようにご一緒だったでしょう?」
「そうね」
私は笑おうとした。
「少し、お忙しいだけよ」
「そうですか?」
「ええ」
嘘だった。
でも、自分でも何が起きているのか分からないのだ。
答えようがなかった。
その日の放課後。
私は一人で学園の中庭にいた。
以前、レオンと二人でよく話をした場所。
花壇の前にあるベンチに腰を下ろす。
風に揺れる花を眺めながら、私は小さく息を吐いた。
「……どうして?」
何度考えても分からない。
私が何かしたのだろうか。
気づかないうちに、レオンを傷つけてしまったのだろうか。
けれど。
最後に見たレオンの顔が、頭から離れない。
あんなに冷たい言葉を口にしたのに。
あの時の瞳は――。
とても悲しそうだった。
まるで、私よりもレオン自身のほうが泣きそうな顔をしていた。
「……レオン」
私は胸元で両手を握った。
その時だった。
「エレノア様、ご存じですか?」
友人が駆け寄ってきた。
「何を?」
「王宮に、最近見慣れない女性が出入りしているそうです」
「女性?」
「ええ。かなり身分の高い方なのではないかって」
「どうして?」
「それが、王宮の騎士たちがその女性を特別扱いしているらしいんです」
私は黙った。
「どんな方なの?」
「そこまでは分からないそうです」
友人は首を傾げた。
「ただ、王太子殿下の周囲で見かけることが増えたとか」
「……そう」
胸の奥が、またざわついた。
けれど私は、それ以上尋ねなかった。
まだ何も分からない。
ただ一つ分かっているのは――。
レオンの身に、私には知らされていない何かが起きているということだけ。
◇
その夜。
私は自室の窓辺に立ち、王宮を眺めていた。
遠くに見える王宮には、いくつもの明かりが灯っている。
あの中に、レオンがいる。
けれど今の私には、その姿を見ることすらできない。
ほんの少し前まで。
卒業パーティーでは私を迎えに来ると約束してくれた。
卒業したら二人で旅行をしようと話してくれた。
結婚した後の未来まで、笑いながら語っていた。
それなのに。
どうして突然、こんなにも遠くなってしまったのだろう。
私は窓に手を添えた。
「……レオン」
返事はない。
当然だ。
ここに彼はいない。
それでも私は、王宮の明かりを見つめ続けた。
いつかきっと、理由を教えてくれる。
そう信じるしかなかった。
けれど――。
この時の私はまだ知らなかった。
レオンが私から距離を取るその理由を。
私が知ることになる真実を。




