第十四話 北の山脈
北の山脈へ入ってから、一週間。
王太子レオンハルト率いる一行は、険しい山道を進んでいた。
雪は深くなり、冷たい風が容赦なく吹きつけてくる。
馬はこれ以上進めない。
そのため、一行は徒歩で山を登っていた。
「足元に注意してください!」
先頭を歩く騎士が声を上げる。
「ああ」
レオンは返事をしながら、前方を見据えた。
ここまで来ると、魔物の姿も増えてきた。
普段なら人里に近づかないような魔物まで、山を下りてきている。
「……邪龍の影響か」
「おそらく」
魔女が答える。
「封印が弱まっていることで、周辺の魔力が乱れています」
「なら、やはり時間がないな」
「はい」
レオンは歩みを速めた。
◇
昼を少し過ぎた頃。
山道の先から、騎士が駆け戻ってきた。
「殿下!」
「どうした?」
「前方に魔物の群れです!」
「数は?」
「およそ三十!」
騎士たちの表情が引き締まる。
「迂回できるか?」
「難しいかと。道幅が狭く、別の道もありません」
レオンは剣に手を添えた。
「なら、ここで倒す」
「お待ちください」
魔女が口を挟んだ。
「殿下は、まだ戦う必要はありません」
「だが――」
「封印術のために魔力を温存してください」
レオンは一瞬黙った。
そして頷く。
「分かった」
騎士たちが前へ出る。
剣を抜く音が重なる。
「殿下はここに」
「頼む」
少数精鋭とはいえ、彼らは王国でも選りすぐりの騎士たちだった。
ほどなくして。
山中に剣戟の音が響き始めた。
レオンは後方で、その戦いを見守る。
自分も剣を抜いて加勢したい。
何度もそう思った。
だが。
今の自分には、別の役目がある。
邪龍を封じる。
そのために、ここまで来たのだ。
「……エレノア」
ふと、名前が口から漏れた。
無事に帰る。
そう約束した。
だから。
ここで倒れるわけにはいかない。
◇
戦闘が終わった。
騎士たちが戻ってくる。
「全て討伐しました!」
「ご苦労だった」
レオンは一人一人の顔を確認した。
幸い、大きな怪我をした者はいない。
「先へ進もう」
「はっ!」
一行は再び歩き始める。
しかし。
その直後だった。
地面が、わずかに揺れた。
「……?」
レオンが立ち止まる。
ゴゴゴゴ……。
低い音が山中に響く。
「地震か?」
「違います」
魔女が険しい顔をする。
「これは――」
山の奥。
黒い煙が、先ほどよりも濃くなっている。
「邪龍が、目を覚まし始めています」
「……!」
騎士たちの間に緊張が走る。
「まだ完全な復活ではないはずだろう?」
「はい」
「なら、なぜ?」
「封印が急速に弱まっています」
魔女が空を見上げる。
「想定より早い」
レオンは拳を握った。
「つまり?」
「時間がありません」
「……分かった」
レオンは前を向いた。
「急ぐぞ」
◇
その日の夕方。
一行は、巨大な岩壁の前に到着した。
そこには古い石碑が立っている。
長い年月によって風化しているが、刻まれた紋章だけははっきりと残っていた。
王家の紋章。
「ここが……」
レオンが石碑へ近づく。
「封印の入口です」
魔女が答える。
「この先に、邪龍がいます」
レオンは石碑に手を触れた。
冷たい。
だが。
その奥から、何かが伝わってくる。
巨大な力。
まるで山そのものが脈打っているようだった。
「……これが、邪龍」
「まだ本体ではありません」
「それでも、これほどか」
レオンは息を呑んだ。
これまで訓練してきた術式。
何度も頭に叩き込んだ手順。
それらが突然、現実味を帯びてきた。
もし失敗したら。
もし術式を維持できなかったら。
そんな考えが頭をよぎる。
魔女がレオンを見る。
「怖いですか?」
「……ああ」
レオンは素直に答えた。
「怖い」
魔女は驚かなかった。
「それでいいのです」
「そうなのか?」
「恐怖を知っている者ほど、慎重になれます」
レオンは少し笑った。
「なら、俺は十分慎重になれそうだ」
◇
夜。
野営地に火が焚かれている。
騎士たちは交代で休んでいた。
レオンは一人、少し離れた場所に座っている。
手には、小さな紙片。
そこに書かれているのは――。
エレオノーラの名前。
旅立つ前。
本人に知られないように、レオンが書いたものだった。
「……エレノア」
紙を握りしめる。
「俺は帰る」
小さく呟く。
「絶対に」
その時。
背後から声がした。
「殿下」
魔女だった。
「なんだ?」
「明日、封印の間へ向かいます」
「ああ」
「一度入れば、途中で戻ることはできません」
「分かっている」
「明日が、最後の準備になります」
レオンは立ち上がった。
「なら、今夜はしっかり休もう」
「はい」
魔女が去っていく。
レオンはもう一度、北の空を見上げた。
雲の向こう。
そこには王都がある。
そして。
自分を待っている人がいる。
「……待っていてくれ、エレノア」
レオンは静かに呟いた。
「必ず帰るから」
その夜。
北の山脈の奥深くで。
何か巨大なものが、ゆっくりと目を開いた。




