表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界を縫う〜江戸時代の幕末に生きた女性和裁士の生き様を描く物語〜  作者: 真星 紗夜(毎日投稿)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/20

06.外国の男たち


 その外国人の男は、背が高く、肩幅が広く、顎に短い無精ひげを蓄えていた。

 手に帳面と鉛筆を持っており、歩きながら何かを描いていた。

 

(歩きながら描くなんて、器用な人ね)

 

 男はヌイを見て、ぴたりと止まった。

 それから何かを英語で言った。

 早口で、ヌイには一言も聞き取れなかった。

 

「すみません、日本語で話せますか?」


「……スコシ」


 と男は日本語で言ってから、また英語で何かを言った。

 少し、というのが嘘だったのか、それとも日本語ではうまく伝えられないことがあったのか、判断がつかなかった。

 

 そこへ、背後から「失礼」という声がした。

 振り返ると、慶一郎が立っていた。

 

(また、慶一郎さんだ……)


 ヌイ自身が思った“また”という言葉は、“都合よく現れる”という意味と“また会えた”という意味と、両方あることに気づいた。

 どちらの意味がより強かったかは、考えないことにした。

 

「Mr. Wirgman」


 と慶一郎が英語で言った。


(もしかして、彼がワーグマンさん?)


 男が振り返り、慶一郎を見て笑顔になった。

 二人は知り合いなのだろうか。

 

「ヌイさん、この方はチャールズ・ワーグマンさんといって、イギリス人の画家です。

 今、とある雑誌の準備をされているそうで、あなたのことをスケッチしたいと言っています」


 と訳してくれた。

 

「雑誌……ですか?」

 

「横浜の居留地の方々に向けた、風刺と絵の雑誌だそうです。

 日本での暮らしや、時事のことを描いていきたいと話しています」


 ヌイはワーグマンを改めて見た。

 ワーグマンはすでに帳面を構えて、鉛筆を持ち、ヌイの着物をまじまじと観察していた。

 

「ちょっと待ってください。

 なんで私なんですか?」


 慶一郎が訳すと、ワーグマンはとても興奮した様子で、英語で話した。


「なるほど。『ハーバート洋裁店で腕の良い針子が働き始めたと、噂で聞いた。それが彼女である事は見れば分かる。いつか取材に行こうと思っていたが、その手間が省けた』と話しています」

 

 と慶一郎が訳してくれた。

 

「腕のいい、なんてそんな……。

 でも、恥ずかしいので顔は描かないでください。

 手元なら、構いません」

 

 慶一郎がそれを訳すと、ワーグマンが大きく笑った。

 何か言いながら、肩を揺らしている。

 

「なんで笑うのですか?」

 

「彼が笑っているのは褒めているからですよ」

 

 かすかに、慶一郎自身も笑っているような声だった。


 ヌイはしばらくワーグマンを見てから、「では」と言って路地の石垣に腰を下ろした。

 持っていた荷物から端切れと針を取り出して、縫い始めた。


「Amazing! The hands of working women are the most beautiful in the world!」

 

 ワーグマンが独り言のように何か言った。

 

「『素晴らしい』と言っています。

 『仕事をしている女性の手が一番美しい』とも」


 と慶一郎が訳した。

 

「お世辞でしょう」

 

「ワーグマンさんはお世辞を言わないことで有名です」


「本当ですか?」


「居留地では」


 その返答に、ヌイは少し笑った。

 

 スケッチが終わるまで、しばらくかかった。

 ワーグマンは何度も角度を変えながら、鉛筆を走らせていた。

 その間、ヌイは縫い続けた。

 西日が少しずつ色を変えていった。


 ◇

 

 終わってから、ワーグマンがヌイに向かって何かを言った。

 慶一郎が少し間を置いてから訳した。


「『描いた絵は残る。百年後も残る。あなたの針も、誰かの布の中に残る。どちらも同じだ』と言っていました」

 

(布の中に残る……)

 

 それは、亡くなった惣兵衛の仕事のことを言っているのか、と一瞬思った。

 クレアの夫が、遠い横浜から惣兵衛の仕立てを覚えていてくれた。

 それも、残る、ということかもしれない。

 

「……ありがとうございます」


 とヌイは言った。

 ワーグマンがにっこりして、帽子を持ち上げた。

 それから慶一郎に向かって早口で何かを言い、路地の向こうへ大股で歩き去った。

 

 ヌイと慶一郎は、二人きりになった。


 石垣に腰を下ろしたまま、ヌイは端切れを片付けた。

 針を針刺しに戻す。糸を巻き直す。一つひとつ丁寧にやる。

 急ぐことで慶一郎を追い払うような形にするのが、なんとなく気が引けた。

 

「慶一郎さんは、ワーグマンさんとは、お知り合いなのですか?」

 

「ええ、少し前からご縁があります」

 

「通訳として、ですか?」

 

「それもありますが、とても面白い方なので」

 

「面白い……。

 事件の場でもスケッチをされるような方が、ですか?」

 

「ご存知なのですね。

 私は、彼がそういう方だからこそ、面白いと感じたのかもしれません」

 

 と慶一郎は笑いながら言った。


「ヌイさんは、どう思いましたか?」

 

「何が、ですか?」

 

「描かれてみて、です」

 

 ヌイは少し考えた。


「正直、緊張していたので、よくわかりません。

 でも、“残る”と言われた言葉は少し刺さりました」

 

「刺さった、というのは」

 

「針が、という意味ではなくて……。

 いえ、針で刺されたような感覚かもしれません」


 と冗談混じりで言った。

 普段は冗談を言わないヌイだが、慶一郎と二人きりという状況が、そうさせたのかもしれない。

 しかし、慣れない冗談は、慶一郎にはいまひとつ伝わらなかった。

 ヌイの顔は赤くなった。

 

「えっと、それはどういう意味でしょうか?」


 本当に聞いている声だった。

 流したり、やり過ごしたりする感じがない。

 

「亡くなった父が縫った布が、まだ残っているんだなと気づかされました。

 それが、針で刺されたような感覚だったんです」

 

 少しの沈黙があった。

 

「ヌイさんのお父様の仕立てを、ミセス・クレアとそのご主人が覚えていた、という話は聞きました。

 それが、ここへ来ることになった縁なのですよね?」

 

「はい」

 

「では、お父様が残した縫い目が、私たちの関係を縫い合わせてくれたのかもしれませんね」

 

 慶一郎は簡単に言った。

 でも、簡単に言ったことが、余分な飾りのない分だけ、真っ直ぐに届いた。

 西日で石畳が赤く染まっていた。

 

「遅くなりましたね。お送りします」

 

「結構です。一人で戻れます」

 

「用心してほしいと言ったのは私ですから」

 

 と慶一郎が言った。

 

「……では、お願いします」


 言葉は少なかった。

 ヌイは、慶一郎の少し後ろを歩いた。

 

 どういうわけか背負っている荷物の感覚が、いつもより少し、はっきりとしていた。


 ◇


 そして翌日。時刻は正午過ぎ。

 荷降ろしが済んだばかりの埠頭に、潮と木材の匂いが混ざっていた。

 

 ヌイが糸の注文書を届けに行く途中、桟橋で一人の男が木箱の上に座っているのを見かけた。

 この頃になると、外国人はもう見慣れていたが、この男の褐色の肌は、他のどれとも違った。

 南の海を長く旅してきたような、太陽を深く吸い込んだような色だった。

 着ているものは西洋の船乗り風だったが、装飾品が独特で、貝を磨いたものと思しき首飾りをしていた。


「Aloha!」

 

 男がヌイに気づいて、にっこりとした。

 外国語で何かを言ったが、ヌイが知っている発音とは少し違った。

 

「すみません、日本語しか話せなくて」

 

 困っていると、後ろから足音がして「どうかしましたか」という声がした。

 振り返らなくてもわかった。慶一郎だった。

 

(この人は、また……)


「また、お力になれそうですね」

 

「聞こえていましたか? 私の心の声」

 

「顔に出ていました」

 

 ヌイは自分の頬に手を当てた。

 慶一郎はすでに男の方を向いて英語で話しかけていた。

 

 男が答えると、慶一郎の顔が少し変わった。

 何か、面白いことを聞いた時の顔だ、とヌイは思った。

 

「あの方は何と言っているのですか?」


 とヌイが聞くと、慶一郎がこちらを向いた。

 

「この方は、太平洋を渡って来られたそうです。

 アメリカの捕鯨船の乗組員で、ハワイという島に長く住んでいたと。

 ヌイさんはご存知ですか?」

 

「……ハワイ、聞いたことないです」

 

「ハワイは、南にある大きな島です。

 今はいろんな国の方が住んでいると聞いています」

 

 男がヌイを見て、また何か言った。

 今度は短かった。

 

「彼、『name』と言いましたか?」


 と慶一郎に聞いた。


「ヌイさん、いい耳してますね。

 彼はあなたの名前を聞きたいと言っています」

 

「私は、ヌイと申します」


 とヌイが答えると、男の表情が変わった。

 驚いた顔だったが、怖いとか悲しいとかではなく、何か思いがけないものを見つけた時の顔だった。

 

 男がゆっくりと立ち上がり、また言葉を続けた。


「The word "nui" is a Hawaiian word meaning……(“ヌイ”という言葉は、ハワイの言葉で……)」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ