05.斬殺
「また!? また殺されたの!?」
とカーリーが声を上げた。
ヌイは針を止めて、耳を傾けた。
「なんでも、江戸の東禅寺に置かれたイギリス公使館が夜中に襲撃されたらしい……!
松本藩士の伊藤軍兵衛という男が、イギリス兵を二名斬殺したんだ……」
「お父さん、東禅寺って、昨年の春の事件と同じ場所だよね?」
「ああ。わずか一年で、同じ場所で……」
「そんな……」
「いや、でも今回は少し違うかもしれん。
去年は、水戸藩の浪士が公使館に侵入して、イギリス人に重傷を負わせたが――今回は浪士ではなく、警備を任されていた日本の藩士がやったんだ。
つまり、イギリス人を守るために置かれていた人間が、イギリス人を殺したんだよ……!」
「そんなことって……、一体何が目的なの……?」
「伊藤は、東禅寺の警備によって自藩が多くの出費を強いられている事を煩わしく思っての犯行らしい。
イギリス公使を殺害して自藩に課せられた警備の任を解こうとしたって、巷で囁かれてる……」
それを聞いた時、ヌイには単純に、伊藤軍兵衛は悪い人間だとは思えなかった。
外国人を守るために藩の財が減り、日本人同士が争うことへの抵抗が、一人の人間をそこまで追い詰めたのだ。
(時代の流れが日本人を追い込んでいく……。
開国とは、そういう面もあるのかもしれない……)
そんなことを考えていると、カーリーの父は、店を出ようと扉に向かった。
「じゃあ、カーリー。お父さんは仕事に戻るが、危なくなったらすぐに引き上げる準備をしておけよ」
「……うん、わかった。お父さんも気をつけてね」
とカーリーは答えたが、その声は硬かった。
カーリーは作業台の前に座って、しばらく何も言わなかった。
ヌイは、声をかけるべきかどうか少し迷ったが、結局かけなかった。
今は言葉より、隣に座っていてあげることの方が大切な気がした。
しばらくして、カーリーが独り言のように言った。
「怖い……」
「そう……ですよね」
ヌイは周りに聞こえるか聞こえないかくらいの声で、そう言った。
すると、カーリーが針を置いて、ヌイの方を見る。
「ヌイは、別に怖くないでしょ?」
「……いえ、もちろん怖いです」
「日本人なのに?」
「日本人だから、怖いのかもしれません。
同じ日本人がそういうことをする。
それが、直接的な怖さではなく、少し違った怖さとなって胸に刺さります。針のように」
「そういう考え方、したことなかった。
私は、怖いって一言で終わってた。ヌイは怖くてもちゃんと考えてるんだね」
「針を動かしている間は、いろんなことを考えられます」
「ふふ……、ヌイは器用ね」
カーリーが小さく笑った。緊張が少しほぐれた。
奥からクレアが出てきて、二人の様子を見た。
そして、一度だけ頷いた。
「さぁ、今は仕事を続けましょう」
ヌイは余計なことは何も言わなかった。
それが一番正しい言葉のように思えたからだ。
◇
閉店後、クレアとヌイが片付けをしていると、店内にノックの音が響いた。
「すみません。本日はもう終わりでして……」
と言いながらクレアが扉を開けると――立っていたのは慶一郎だった。
着流しの裾に砂埃がついていた。
どこからか急いできた、ということだろう。
「夜分遅くに失礼します。
皆さんはご無事でしたか?」
と慶一郎がクレアとヌイを見て言った。
「ありがとう。でも、問題ないわ。
江戸の話だから、ここには直接の関係はないわ」
とクレアが答えた。
しかし、慶一郎は曇った顔のままだった。
「ただ、居留地の空気が変わります。
しばらくは一人での外出を控えてもらえると助かります。
もう一人、イギリス人の女性がいましたよね?
彼女にもそうお伝えください」
そして、慶一郎がヌイに目を向けた。
何か言おうとして、一拍止まった。
「ヌイさんも、用心してください」
それだけだった。
慶一郎は、すぐに出ていった。
他にも急ぐ場所があるらしかった。
(あの人は今日、どこを走り回っていたのだろう)
砂埃のついた裾を、なぜか目が追っていた。
「あの通詞さんは忙しい人なのね」
「幕府のお役目がおありなのでしょう」
「そうね。けど――」
と言い、少し間を置いた。
「――本当にそれだけなのかしら」
とクレアは独り言のように付け加えた。
その言葉の意味は、ヌイにもなんとなくわかっていた。
慶一郎は、何かを隠している感じがしていた。
◇
翌日、ヌイとカーリーは、いつも通り仕事をしながら雑談をしていた。
「ねえ、ヌイ知ってる?
ここの居留地で一番変わってるのはワーグマンって人らしいよ。
こないだ、お父さんが言ってた」
「ワーグマン……。どんな方ですか?」
「私やクレアと同じイギリス人で、とにかくずっと何かを描いてるの。
去年のイギリス公使館の事件も、現場に行って絵を描いたって聞いた。
逃げればいいのに、スケッチしてたなんて、どういう神経してるんだろう」
「その人は、絵を描いてどうするんですか?」
「ワーグマンは記者の真似事もしてて、その絵を“イラストレイテド・ロンドン・ニュース”っていう新聞を通して世界に発信したみたいよ。
本当、変わった人よね」
「世界に……」
カーリーは、面白おかしく話してくれたが、事件の渦中に立ちながら記録し続けたワーグマンの心情を、ヌイは容易に理解できた。
描かずにはいられない人間がいる。
縫わずにはいられない人間がいるように。
◇
それから数日後、居留地の外れの路地を、ヌイは一人で歩いていた。
クレアに頼まれた用事を済ませての帰り道だった。
石畳に夕日が斜めに落ちていた。
角を曲がったところで、前から歩いてきた人物と鉢合わせた。
「Oh, I wasn't looking. ゴメンナサイ!」
大きな外国人の男だった。




