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世界を縫う〜江戸時代の幕末に生きた女性和裁士の生き様を描く物語〜  作者: 真星 紗夜(毎日投稿)


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04.洋裁の本質


「あなたはまだ、洋服を着る人の体が見えていないわ」

 

 クレアにそう言われたのは、横浜に来て半月ほどが過ぎた頃だった。

 どこが悪いかを自分なりに考え続けて、何度も引き直した型紙をクレアに見せた。

 クレアは受け取って、しばらく見て、それからテーブルに置いた。

 

「和服は体を包み、洋服は体の形を作るわ」

 

 ヌイは黙って聞いた。

 

「ヌイさん、その違いはわかるかしら?」

 

「……まだ、表面的にしかわかりません」

 

「正直でよい。わかったふりをするよりはね」

 

 クレアはそのまま自分の仕事に戻った。

 ヌイに次の指示は出さなかった。

 

 ヌイはしばらく、作業台の前に立ったまま考えた。

 

 “包む”と“作る”。

 和服は、体を包む。布が人を抱くような構造だ。

 でも、洋服は、形を作る。

 体の丸みを、縫い目によって布に彫り込む。

 縫い目がなければ、洋服は形を持てない。

 

(始まりが違うのではなく、目的が違う……?)

 

 ヌイはそこで、ようやく自分が何を間違えていたかに気づいた。

 和裁の型紙を引く時、ヌイは「布をどう取るか」を考えていた。

 でも洋裁の型紙は「体をどう作るか」を考えなければならない。

 

 体の中心から外側へ、骨格から肌へ、筋肉の形から布の形へ――そういう順番で考える。

 それはつまり、人の体をよく知らなければ、型紙が引けないということだ。

 

 ヌイは作業台を離れて、店の奥へ向かった。

 

「クレアさん。……採寸を、してみたいです。

 体の形を、自分の手で確かめたいです」

 

 クレアが振り返った。

 今度は少し長く、ヌイを見た。

 

「ようやく気づいたわね」

 

「採寸、カーリーに頼んでみます」

 

 クレアは何も言わずに頷いた。


 ◇


 カーリーは喜んで引き受けてくれた。

 

「採寸って、メジャーで測るの?」

 

「それだけではありません。手で確かめます。

 どこがどう膨らんでいるか、どこがくびれているか、触らせてもらえますか?」

 

「ヌイの役に立てるなら、もちろんよ!」

 

 ヌイはカーリーの肩に手を置いた。

 肩甲骨の出方、鎖骨の角度、肩の丸み。

 次に背中。脊椎の走り方、肩から腰への曲線。

 ヌイは目を閉じて、手の感触だけで確かめた。

 

(和裁しか知らない時は、人の体をこんなに意識したことはなかった)

 

 布を通して人の体を見ていたつもりだが、体を直接手で触れたことはなかった。

 真剣に身体を触っていると、カーリーが笑った。

 

「ごめんなさい、くすぐったいですか?」

 

「ちょっとだけ。でも続けていいよ」

 

 腰回り。胸の位置。脚の付け根。


「やん……。そんな所……触っちゃ……」

 

 ヌイは全神経を指先に集中させていた。

 手を動かしながら、頭の中に線を引いていった。

 体の表面を手でなぞることが、型紙を引くことと繋がった。

 

(包むのではなく形を読む。洋服はそこから始まる)

 

 ヌイは目を開けた。

 

「ありがとう、カーリー」

 

「え、もう終わっちゃうの?」

 

「はい。わかりました」

 

「一回触っただけでわかるの?」

 

 とカーリーは目を丸くした。

 

「今、触っただけではありません。

 ここ最近、ずっと考えていましたから」

 

「どれくらい?」

 

「……そうですね。一週間以上は」

 

 カーリーが吹き出した。


「ヌイって、寝てる時も考えてそう」

 

「眠れない夜は、考えています」

 

「本当!? 日本人って、勤勉よねぇ」

 

 カーリーの笑い声が、店に響いた。


「じゃあ、ヌイ。私にも採寸させてよ!」


「それは、構いませんよ?」


「やった! じゃあ、遠慮なく……」


 その後、ヌイとカーリーはお互いの身体をくすぐったりして遊んでいたが、無事にクレアに見つかり、仲良く叱られた。


 ◇


 その夜、ヌイは型紙を引いた。

 昨日までとは違う手の動きだった。

 体の丸みを、先に頭の中に作ってから、そこへ線を当てていく。

 

 窓の外に、居留地の灯りがまばらに見えた。

 江戸の夜とは違う灯りだった。

 

 ヌイは手を止めて、窓の外を見た。

 今日、慶一郎と会った路地の方角を、なんとなく目で辿った。

 

(今日も、“また”と言っていた)

 

 その“また”が来るかどうかは、わからない。

 でも、来てほしいかどうかで言えば、それは……、と考えたところで、ヌイは首を振った。

 

 そういうことを考える暇はない。型紙がまだ途中だ。

 夜が更けても、ヌイの手は止まらなかった。


 ◇


 翌朝、クレアに型紙を見せた。

 クレアは受け取って、窓の光にかざした。

 初めて会った日に、縫い目を確かめた時と同じ動作だった。

 

「まだまだ直すところはあるけど、方向性は合っているわ」

 

「ありがとうございます!」

 

 頭を下げながら、惣兵衛の言葉が聞こえた気がした。

 

『布地の声を聞け……』

 

 ただ、洋裁に関しては、聞くべきは布地の声だけではなく、体の声もだった。

 人の体の声を聞いて、そこに布を合わせることが、洋裁だった。


 ◇


 それから、一ヶ月余りが経過した。

 横浜の初夏は、とにかく江戸とは匂いが違った。

 潮の気配が常にどこかにあって、それが朝の空気にも、昼の石畳にも、夕暮れの路地にも、滲んでいた。

 江戸の夏は泥臭い熱がこもっていたが、横浜の夏はその熱を海風が涼やかに持ち去っていった。

 

 新天地での生活も悪いことばかりではない。

 そう気づいたのは、窓を開けて仕事を始めた時だった。

 

 型紙を広げようとして、ふと手が止まった。

 部屋に風が入ってきた。濃い潮の匂いがした。

 そして、その匂いがなぜか惣兵衛の匂いと重なった。

 

 江戸の仕立て所の中で、時折、惣兵衛からこの匂いがしていた。

 惣兵衛は、薩摩の生まれだが、ヌイはそれを“薩摩の匂い”と勝手に決めていた。

 

「お父つぁんは、この潮の匂いを知っていたのかな……」


 独り言が漏れた。

 ヌイが薩摩の匂いだと思っていたのは、そもそも潮の匂いなのかもしれないと思った。

 

(横浜でもこの匂いを嗅げるなんて……。

 なんだか、近くでお父つぁんが見ててくれている気がする)

 

 窓から入る潮風に少しだけ目を細めて、ヌイは型紙に向かった。

 

 その時、カーリーの父が青い顔をして店内に飛び込んできた。


「大変だ! また東禅寺(とうぜんじ)でイギリス人が殺された……!」


 何かの聞き間違いであって欲しかった。

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