表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界を縫う〜江戸時代の幕末に生きた女性和裁士の生き様を描く物語〜  作者: 真星 紗夜(毎日投稿)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/20

03.運命の出会い


 横浜に来てから十日目、クレアのもとに客が来ていた。

 絹の仕立てを頼みたい、というオランダ人の商人で、通訳の女を伴っていた。

 ヌイは奥の作業台で縫い物をしながら、その声を半分聞いていた。

 

 しかし、問題が起きた。

 どうやら、通訳の女がクレアの言葉を訳せずにいるようだった。

 クレアの言葉には専門的な縫製(ほうせい)用語が含まれていたのだ。

 

 その時、店の扉が開いた。

 

「失礼します」

 

 と日本人の男が入ってきた。

 歳は二十代の半ばくらいだろう。

 背は高くもなく低くもなく、着流しに羽織、腰には脇差(わきざし)を差しており、特に目立つ風体ではなかった。

 ただ、こちらへ向かってくるその歩き方が、違った。

 無駄がなく、足音がほとんどしなかったのだ。


「Heeft u hulp nodig?(何か手伝いましょうか?)」

 

 男は商人と通訳を一目見て、すべてを理解したような顔をして、流暢な外国語で言った。

 オランダ語らしかった。


 男はクレアに向かって、今度は日本語で話し始めた。


「横から失礼いたしました。

 縫製用語を、通訳の方がご存じなかったようで、少しお手伝いを」

 

「ありがとう。おかげで助かりました」

 

「いえ、たまたま通りかかりましたので」

 

 クレアと商人の話が再開した。

 男が通訳に入り、会話は滑らかに進んでいる。

 

(あの男の人、何者なんだろう……)

 

 通訳をしているが、幕府の通詞というものは、もっと公的な場にいるのではないだろうか。

 この男が私たちのために、何の前触れもなく、通りすがりに手伝いをするというのは、不自然な気がした。

 

 話が終わって、商人が帰っていった。

 男も帰り際に「失礼しました」とクレアに言って、扉に向かった。

 

「……あ、あの」

 

 ヌイは、自分でもなぜ声をかけたのかわからなかった。

 その声に男が振り返り、目が合った。

 一重の、落ち着いた目だった。

 日本人の見慣れた目の色のはずだが、綺麗な瞳だった。


「なんでしょう? お嬢さん」

 

 声をかけたはいいが、何を話していいか自分でもわからなくなり、「助けてくれてありがとう」という旨の言葉を言った気がする。

 男はヌイの顔を一度見て、それから手元の縫い物を見た。

 

「いえ、お困りのように見えましたので」

 

「それだけですか?」

 

 聞いてから、少し後悔した。

 失礼な聞き方だったかもしれない。

 

「ええ、それだけです」

 

「あなたは、通詞の方ですか?」

 

「そんなところです。

 ご縁があれば、またお役に立てるかもしれません。

 それでは」


 嘘をついているようには聞こえなかったが、全部を言っているようにも聞こえなかった。

 そして、男は出て行った。

 

「ヌイさん、あの男性とお知り合いなの?」

 

 とクレアが聞いた。


「いえ、初めて見ました」


 クレアは「そうですか」と言って、仕事に戻った。

 ただ、ヌイは男の去り際の一言が、頭の隅に引っかかっていた。

 

(彼は“また”と言った。

 名前も知らない相手に“また”と言った……)

 

 それが形式的な言葉ではなかったような気がした。


 ◇


 その三日後。

 ヌイは、クレアに頼まれた糸を買いに街へ出ていた。

 そして、路地の角で前から歩いてきた人と正面からぶつかった。

 

「痛っ、ごめんなさい」


 と言い、顔を上げると、先日の男だった。

 

「……あれ、あの時の洋裁店の方ですよね?」

 

「あ、はい。偶然ですね。

 改めまして、先日はありがとうございました」

 

「いえ。その、名前を伺ってもよろしいですか?」


「わ、私のですか!?」


「あなた以外にいないでしょう?」

 

「そうですよね!

 えっと、私はヌイと申します。

 カタカナでヌイ、と」

 

「ヌイさん。素敵な名前だ。

 申し遅れました。私は慶一郎(けいいちろう)といいます」

 

「慶一郎様……」

 

「様はいりません」

 

「……では、慶一郎さん」

 

 慶一郎がうなずいた。

 歳の近い男性の名前を呼ぶのは、少し照れ臭かった。


「ヌイさんは、今はお仕事の途中でしたか?」

 

「買い物の帰りです。糸を」

 

「でしたら、この先の路地を行くといい。

 少し遠回りですが、石畳ですので、重い荷物を持ち歩くなら楽です」

 

「ありがとうございます。

 この辺り、詳しいのですね」


「仕事柄、この辺りを歩くことが多いので。

 それでは、また」

 

 と慶一郎は言って、歩き出した。

 今回も“また”と言われた事が、やはり気になった。

 

(でも、なんでこの人は、私にわざわざ道を教えてくれたのだろう)

 

 慶一郎は、ヌイの荷が重いということを、一目で見て取っていた。

 

(周りをよく観察している人だ)

 

 ヌイは歩きながら思った。

 自分も針仕事をしていると、細かいものを見るようになる。

 布の歪み、糸の緩み、指先の力の入り方。

 そういう細部を自然に拾う目が、仕事の中で育っていく。

 

 慶一郎の目も、私と同じく何かを細かく見ている人の目だ、と感じた。

 何を見ているのかは、わからなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ