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【奨励賞受賞】世界を縫う〜江戸時代の幕末に生きた女性和裁士の生き様を描く物語〜  作者: 真星 紗夜(毎日投稿)


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37.海の向こうからの知らせ


 明治六年の十二月。

 絹江が弟子入りして半年ほどが過ぎた日のこと。

 仮縫いの練習を終えた絹江が布を差し出した。


「お師匠、これはどうですか?」


 ヌイが受け取って確かめた。

 先月より、針目が均一になっていた。

 糸の引き具合が、布地の声を聞き始めている手の動きになっていた。


「よくなってきています」


「本当ですか?」


「もちろん、本当のことしか言いません」


「……嬉しいです」


「喜ぶのは早いですよ。まだまだ課題はあります」


「そ、そうですよね……」


 そこへ、扉が開いた。

 入ってきたのは、慶一郎だった。

 仕事の合間に寄った、という顔ではなかった。

 少し急いで来た足取りで、手に封書を持っていた。


「ヌイさん。ウィーンから、知らせが届きました。

 差出人は、ワーグマンさんの知人の記者のようですね」


 オーストリアのウィーンでの万国博覧会は、五月から十一月にかけて開かれていた。

 日本の職人の工芸品がいくつか出品されており、ヌイの和洋折衷のドレスも、ワーグマンの勧めで日本館に展示されていた。


「慶一郎さんが開けてください。

 私、緊張しちゃって……」


「わかりました」


 慶一郎が封を開けた。

 ドイツ語の新聞の切り抜きと、日本語の翻訳文が入っていた。


「では、読みます」


 慶一郎は翻訳文に目を落とした。


「神代ヌイのドレスは、日本館の出品物の中で、最も独創的な一着として紹介された、とあります。

 『東洋の技術と西洋の文化が、一本の糸で縫い合わされている。どちらの国にも属さず、しかしどちらでもある。これは新しい時代の服だ』だそうです」


 慶一郎が読み上げながら、声が変わっていった。


 ヌイは窓の方を向いた。

 横浜の港が、冬の光を受けていた。

 あの海の向こうに、ウィーンがある。

 見たことも行ったこともない街に、ヌイの一着が届いていた。


「お師匠、泣いてるんですか?」

 

「いえ、泣いてません」


 そう言ったヌイの目は、潤んでいた。


「お父つぁんの遺言は『お前の針で、日本と外国を繋ぐんじゃ――世界を縫え……』でした。

 それで、私は誓ったんです。

 私の針を、海の向こうまで届けてみせる、と。

 そして、私のドレスが、ウィーンまで届いていた……」


 窓の外の横浜の港を、もう一度見た。


 惣兵衛の故郷の薩摩の海と、横浜の海と――その向こうのヨーロッパの海まで、一本の糸が伸びている気がした。


 ◇

 

 明治七年になった頃から、商売の風向きが少し変わってきた。

 巷では、とにかく安い洋服が増えていた。

 横浜の市中に、ミシンで大量に作られた同じ形の洋服 服が、安い値段で売られている。

 “縫合”のドレスとほとんど同じ形のドレスが、半分以下の値段で手に入る。

 

 その影響は、じわりと来た。

 値段を聞いて「もう少し安くなりませんか?」と言って帰る客が出てきたのだ。

 

 今日は、カーリーが様子を見に来ていた。


「ヌイ、商売はどうする気?」


「どうするって、どういう意味ですか?」


「最近は、既製品の安い洋服が増えてるじゃん?

 いくらこだわりがあっても、お客さんからお金を戴かないと、続けることすらできなくない?」

 

「わかっています。

 でも、私は変えません。値段も、仕事の中身も。

 私の仕立ては、既製品と競うものではないと思っています」


「でも、お客さんが減れば……」


「減れば、減っただけの中で生きます。

 客を増やそうとして質を落とすことで、見失ってしまうものがあると思うんです。

 それは、私が最もやってはいけないことだと思っています」

 

「何を見失ってしまうの?」

 

「依頼主だけに合う最高の一着が、見えなくなります。

 既製品の値段に合わせようとすれば、一人ひとりの体の形より、速さと量を優先しなければならない。

 それは私の仕立てではないです」


「じゃあ、どうするの?」


「今のお客様を、大事にします。

 新しいお客様は、私の仕立てを必要とする人に来てもらえるように、仕事の質で示し続けます。それだけです」


「でも、お師匠。やっぱり値段は、お客様にとっても、大事だと思います」


 と絹江が正直に聞いた。

 

「私も、絹江さんやカーリーの意見も、正しいとは思っています。

 でも、一つだけ大事な信念があります」


「はい」

 

「私が絹江さんに基本的なことを教えるのに、一ヶ月以上もかかったのは、なんでだと思いますか?」


「私が上手くできなくて、何度もやり直しをしてしまったからです」


「いえ、絹江さんは、初めてにしては上手でした。

 でも、そのやり直しが、値段の中に入ってくるんです。

 これからお客様を担当するようになると、何度もやり直しをすると思います。

 下手だからやり直しをするのではありません。

 お客様の体に真摯に向き合えば、やり直しをするのは必然なのです」


「機械は……やり直しをしない……?」


 絹江は何かに気づいたような顔をした。

 

「そうです。機械は、一度で同じものを作ります。

 だから、その一度きりの縫い目は、着る人の体を知らない。

 つまり、値段を下げるということは、そのやり直しをなくすということです。

 でも、それは私にはなくせません。

 体に合わない服を作るのは、お客様に対して真摯ではない。

 だから値段は変えられません」

 

 絹江とカーリーは、しばらく黙った。

 

「お師匠の仕立ては、お客様一人ひとりのためのものなのですね。

 同じ人はいない。だから同じ服はできない。

 それが私たち“縫合”の仕立てなのですね」


「絹江さん、よくわかりましたね」


「私、“縫合”に来て、本当によかったです……!」

 

 ◇


 その年の秋、久しぶりに海舟から手紙が来た。

 慶一郎宛てだったが、末尾にヌイへの一言があった。

 

『ヌイさんへ。

 大阪から知らせが届いた。

 五代(ごだい)友厚(ともあつ)の知人の商人が、横浜の仕立て師のことを問い合わせてきた。

 “縫合”という店だと伝えておいた。

 仕事が来るかもしれない。

 勝海舟』

 

 ヌイは文を読んで、慶一郎に見せた。


「大阪からですか。

 五代さんが言った通りになりましたね。

 来たらどうするんですか?」


「もちろん受けます。

 でも、値段は変えません。

 最高の質でお迎えします。

 それが“縫合”の仕立てですから」

 

 ヌイは手紙を丁寧に畳んだ。

 慶一郎がいる。クレアがいる。カーリーがいる。

 絹江が学んでいる。イトが育っている。

 “縫合”という店に、人が集まっている。

 その事実を噛み締めた。

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