31.手の針目
「ねえヌイ! 私、ミシンを覚えてきたよ!」
とカーリーが嬉しそうに店に来たのは、翌週のことだった。
目が輝いていた。
「先週ずっと、あの店で少し教えてもらってたんだ〜!
速いわよ、本当に。
私が一日かけて縫う量が、一時間でできちゃうんだから!」
「そのようですね」
とヌイは言いながら、型紙に向かった。
「ヌイは、なんでミシンを習わないの?
あのお店の主人、快く貸してくれるじゃない?」
「それが……、まだ考えているんです」
「何を?」
「何をミシンで縫い、何を手で縫うかを」
「そんなの、速い方を使えばいいんじゃない?」
「私は、速さだけが全てじゃないと思うんです」
「どういうこと……?」
カーリーは真剣な顔で聞いた。
ふざけているのではなく、本当に聞いている顔だった。
「カーリー。あなたは布を縫う時、手に何を感じますか?」
「んー、右手は針を持っていて、左手は布の感触?」
「布の感触だけなら、ミシンを使っている時でも感じられます。
布の、どういった感触がわかりますか?」
「そうねぇ、布地と糸の……テンション?」
「そうです。
布の張りを感じながら、糸の引きを調整していますよね?」
「してる、かな? 意識はしてないけど」
「ミシンは、それを感じられないんです。
機械が一定のテンションで縫ってしまうから。
だから私は、体のカーブに合わせて張りを変える部分とか、肩の周りなんかの動きが出る部分は、ミシンに任せられないと思っているの」
「それって、ヌイの手が特別だからじゃない?
私はそんなに細かく感じてないから、ミシンと同じかもしれない」
ヌイは少し考えた。
「……そうかもしれません。
でも、感じていないつもりでも、手は自然と感じているはずです。
カーリーが意識していなくても、布地の声に合わせて手が動いている。
それがなくなった時に、初めて気づくんです」
「どうすればわかる?」
「ミシンで縫ったものと、手で縫ったものを、着てみれば少しわかるかもしれません。言葉より、体で」
「じゃあ試してみる!」
そうして、カーリーがミシンで縫ったブラウスと、手で縫ったブラウスを持ってきた。
「じゃあ、ヌイに問題で〜す!
どっちがミシンで縫ったブラウスでしょうか!」
「そんなの、一目見ただけでわかります。
こっちですよね?」
ヌイは片方のブラウスを指差した。
それは、針目が均一で綺麗だった。綺麗過ぎだった。
「ありゃ、流石に簡単だったか……」
「ちょっと触りますね」
触れると、ミシンで縫ったブラウスは、生地の端が少し固かった。
縫い目の糸が、布地を少し強く引いている部分がある。
機械のテンションが、この布地には強過ぎたのだ。
「じゃあ、ちょっと着てみてください」
カーリーは言われた通りブラウスを着た。
そして、鏡の前に立った。
「どうです?」
「んー、シルエットは綺麗よね?」
「そうですね、そこの違いはあまりないと思います。
でも、右腕を少し上げてみてください。
布が少し引っ張られませんか?」
「……あ、本当だ。なんか気持ち悪い感じがする」
「ミシンのテンションが強すぎて、布が引き気味になっています。
手縫いなら、ここだけ糸を緩めて調整できますが、ミシンには、それができない」
カーリーは、腕を上げたり下げたりしている。
「確かに、腕が動かしにくいね。
私が縫った下手なブラウスの方が、まだマシかもしれない」
「カーリーは下手なんかじゃないですよ。
でも、やはりミシンは脇の縫い目が動きを制限していますね」
「ヌイは最初からそれがわかってた?」
「すぐにわかったわけではありませんが、触った時から、少し気になっていました」
「ほんと、そういう感覚、どうやったら身につくの……」
「意識して縫い続けることしかないと思います。
カーリーは何年間も私と一緒にここで縫い物をしています。
きっと、まだ意識できていないだけです」
カーリーが鏡の前から離れて、ヌイの手元を見た。
「じゃあ、ヌイはミシンを使わないの?」
「そうとは言っていません。
使える部分は、あると思います」
「どこに使うの?」
「見えない部分の直線縫いと、量産するものの土台縫い。
それだけなら、ミシンで速くなった分だけ、大事な場所に時間を使えます」
「なるほど、じゃあ私はミシンを覚えたまま、手縫いも続ける!」
「両方できれば、間違いないです」
二人で顔を見合わせた。
◇
季節は変わり、冬の夜。
慶一郎は、仕事から帰ってくるなり、嬉しそうに話をし始めた。
「ヌイさん、聞きましたか?
正式に制度でも認められました、私たちの結婚が」
「また何か決まりごとが変わったのですか?
明治になってから、日本はどんどん変わっていきますね」
「そうなんですよ。身分制度の改革が進んで、武家と平民の間の結婚が正式に制度として認められたんです!
だからもう、私たちも堂々としていいんです!」
「別に、こそこそ隠れていたわけではないですよ」
「まあ、それもそうですね」
と慶一郎が笑った。
「あ、慶一郎さん。
今の話とは関係ないのですが、お義母様からこの店宛てに、薩摩の絹が少し送られてきました」
「絹を、ですか。
母上はすっかりヌイさんの事を気に入ったみたいですね。
遠くてなかなか会えないことだけが、残念でなりません」
「はい。イトがもう少し大きくなったら、三人で長崎へご挨拶に行きましょう。
今はとりあえず、お返事を書きますね」
「はい。そうしてください」
チエが送ってきた薩摩の絹――それは言葉ではない。
でも、ヌイには何かが伝わった気がした。
(私の仕事を、お義母様が見ている……)
針を動かした。
その一針が、少しだけ丁寧になった。




