第66話 20時42分 ふたりは
ダイブポッドの、ハッチが開く。
時刻は、20時42分。準決勝の熱気が、まだ、会場に残っている。
真白ましろは、ゆっくりと、身を起こした。
あの戦いの、熱が。まだ、指先に、残っている。
同じ部屋の、隣のポッド。
遠野凪も、ちょうど、起き上がったところだった。左腕を失った感覚――VRの余韻で、彼は無意識に、自分の左腕をさすっている。
「……お疲れ」
真白が、声をかけた。
「ええ。あなたも」
凪が、いつもの、穏やかな顔で、応える。
真白は、その顔を、見た。
さっきまで、あの黒い翼を広げて、自分を追い詰めた男。天然で、鈍くて、機体のことばかり考えている、この男が。
――あれは、あなたでした。
その一言が、まだ、耳の奥で、響いている。
(……ずるいって、ほんと)
真白は、思わず、顔を、逸らした。
なぜだか、まっすぐ、見ていられなかった。
「……ねえ、凪」
「はい?」
「決勝、迅でしょ。……次、すぐなんだよね」
「ええ。少し休憩を挟んだら、すぐです」
決勝は、同じ夜。準決勝を終えたばかりの、この流れのまま、頂上決戦へと、雪崩れ込む。
真白は、立ち上がって、凪の前に、立った。
いつもの、気怠げな表情。だが、その目は、まっすぐ、凪を捉えている。
「あたしを倒したんだから。……負けんなよ」
凪は、少しだけ、目を見開いて。
それから、静かに、笑った。
「……ええ。勝ちます」
迷いのない、返事だった。
真白の胸が、また、小さく、跳ねた。
(……あー、もう)
この感じ。この、まっすぐさ。
勝ったのも、負けたのも、機体を作ったのも、乗ったのも。全部、この男と一緒だった。
負けたはずなのに。
悔しさより、もっと、別の何かが、胸を、占めていた。
(……ずるい)
また、胸が、鳴った。
「……勝ってきなよ」
真白は、それだけ言って、背を向けた。
赤くなった顔を、見られないように。
◇
準決勝・第二試合は、その夜のうちに、伝説になった。
配信のアーカイブは、爆発的に、再生された。
SNSは、あの一戦の話題で、埋め尽くされていた。
『作り手が乗り手を倒す試合、こんなの初めて見た』
『最後の「あなたでした」で泣いた』
『しろっぷの深化、負けたのに美しすぎる』
『底力の速度やばすぎ。あれ人間が反応できるの?』
『準決勝が事実上の決勝だろこれ』
勝った凪だけでなく、敗れた真白にも、称賛が、殺到していた。
あの深化の美しさ。時間切れ間際の、鬼気迫る全力の突撃。負けてなお、観る者の心を掴んで離さない戦いだった。
◇
その頃。
敗退した、あるいは観戦していた、プレイヤーたちも。
あの試合を、それぞれの場所で、噛みしめていた。
戦神覇王は、モニターの前で、拳を握っていた。
「……つっよ。なんだよ、あの翼」
凪に敗れた、あの少年。悔しさよりも、その目は、爛々と、輝いていた。
「次は、俺が、あれをぶっ倒す。……兄ちゃん、もっといい機体、作ってくれよな」
隣で、兄のシモーネが、静かに、頷いた。
◇
周李龍は、一人、天井を見上げていた。
「……理解度、か」
理論の男は、あの決着を、何度も、反芻していた。
機体を、誰よりも理解する。乗り手を、誰よりも理解する。それは、理論では、到達できない領域だった。
「僕には、まだ、足りないものがある」
悔しさの中に、確かな、道標が、見えていた。
周李龍は、静かに、モニターへ、向き直った。
「……決勝で、あの二人が、どこまで行くのか。見届けよう」
◇
マセガキィは、椅子を、後ろに倒して、ふんぞり返っていた。
「……ちっ。しろっぷに勝ったのが、あの凪ってのが、気に入らねぇな」
しろっぷに敗れた、格ゲーマー。だが、その口元は、笑っていた。
「まあいい。……あいつら、二人まとめて、次は俺が食ってやる」
最適解を選ばない男は、次の獲物を、もう、見据えていた。
◇
そして。
迅・ソニックは。
控室で、あの試合の、アーカイブを、眺めていた。
凪の、底力。あの黒い翼。左腕を失ってなお、深化を上回った、超高速。
そして、しろっぷの、深化。あの美しい異形と、戦えなかったことが。少しだけ、惜しかった。
「クリサリスとも、やってみたかったんだけどなあ」
迅は、軽い調子で、そう呟いた。
だが、その目は、既に、凪へと、向いている。
「まあいいや。……あの機体を作って、あの底力で戦う男が、決勝の相手か」
爽やかな顔の奥に、隠しきれない、闘志が、滲む。
「……面白そうじゃん。久しぶりに、本気で、やれそうだ」
迅は、立ち上がった。
その足取りには、これから頂上決戦へ向かう者の、静かな高揚が、あった。
◇
休憩時間の、終わりが、近づく。
会場に、アナウンスが、響いた。
『――お待たせいたしました! まもなく、決勝戦を、開始いたしますッ!!』
『日本大会、最後の一戦!』
『迅・ソニック、対、凪ッ!!』
『予選無敗の絶対王者と、環境を破壊した裏方ビルダー。……この二人が、頂点を懸けて、激突しますッ!!』
決勝の、幕が。
もうすぐ、上がる。




