第65話 最高傑作
深化・残り時間。
00:09。
しろっぷの全身から、鱗粉の光が、噴き上がった。
残り時間を、すべて注ぎ込む。防御を、捨てる。
六本の脚。三本の尾。四枚の翼。副腕。
その全てを、たった一撃に、収束させる。
「これで――決めるッ!!」
深化したイマーゴが、渾身の突撃を、放った。
全部位を、凪一点へと、叩きつける。時間切れ前の、最大にして最後の一撃。
これが当たれば、凪のHPは、消し飛ぶ。
HP8%の堕天使に、避ける余地は、ないように見えた。
◇
だが。
凪の目は、その突撃の、たった一点を、見ていた。
しろっぷが、最大の一撃を放つ、その瞬間。
右の副腕が、他の部位より、ほんの一拍だけ、遅れて動く。
癖だった。
設計には、ない。凪が図面に描いた、クリサリスの挙動には、存在しない。
しろっぷが、この機体に乗り続ける中で、無意識に身につけた――乗り手だけの、癖。
全力を出すとき。しろっぷは、必ず、右の副腕を、最後に振る。
凪は、それを、知っていた。
何度も、隣で見てきた。マセガキィ戦も。戦神覇王戦の観戦中も。この試合の、無数の攻防の中でも。
ずっと、しろっぷを、見続けてきた。
だから、気づいていた。
彼女だけの、その癖に。
(……ようやく、見つけました)
◇
凪が、動いた。
しろっぷの、最後に振られる右副腕。その一拍の遅れが生む、渾身の一撃の、たった一つの綻び。
凪は、黒い翼を、畳んだ。
加速ではなく、最小限の動きで。突撃の、その綻びへと、身を、滑り込ませる。
イマーゴの全部位が、凪のいた場所を、抉った。
六本の脚が地を砕き、三本の尾が空を薙ぎ、四枚の翼が爆風を起こす。
だが、そのどれもが、凪を、捉えていなかった。
癖の生んだ、一拍の隙。
凪は、その隙間を、通り抜けていた。
◇
「……え?」
しろっぷの声が、漏れた。
全力を、出し切った。防御も、捨てた。その一撃を――躱された。
そして。
深化・残り時間。
00:00。
時間切れ。
しろっぷの全身から、深化の光が、抜けていく。
四枚の翼が、六本の脚が、三本の尾が、崩れ、通常のクリサリス・ヴァリアントへと、戻っていく。
全力を出し切った、その直後の、無防備。
◇
凪は、しろっぷの、目の前にいた。
右手のピラリスを、握りしめて。
「……あんた」
しろっぷが、凪を見た。
「あたしの、動き……読んでた」
『……ええ』
凪が、静かに、応えた。
『全力を出すとき。あなたは、必ず、右の副腕を、最後に振る。……設計には、ない癖です。あなたが、乗り続けて、身につけた、あなただけの動き』
「……なんで、そんなの」
『……ようやく、分かったんです』
凪の声には、勝利の高揚ではなく。
どこか、静かな、慈しみのようなものが、あった。
「……何が」
『あなたです』
「……」
『あなたが、どういう時に、笑うのか。どういう時に、本気になるのか。……どういう時に、全部を、賭けるのか』
凪は、まっすぐ、しろっぷを見ていた。
『ずっと、見てきました。……だから、分かった。あの癖は、その、証拠です』
『僕が勝てたとしたら――機体を作ったからでも、設計者だったからでもない。……あなたを、理解したからです』
◇
ピラリスが、閃いた。
漆黒のオーラを纏った杭が、通常状態に戻ったクリサリスの――少女の、頭部を、貫いた。
ドゴッ。
クリサリス・ヴァリアントのHPゲージが、一気に、ゼロへと、墜ちていく。
『――Winner, 凪』
◇
会場が、静まり返っていた。
あまりの決着に、歓声すら、一瞬、遅れた。
そして。
地鳴りのような、大歓声が、会場を、揺るがした。
『決着ゥゥッ!! 凪選手、勝利ッ!! 準決勝、突破ッ!!』
『……とんでもないものを、見ましたよ』
迫力雀士の声が、震えていた。
『あの機体を作ったのは、凪選手です。でも、勝敗を分けたのは、設計じゃなかった。……乗り手であるしろっぷ選手が、自分で身につけた「癖」。それを、凪選手が、見抜いた。作り手が、乗り手を、誰よりも見ていた。……そういう、勝利だったんです』
◇
光の粒子になって、崩れていく、クリサリス・ヴァリアント。
凪の黒い翼も、底力が解けて、消えていく。
二人の機体は、どちらも、ボロボロだった。
凪は、左腕を失い、満身創痍。しろっぷのクリサリスは、頭部を貫かれ、光になって、散っていく。
その、崩れゆくクリサリスを。
凪は、まず、見上げた。
倒したしろっぷ本人よりも、先に。
自分が作り、しろっぷが極限まで乗りこなした、その機体を。
『……最後まで、美しかったです』
崩れゆく異形へ、凪は、静かに、そう語りかけた。
◇
リザルト画面。
しろっぷの声が、聞こえた。
「……あたしじゃなくて、機体に言うんだ」
その声は、拗ねているようで、どこか、笑っていた。
凪は、少しだけ、考えてから。
『……違います』
「え?」
『あれは』
一拍。
『あなたでした』
しろっぷが、言葉を、失った。
◇
しばらく、沈黙が、あった。
やがて、しろっぷが、口を開いた。
「ねえ、凪」
『はい』
「今の、クリサリス」
その声は、いつもの気怠さの奥に、ほんの少しだけ、緊張を、滲ませていた。
「……最高だった?」
凪は、迷わなかった。
『はい』
はっきりと、そう答えた。
『あなたが乗った、クリサリス・ヴァリアントは』
一拍。
『間違いなく――僕の、最高傑作でした』
しろっぷは、しばらく、黙っていた。
その言葉を、何度も、心の中で、繰り返すように。
それから。
「……なら、いっか」
小さく、そう言って。
笑った。
いつもの、気怠げな笑みではなく。
心の底から、嬉しそうな、笑顔で。
◇
準決勝・第二試合、勝者、凪。
決勝の舞台へ進むのは、凪と、迅・ソニック。
作り手と乗り手、二人で一つの最強。
その片割れを、自らの手で、乗り越えて。
凪は、決勝へと、駒を進めた。
だが、今この瞬間だけは。
勝敗も、決勝も、頭になかった。
ただ、最高の相手と、最高の機体と、最高の時間を過ごせたことを。
凪は、静かに、噛みしめていた。




