第64話 凪VSしろっぷ②
梢を蹴った二つの影が、木漏れ日の中で交錯する。
その途中で、しろっぷの全身が、光を帯びた。
「手数で決まらないなら――こっちで行くよ」
クリサリス・ヴァリアントの輪郭が、書き換わっていく。
少女の上半身に、四枚の蝶の翼。地を駆ける六本の脚。三本の鞭尾。全身から零れる、鱗粉の光。
深化。イマーゴ。
『出たァッ!! しろっぷ選手、深化ッ!!』
『……これは、狙いが見えますね。深化には、制限時間がある。その時間内に、一気に削り切る気ですよ。……凪選手に、底力を発動させる前に』
凪は、梢の上から、その姿を、見つめていた。
木漏れ日を透かす、四枚の翼。零れ落ちる鱗粉が、森の光の中で、きらきらと舞っている。
(……本当に、ここまで来たんですね)
この深化形態を設計したのは、凪だ。だが、今、目の前で舞う異形は、凪が図面に描いたものを、遥かに超えていた。
しろっぷが乗り、しろっぷが動かし、この機体に、命を吹き込んでいる。
(……ありがとうございます。ここまで、この子を、乗りこなしてくれて)
感謝に、近い感情だった。
だが、それはそれとして。
(あなたの狙いは、分かっています)
自分のHPが10%を切れば、底力が発動する。しろっぷは、それを、させたくない。だから、その手前で、深化の火力で、一気に沈める気だ。
(させないつもりなら――簡単には、落ちません)
◇
深化したイマーゴが、動いた。
六本の脚が地を蹴り、四枚の翼が空を掴む。三本の鞭尾が、別々の軌道で襲いかかる。副腕が薙ぎ、翼が鱗粉を撒く。
物量の、暴力。
凪は、糸で梢を渡りながら、その全てを捌いた。
(――全部、僕が作った動きだ)
どの部位が、どのタイミングで動くか。設計した本人だからこそ、この物量の中でも、次の一手が見える。
『捌いてるッ!! 凪選手、あの物量を捌いてますッ!!』
『でも、押されてる。じりじり削られてる……!』
HP。凪、3割。しろっぷ、4割5分。
その時。
凪が、イマーゴの副腕を、ピラリスで受けた。
深化の出力が乗った一撃が、凪の想定を、わずかに超える。
ガキィンッ!!
ピラリスが、凪の手から、弾き飛ばされた。
巨大な杭が、回転しながら、森の空高くへ、舞い上がっていく。
「……あ」
しろっぷの声が、漏れた。狙ったわけではない。偶然、弾いてしまった。
だが、結果として、凪は、武器を失った。
『ピラリスが弾かれたァッ!! 凪選手、丸腰ですッ!!』
武器を失った凪へ、イマーゴの猛攻が、集中する。
三本の鞭尾。副腕。翼。鱗粉。
凪は糸だけで凌ぐが、受けが追いつかない。
HP、2割。1割5分。
じりじりと、底力ラインへ、近づいていく。
だが、しろっぷは、ここで、勝負を決めにきた。
底力ラインの、手前で。
四枚の翼を広げ、全ての鱗粉を、凪へと収束させる。
最大火力の、一撃。
これが当たれば、凪は、底力を出す間もなく、沈む。
『しろっぷ選手、とどめだァッ!!』
誰もが、そう思った。
これで、終わる、と。
◇
最大火力の鱗粉が、凪へと、殺到する。
その、瞬間。
しろっぷの動きが、ほんの一瞬。
止まった。
(――もう、終わっちゃうの?)
無意識だった。
この、凪との戦い。互いを知り尽くした二人の、命を削る読み合い。それが、あまりに楽しくて。
深化と底力を、正面からぶつけたかった。あの黒い翼と、戦ってみたかった。
その気持ちが、意思とは無関係に、一瞬だけ、とどめの手を、鈍らせた。
ほんの、コンマ数秒。
だが、この戦いにおいて、それは。
致命的な、隙だった。
◇
控室のモニターの前。
周李龍が、目を細めた。
「……今、止まったか」
その隣で、勝ち上がったばかりの迅も、静かに頷いた。
「ええ。……しろっぷさん、一瞬、迷いましたね」
二人の目は、その一瞬の綻びを、見逃さなかった。
◇
鈍った鱗粉の収束の、わずかな隙。
凪は、その隙間を、糸で縫って、抜けた。
最大火力の爆発が、凪のいた場所を、空しく焼く。
凪は、しろっぷの側面へ、回り込んでいた。
「……凪」
しろっぷが、我に返る。
『……迷わないでいてくれたら、よかったのに』
凪の声は、静かだった。
『今の一撃。……避ける気は、ありませんでした』
「……え?」
『糸で、威力だけを調整して、あえて受ける。そうすれば、HPを、ちょうど底力ラインまで、落とせたんです』
しろっぷが、凪の周囲に、幾重にも網のように巻かれた糸を見た。防御ではなく、威力を「調整」するための、緩衝材。
しろっぷは、倒し切るために、撃った。
凪は、あえて受けて、覚醒するために、待っていた。
だが、しろっぷが、無意識に手を鈍らせたことで。
凪は、その、絶好の機会を、逃していた。
「……そっか」
しろっぷは、それ以上、言わなかった。
自分が、なぜ迷ったのか。それを、口にするのは、なんだか、癪だった。
◇
「……しろっぷ」
凪が、口を開いた。
『このゲームの、底力システムって、漫画から来てるらしいんです』
「知ってる」
『ピンチで、主人公が覚醒する。あれを、システムにした。……だから、面白い仕様があって。自分で自分を傷つけても、底力は、発動しないんですよ』
「うん。知ってるよ」
しろっぷが、気怠げに答えた。
「だから、底力の調整が、難しいんでしょ。自傷でHP減らして発動、なんてズルは、できないように」
『……ええ。その通りです』
凪が、静かに、左腕を、掲げた。
『では、一つ、説明を』
その頭上。
弾かれて舞い上がっていたピラリスが、放物線を描いて、落ちてくる。
ちょうど、凪の、真上へ。
『このゲームで――武器による攻撃の判定は』
落下する、巨大な杭。
『最後に、その武器に触れた人からの、ものになるんです』
凪は、掲げた左腕を、引かなかった。
ピラリスが、凪の左腕を、貫いた。




