19時27分 会場にて
凪vs戦神覇王の試合が終わり、本選1回戦は、すべて幕を閉じた。
準決勝までの、短い休憩時間。
会場のボルテージは、まだ冷めきっていない。だが、選手たちは束の間の休息のために、それぞれの控室や休憩スペースへと散っていた。
その合間の、静かな時間。
凪は、会場の外れにある休憩スペースのベンチに、一人で座っていた。
自販機の明かりだけが灯る、薄暗い空間。窓の外には、夜の街の灯りが広がっている。
「こんなとこにいたんだ」
声に振り返ると、真白がいた。
缶のお茶を二つ持って、気怠げに歩いてくる。
「ほら」
一つを、凪に差し出した。
「……ありがとうございます」
凪が受け取ると、真白は隣に、少し間を空けて腰を下ろした。
しばらく、二人とも、何も言わなかった。
自販機の低い駆動音と、遠くの会場のざわめきだけが、夜に溶けている。
先に口を開いたのは、真白だった。
「やっと見せたね。底力」
「……ええ」
「会場、すごい騒ぎだったよ。みんな、あんたがロボット型だと思ってたから」
凪は、缶のお茶を、両手で包んだ。
「……隠しているのも、これで終わりです。準決勝では、底力を警戒されるでしょうから」
「でしょうね」
真白は、足をぶらぶらさせながら、夜の街を眺めていた。
「戦神覇王、強かったでしょ」
「……ええ。正直、底力を出さなければ、負けていました」
「ふーん。でも、勝った」
「……ええ。勝ちました」
真白は、缶のお茶を、一口飲んだ。
それから、夜空を見上げたまま、ぽつりと言った。
「……あたしさ。あんたの試合、見てて、ちょっと悔しかったんだよね」
「……悔しい?」
意外な言葉に、凪が振り返った。
「うん。あんたが、あたしの知らないところで、あんなに必死に戦ってたの。底力出して、ボロボロになって、それでも勝ったの。……あたし、それ、隣で見てるだけだった」
真白の声は、いつもの気怠げな調子のまま。
だが、その奥に、普段は見せない熱が滲んでいた。
「あたしの機体、あんたが作ってくれた。あたしの戦い方も、あんたが引き出してくれた。なのに、あんたが一番輝いてる瞬間に、あたしは、ただの観客でさ」
「……」
「だから、悔しかった。……でも、それ以上に」
真白が、缶を握る手に、少しだけ力を込めた。
「嬉しかったんだよ。あんたが、ちゃんと、強かったから」
悔しさと、嬉しさ。
相反する感情が、混ざり合って、真白の言葉になっていた。
凪は、その言葉を、しばらく、噛みしめていた。
それから、口を開いた。
「……あなたの深化、今日も、見ていました」
「ん?」
「マセガキィ戦の、イマーゴ。……あの姿が、僕は、好きなんです」
「……は?」
真白の足が、止まった。
凪は、夜の街の灯りを見つめたまま、言葉を続けた。
口説くでも、気を引くでもなく。ただ、心に浮かんだことを、そのまま。
「翼が4枚に広がって、下半身の脚が地を駆けて。鱗粉が舞って。優雅で、凶暴で、不気味で。……誰も見たことのない、あなただけの異形だ」
凪の声は、静かだった。
「僕は、たくさんの機体を作ってきました。でも、あなたのクリサリスほど、美しいと思った機体は、ない。……あれを動かすあなたを見ると、作ってよかったと、心から思うんです」
「……」
真白は、答えなかった。
いつも、何を言われても、フラットに「ふーん」で返す真白が。
今は、夜の街のほうを向いて、黙っていた。
その耳が、自販機の明かりに照らされて、ほんの少し、赤い。
「……なに、急に」
真白の声が、わずかに、上ずっていた。
「気持ち悪いんだけど」
「……すみません。でも、本当のことなので」
凪は、何が真白を動揺させているのか、まるで分かっていなかった。
真白は、缶のお茶を、ぐっと飲んで、誤魔化した。
「……あんた、たまに、そういうこと言うよね。無自覚に。……ほんと、たちが悪い」
「そうですか?」
凪は、本気で、首を傾げていた。
真白が、立ち上がった。
「……ねえ、凪。準決勝、あたしと当たるね」
「……ええ」
「あたし、手加減しないよ」
凪は、ベンチから、まっすぐ真白を見上げた。
「……しないでください」
「え?」
「あなたを、ちゃんと、倒したい」
その言葉に、今度は、真白が黙った。
いつも受け身で、感謝ばかりしている凪が。
初めて、はっきりとした「欲」を、口にした。
「……あなたが作らせてくれた機体で。あなたが引き出してくれた力で。あなたを倒して、僕は、決勝へ行きます」
凪の表情のない目に、確かな意志が宿っていた。
「それでしか、僕は、あなたに返せないので」
真白は、しばらく、凪を見つめていた。
それから、ふっと、笑った。
いつもの気怠げな笑みではなく、もっと、獰猛で、嬉しそうな笑顔。
「……いいね、それ」
真白の目が、きらりと光った。
「あたしも、全部使って、あんたを倒す。あんたの底力ごと、食い尽くしてあげる」
戦う相手としての、宣戦布告。
だが、その言葉には、戦いを超えた、別の熱も、確かに混ざっていた。
真白は、出口へ向かって歩き出した。
扉の前で、一度だけ、振り返る。
何か言いかけて。
「……今言ったら、あんたに有利だから、やめとく」
真白は、それだけ言って、口の端で笑った。
そして、準決勝の舞台へと、歩いていった。
一人残された凪は、缶のお茶を、両手で包んだまま、夜の街を見つめていた。
さっきまで、隣に、彼女がいた。
肩が触れそうな距離。お茶の缶の、わずかな熱。気怠げな横顔から、目が離せなかった。
その同じ少女が、あの美しい異形を駆る。
(……あれを、自分で壊すのか)
凪は、初めて、それを恐れていた。
戦神覇王の深化よりも。会場の大歓声よりも。
これから向き合う、あの少女に。
負けることを。
そして――勝ってしまうことを。
凪は、ゆっくりと、立ち上がった。
まだ、頬に残る熱を、振り払うように。
夜の街の灯りが、窓の外で、静かに、瞬いていた




