凪vs戦神覇王⑤
黒い翼を広げた堕天使が、雪の大地から舞い上がった。
深化したゴッドブレイカーの龍頭が、それを追う。だが、届かない。
翼の一打で、凪は龍頭の群れの間を縫うように飛んだ。糸を使った強制移動とは、次元の違う自由さ。空間そのものを、味方につけている。
『速いッ!! 凪選手、深化したゴッドブレイカーの攻撃を、完全に振り切っています!!』
『底力ですよ……! ヒューマン型の覚醒、底力。HP10%以下で発動して、全ステータスが爆発的に上昇する……! 今の凪選手、別の機体みたいだ……!』
凪の右手のピラリスが、漆黒のオーラを纏って、龍頭の一本を貫いた。
砕ける。
返す動きで、もう一本。砕ける。
深化の鱗を弾いていたはずの装甲が、底力のピラリスの前に、紙のように割れていく。
◇
『しかし、驚きましたね。アルカナ・オブスキュアが、ヒューマン型だったとは。ずっとロボット型に偽装していた』
『これ、理由があるんですよ』
迫力雀士が、興奮を抑えきれない声で続けた。
『ヒューマン型の底力は、上昇倍率が、3つの覚醒の中でも飛び抜けて高いんです。でも、弱点がある。発動条件が「HP10%以下」って、ガチガチに決まってる。つまり、相手にバレてると、HPを10%ギリギリで止めて、底力を発動させないように削られるんですよ』
『調整されてしまう、と』
『そうです。だから、ロボット型だと思わせておけば、相手は底力を警戒しない。普通に削ってくる。そして、10%を切った瞬間――この、大逆転が起きる。……隠してたのは、この一撃のためだったんですよ』
◇
控室。
しろっぷは、画面の中の凪を、静かに見つめていた。
(そう。凪のアルカナは、ヒューマン型なのに、能力を積んでない)
しろっぷは、知っていた。凪が、この機体に込めた設計思想を。
(ヒューマン型は、固有の能力枠を持てる。みんな、そこに何か強い能力を載せる。でも、凪は、載せなかった。能力に回すはずだったコストを、全部、素のステータスに振った)
(能力ぶんのコストが、まるごとステータスに乗ってる。だから、底力でその数字が爆発した時――上がり幅が、他のヒューマン型より、ずっと大きい)
しろっぷは、ぽつりと呟いた。
「派手な能力なんて、いらなかったんだよ。……凪は、自分の手で勝てるように、機体を組んだ」
◇
フィールド。
戦神覇王のゴッドブレイカーが、龍頭を次々と砕かれていた。
『……っ、なんで……!』
戦神覇王の声に、初めて、焦りが滲んだ。
深化した。最強の形になった。なのに、目の前の堕天使は、その最強を、easy に踏み越えてくる。
無数の龍頭が、片端から貫かれる。本体の突進は、翼で躱される。毒霧も、炎も、底力の出力の前では、足止めにすらならない。
『……俺の、ゴッドブレイカーが……』
戦神覇王の声から、楽しさが消えかけていた。
代わりに滲んだのは、戸惑い。そして、初めて味わう、本物の格上への、恐れ。
その時。
「覇王ッ!!」
通信に、シモーネの声が、響いた。
いつも冷静な兄の、初めての、怒鳴り声だった。
「下を向くな!!」
『兄ちゃん……』
「お前、今、楽しくないのか!?」
シモーネの声は、震えていた。
現場が怖くて、操縦を降りた男。盤面の裏で、ずっと安全な場所から弟を見ていた男。
その男が、今、初めて、自分の恐怖を押し殺して、弟に向き合っていた。
「俺はな、お前のその、何も考えずに、ただ強い相手に飛び込んでいく、その馬鹿みたいな楽しさが、羨ましかったんだよ!!」
『……』
「俺には、できなかった。怖くて、降りた。だから、お前に託したんだ! お前なら、俺が見たかった景色の、もっと先まで行けると思ったから!」
シモーネの声が、割れた。
「だから……最後まで、楽しめ!! お前の戦いを、止めるな!!」
戦神覇王の、ゴッドブレイカーが。
動きを、止めた。
一瞬。
そして。
『……そっか』
戦神覇王の声に、楽しさが、戻っていた。
いや、楽しさだけではない。これまでになかった、覚悟のような熱が、宿っていた。
『ごめん、兄ちゃん。俺、ちょっとビビってた』
ゴッドブレイカーの全身から、漆黒のオーラが、さらに膨れ上がった。
『でも、もう大丈夫。……最後まで、楽しむわ』
深化したゴッドブレイカーが、残った龍頭のすべてを、凪に向けた。
毒霧を全力で吐き、炎で引火させ、本体の突進と、龍頭の総攻撃を、同時に放つ。
持てるすべてを、この一撃に。
『うおおおおおッ!!』
神話の災厄が、最後の咆哮を上げて、堕天使に殺到した。
凪は、その総攻撃を、正面から見据えた。
表情のない顔。きらめく目。
黒い翼を、大きく広げる。
そして、翼を一打した。
漆黒の堕天使が、迫り来る龍頭の群れの、真っ只中へ突っ込んだ。
『――』
無言のまま。
右手のピラリスが、漆黒のオーラを纏って、横一文字に薙がれた。
ズバァァァッ!!
迫っていた龍頭の群れが、一掃された。
無数の龍頭が、まとめて両断され、雪の大地に落ちていく。
『なっ……!?』
龍頭を失ったゴッドブレイカーの、本体。
その四裂した顎が、最後の力で、凪を噛み砕こうと開く。
凪は、躱さなかった。
開かれた顎の、真正面へ。
ピラリスを、突き出した。
漆黒のオーラを纏った巨大な杭が、ゴッドブレイカーの口腔の奥を、喉ごと貫いた。
そのまま、凪は翼で加速し、蛇龍の頭部を地面へと押し込んでいく。
ドゴォォォォンッ!!!
ピラリスが、ゴッドブレイカーの頭部を貫いたまま、雪の大地に深々と突き刺さった。
蛇龍の巨体が、地面に縫い付けられる。
『ガ、アアッ……!』
ゴッドブレイカーが、もがく。
だが、ピラリスに頭部を貫かれ、動けない。
凪が、その胸元へ、ゆっくりと降り立った。
ゴッドブレイカーの胸の、一枚だけ、色の違う鱗。
逆向きに生えた、逆鱗。
凪は、右の拳を、引いた。
底力のオーラが、その拳に収束していく。
『……あんた、強いね』
戦神覇王の声は、もう、焦っていなかった。
穏やかで、満足げで、どこか清々しかった。
『最後の最後まで、楽しかった。……ありがと』
『……ええ。僕も、楽しかったです』
凪が、初めて、言葉を返した。
そして。
漆黒のオーラを纏った拳が、逆鱗へ、叩き込まれた。
ドゴォンッ!!!
ゴッドブレイカーの巨体が、内側から、光に弾けた。
HPゲージが、ゼロに突き刺さる。
『――Winner, 凪』
漆黒の堕天使が、光の粒子になって消えていくゴッドブレイカーの上で、黒い翼を広げて、佇んでいた。
会場が、一拍の沈黙の後。
爆発した。
これまでで、最大の歓声が。
◇
観客には見えない場所。
シモーネは、モニターの前で、立ち尽くしていた。
負けた。
弟が、負けた。
だが、その顔は、不思議と、晴れていた。
「……いい試合だったな、覇王」
ぽつりと、呟いた。
◇
リザルト画面。
『……兄ちゃんに、怒鳴られたの、初めてだったわ』
戦神覇王の声は、軽かった。
『あんなに熱い人だと思わなかった。……まあ、おかげで、最後まで楽しめたけどさ』
『……いい、お兄さんですね』
『でしょ? 自慢の兄ちゃんなんだ』
戦神覇王は、少しだけ間を置いて、続けた。
『凪先輩。次は、負けないから』
『……ええ。待っています』
『あ、やっと敬語で呼んでくれた』
戦神覇王が、笑った。
通信が、切れた。
凪は、ダイブポッドの中で、静かに息を吐いた。
底力が解けていく。漆黒の翼が、光になって消える。アルカナ・オブスキュアが、半壊した姿のまま、勝者として、フィールドに立っていた。
準決勝。
相手は、しろっぷ。
(……次は、あなたですね)
凪は、まだ見ぬ準決勝の舞台を、静かに見据えた。




