凪vs戦神覇王③
凪は、水たまりの広がるフィールドを、糸で飛び移りながら、思考を巡らせていた。
熱感知。それを支える兄。炎を撒き続ける違和感。
すべての情報が、頭の中で、一つの形に組み上がっていく。
(……熱で感知してくるなら、その熱を、逆に使う)
(ここで、仕留める)
凪の視線が、フィールド中央の水場へ向いた。
炎の熱で溶けた氷が、広い水たまりになっている。
凪は、水場の中央へ、あえて降り立った。
足首まで、水に浸かる。
戦神覇王のゴッドブレイカーが、その熱源を追って、水場へ突進してきた。
『え、自分から真ん中に来た?』
戦神覇王の声に、純粋な驚きが混じった。
馬鹿にした響きはない。むしろ、何かを警戒する、戦士の勘のようなもの。
凪は、答えなかった。
左腕のスリットを、足元の水面に向ける。
『――照射』
ビームを、水面に撃ち込んだ。
高出力のエネルギーが、水場を一瞬で沸騰させた。
水面が爆発的に蒸発し、大量の水蒸気が、フィールド全体に噴き上がる。
『うわっ、水蒸気ッ!!』
『ビームを水に撃った……! 水場を沸騰させて、辺り一面を蒸気で覆いました!』
白い水蒸気が、フィールドを覆い尽くす。
戦神覇王の蛇龍の視界が、真っ白に染まった。
そして、それだけではなかった。
『……あれ』
戦神覇王の声に、戸惑いが滲んだ。
『敵が……どこにいるか、分かんない』
熱い水蒸気が、フィールド全体を、均一な温度で包んでいた。
『これは……! 戦神覇王選手、動きが止まりました!!』
『そういうことか……! ゴッドブレイカーは熱で相手を感知してたんですよ。蛇のピット器官、温度の差で獲物を捉える。それを、フィールド全体を同じ熱で満たすことで、潰したんです……! 視界も、熱感知も、両方奪った……!』
白い霧の中。
凪は、蛇龍の位置を正確に把握したまま、静かに側面へ回り込んでいた。
糸の感触、足音の反響、巨体が動かす空気の流れ。すべてが、凪の頭の中で、相手の位置を描き出している。
◇
観客には見えない場所。
シモーネが、タブレットを睨んで、鋭く通信を飛ばした。
「覇王、熱感知が効かない! 闇雲に動くな! その場で防御を固めろ! 視界が戻るまで耐えるんだ!」
『えー、でも、なんか、こっちな気がする』
「待て、根拠がない! 動くな――」
だが。
弟の「気がする」は、しばしば、兄の理論を超える。
戦神覇王のゴッドブレイカーの尾が、霧の中で、真横へ薙ぎ払われた。
(……!?)
凪は、咄嗟に糸を背後の氷柱へ放ち、体を引いた。
尾が、凪のいた空間を薙ぐ。風圧で、水蒸気が渦を巻いた。
熱感知が効かないはずなのに、戦神覇王は、凪のいた方向へ、ほぼ正確に攻撃を放っていた。
『……今のは、勘ですか』
『うん。空気の動きが、なんか変だった。だから、そこにいる気がした』』
戦神覇王の声は、無邪気だった。
熱でも、目でもない。
ただ、戦いの中で研ぎ澄まされた、純粋な勘。
(……感知を潰しても、勘で動く。本当に、理屈で読めない子だ)
だが、凪は、慌てなかった。
尾の薙ぎ払いは、勘で当ててきた。だが、それは大きく踏み込んだ「攻撃」だ。巨体には、振り終わりの硬直が生まれている。
そして、水蒸気は、まだ晴れていない。
凪は、糸で引き戻る勢いを利用して、もう一度、側面へ踏み込んだ。
今度は、勘で薙いだ尾とは、逆側。
鱗の隙間。関節の継ぎ目。ビームを弾く装甲の、わずかな空隙。
ピラリスの先端が、そこへ突き立った。
ガキッ。
『ギッ……!』
蛇龍の巨体が、震えた。
HPが、削れる。今までで、初めての、深い有効打。
『入ったッ!! 水蒸気の中、凪選手、的確に鱗の隙間を突きました!!』
『見えない、感知できない状況を作って、勘で来る攻撃だけ凌いで、確実にダメージを通してる……! ビームは弾かれる、だから水に撃って蒸気を作る。熱感知を潰す。その上で、点で貫く杭を、鱗の継ぎ目に通す……! 全部、繋がってる!』
HP表示。
戦神覇王、8割5分。
凪、7割5分。
水蒸気が、ゆっくりと晴れていく。
露わになったゴッドブレイカーの胴体に、鱗の隙間の、深い突き傷が刻まれていた。
戦神覇王は、しばらく、無言だった。
『……あんた、マジで強いね』
その声から、無邪気さが、少しだけ消えていた。
『俺さ、ここまでちゃんと削られたの、久しぶりなんだよね。予選も、こんなに苦戦すると思ってなかった』
ゴッドブレイカーの巨体が、ゆっくりと、とぐろを巻いた。
全身の鱗が、逆立つように、ざわめき始める。
『でもさ』
戦神覇王の声に、これまでとは違う、熱が宿った。
『楽しくなってきた』
◇
シモーネが、息を呑んだ。
「覇王、待て。深化は、まだ早い。このフィールドは寒すぎる。深化で出力を上げても、変温の鈍りが――」
『兄ちゃん』
弟の声が、通信を遮った。
『大丈夫。俺、今、めちゃくちゃ調子いいから』
シモーネは、言葉を飲み込んだ。
弟が「調子いい」と言う時は、本当に調子がいい。
理屈ではない。だが、その感覚が外れたことを、シモーネは、ほとんど見たことがなかった。
「……分かった。やれ」
(ここで止めても、どうせあいつは動く)
(なら、信じるしかない)
兄は、弟の直感を信じる。
◇
蛇龍の全身から、漆黒のオーラが、噴き上がった。
『――深化』
『深化ッ!! 戦神覇王選手、深化発動です!!!』
『来た……! モンスター型の覚醒! ただでさえあの完成度のゴッドブレイカーが、さらに変態する……!?』
漆黒のオーラの中で、ゴッドブレイカーの巨体が、不気味な軋みを上げて変容していく。
胴体が、伸長する。10メートルが、15メートルへ。鱗の隙間から、どす黒い粘液が滴り、雪の大地を溶かしていく。
背中の鱗が裂け、内側から、無数の小さな龍頭が、ぬめりを帯びてせり出してきた。それぞれが意思を持つかのように蠢き、不揃いに歯を打ち鳴らす。
上下に裂けた顎の割れた口腔の奥で、脈打ちながら暗緑色の光を漏らしている。
眼が、増えていた。本来の双眸の周りに、いくつもの小さな眼が浮かび、ばらばらに別の方向を睨んでいる。
シロップの深化とは別方向の、もはや生物としての原型をとっているかも怪しいもの。
世界樹の根を喰らい、毒で大地を腐らせる、神話の災厄そのもの。
シモーネの設計図には、ここまでの姿はなかった。
深化が、設計を喰い破って、本来の禍々しさを剥き出しにしていた。
◇
控室。
しろっぷが、画面を見つめていた。
いつもの気怠げな表情のまま。
「……でかくなったね」
ぽつりと呟く。
周李龍が、静かに答えた。
「ああ。あの深化、完成度が異常だ。……正直、楽な相手じゃない」
しろっぷは、しばらく画面を見ていた。
深化した蛇龍と、その前に立つ、小さなアルカナ・オブスキュア。
「……まあ、凪なら、勝つでしょ」
いつもの、気怠げな声。
「あいつ、こういうの、得意だから。……面倒くさいの、ちゃんと潰すタイプだし」
その口調は軽かったが、画面から目を離さなかった。
◇
フィールド。
深化を終えたゴッドブレイカーが、15メートルの威容で、凪を見下ろした。
無数の龍頭が、それぞれ独立して、凪を睨んでいる。
『ここからは、俺の全部で行くよ』
凪は、ピラリスを構え直した。
組み立てた攻略が、深化によって、塗り替えられようとしていた。
(……ここからが、本番か)
深化した蛇龍が、地を蹴った。
先ほどまでとは、次元の違う速度で。




