凪VS戦神覇王①
ゼロ。
先に動いたのは、戦神覇王だった。
10メートルを超える漆黒の蛇龍が、地面に伸ばしていた胴体を、一瞬で収縮させた。
ばね仕掛けのように圧縮された巨体が、次の瞬間、解き放たれる。
雪の大地を抉り、白い飛沫を撒き散らしながら、ゴッドブレイカーが凪に向かって突進してきた。
50メートル。
30メートル。
間に置かれた巨大な氷塊を、蛇龍は避けなかった。
漆黒の頭部が、氷塊の真ん中を真正面からぶち抜く。砕けた氷の破片が、陽光を反射しながら空中に舞い上がった。その破片の雨の中を、蛇龍はさらに加速して突き抜けてくる。
「うわっ……!?」
凪が、思わず声を上げた。
50メートルあったはずの距離が、もう、ない。
『開幕からゴッドブレイカーが突進ッ!!! あの巨体で、この加速ッ!!』
『おかしいですよ、これ。10メートル超の機体が、初動から最高速って。重量があるんだから、本来は加速の立ち上がりが鈍いはずなんです。それを無理やりねじ伏せる出力……いったいどれだけのパワーを脚部に積んでるんだ』
20メートル。
10メートル。
巨大な顎が、開いた。
無数の歯が並ぶ、漆黒の口腔。それが、凪を丸ごと飲み込もうと迫る。
凪は、左腕のスリットから糸を放った。
左の氷柱に絡め、自分の体を強制的に横へ引き寄せる。
次の瞬間、蛇龍の顎が、凪のいた空間を噛み砕いた。
ガヂンッ、という重い音。雪が爆風で吹き飛ばされる。
ゴッドブレイカーの巨体は、止まれなかった。
10メートル超の胴体が、勢いのまま凪の脇を通り抜け、フィールドの反対側まで滑り抜けてから、ようやく大きくカーブを描いて停止した。
通り過ぎた軌跡に、深い溝が刻まれている。
『回避ッ!! 凪選手、糸で位置を入れ替えて回避ッ!!』
『まあ、ここまで勝ち上がってきた選手ですから。この程度の初手は、当然さばいてきますよ』
凪は、氷柱の影に身を寄せて、息を整えていた。
(……速い。あの巨体で、この速度)
頭の中で、戦神覇王のデータを反芻する。
モンスター型、巨大ボディ、攻撃力偏重の構成。それは事前に分かっていた。
だが、実際に動く蛇龍を見て、凪は理解した。データが、現実に追いついていない。
(10メートル超の機体は、本来、機動性が犠牲になる。加速も旋回も鈍くなる。なのに、あいつのゴッドブレイカーは、まるで小型機のように動く)
(……完成度ボーナスだ。それも、僕が見たことのないレベルの)
モンスター型は、機体の完成度が性能に与える影響が、特に大きい。
そして、目の前の蛇龍は、その完成度が異常だった。
『それにしても、すごい機体ですねえ。ニーズヘッグっていう北欧神話の蛇龍を、ここまで作り込んでる。完成度が尋常じゃない』
『見た目の作り込みが、そのまま性能になっているわけですか』
『そうです。鱗の一枚一枚、関節の節、顎の歯並び、全部が神話の蛇龍として「正しい」。だからシステムが最大級のボーナスを与えてる。素のステータス以上の数字が出てるはずです』
『しかし、今大会は見応えがありますね。さっきのしろっぷ選手の異形といい、このゴッドブレイカーといい』
『そこなんですよ。空想上の生き物が、これだけのクオリティで動いて、殴り合ってる。こんなの、他のゲームじゃ絶対見られない。……作ったビルダーたちには、本当に頭が下がりますよ』
ゴッドブレイカーが、ゆっくりと首を巡らせて、凪を見た。
縦に裂けた瞳孔が、氷柱の影の凪を、正確に捉えている。
長い舌が、ちろりと覗いた。
『先輩、避けるの上手いね』
戦神覇王の声には、本気の感心と、年齢相応の無邪気さが滲んでいた。
『でもさ、糸で位置変えるの、何回もやると読んじゃうよ。俺、そういうの、なんとなく分かるから』
なんとなく。
その一言に、凪は、僅かな引っかかりを覚えた。
理屈ではなく、感覚で読んでくる。それは、最も対処しにくいタイプの相手だ。
凪は、氷柱の影から、左腕を構えた。
スリットが、青く光る。
(まずは、防御の硬さを測る)
ビームを撃った。
至近距離からの、左手のビーム。アルカナの装備で最も高出力の一撃。
青い光が、蛇龍の側面に直撃した。
ガキィッ。
弾かれた。
「……っ」
凪の目が、見開かれた。
直撃した。確かに直撃した。
なのに、ビームは蛇龍の鱗の表面を滑り、空中へ逃げていった。装甲を削るどころか、焦げ跡すら、ほとんど残っていない。
『ビームが効かないッ!! ゴッドブレイカーの鱗が、ビームを弾きました!!』
『鱗の表面構造ですね。ニーズヘッグは神話で「あらゆるものを蝕み、あらゆるものに蝕まれない」存在です。その特性を再現するために、鱗が複雑な反射構造になってる。完成度ボーナスで防御にもバフが乗ってますから、並の攻撃じゃ表面で滑るだけです』
『ね? 効かないでしょ』
戦神覇王の声は、楽しそうだった。
『兄ちゃんが「ビームとか実弾は弾かれるから安心しろ」って言ってたんだよね。だから、こうやって正面から受けても平気』
◇
控室。
モニターの前で、しろっぷ、周李龍、ラブマクス、さくせすTが、凪の試合を見ていた。
「ビーム弾かれたわね」
ラブマクスが、頬杖をついて呟いた。
「あの鱗、相当硬いわよ。アタシの宝石でも、表面削るのがやっとかも」
「凪さん、どう崩すんすかね」
さくせすTが、身を乗り出した。
周李龍は、画面を見つめたまま、静かに言った。
「……あいつは、必ず弱点を見つける。あの目は、機体の構造を内側から見ている目だ。問題は、それを突く前に、あの蛇龍の手数に押し切られないかどうか」
しろっぷは、何も言わなかった。
ただ、いつもより少しだけ、身を乗り出して、画面の中の凪を見ていた。
◇
凪は、ピラリスを握り直しながら、冷静に思考を組み立てた。
(ビームは弾かれる。あの鱗は、表面が滑らかすぎて、エネルギー兵装を逸らす。……なら、点で貫く杭か。あるいは、鱗の重なりの隙間――関節部を狙うか)
考えながら、凪は糸を放った。
今度は氷柱の頂点に絡め、自分の体を上空へ引き上げる。
高所から蛇龍を見下ろし、関節の位置、鱗の薄い部分を、視覚で探る。
戦神覇王のゴッドブレイカーが、首をひねって凪を見上げた。
「あ、上に逃げた」
戦神覇王の口元が、緩んだ。
『じゃあ、こっちも行くよ』
蛇龍の顎が、大きく開いた。
長い喉の奥から、暗緑色の霧が、もくもくと吐き出される。
毒霧。
上空の凪に向かって、緑の霧が下から立ち昇り、広がっていく。
『毒霧ッ!! ゴッドブレイカー、毒霧を放出ッ!!』
『出ました、ニーズヘッグの毒。神話で世界樹の根を毒で蝕む存在ですからね。これも再現してます。ただ……』
迫力雀士が、少しだけ声のトーンを変えた。
『相手はロボット型でしょう。毒って、ロボット型にはダメージが通りにくいんですよ。生体じゃないですから。あの毒、何の意味があるんですかね?』
その疑問に答えるように。
ゴッドブレイカーの顎の奥に、火花のような光が灯った。
『お、毒に当たったね、先輩』
蛇龍が、立ち昇る毒霧の雲に向かって、火花を吐いた。
ボォンッ!!
毒霧が、引火した。
暗緑色の雲が、一瞬で燃え盛る炎の球に変わる。上空の凪を包み込むように、爆発的な火炎が膨れ上がった。
「うわっ……!!」
凪は、糸を切って氷柱から落下し、炎の範囲から横へ転がり出た。
着地。装甲の一部が、炎で焦げている。
『なるほど、そういうことかッ!!』
『毒を撒いて、引火させる。毒そのもののダメージが通らなくても、燃やせば爆発と熱で範囲攻撃になる。ロボット型相手に、毒を「燃料」として使う発想ですよ。……これ、相当考えられた戦法ですね。設計してる側、頭がいい』
炎の向こうで、ゴッドブレイカーが、ゆっくりと体をうねらせた。
毒霧を吐き、引火させる。そのコンボを繰り返しながら、フィールドに炎の領域を広げ、凪の逃げ場を炙り出していく。
炎の熱で、足元の氷が溶け始めていた。白い大地のあちこちに、水たまりが広がっていく。
凪は、燃える大地を糸で飛び移りながら、戦神覇王という相手の全体像を、頭の中で組み上げていた。
(巨体なのに速い。鱗でビームを弾く。毒を引火させて範囲を作る。……そして、こちらの動きを、感覚で読んでくる)
(理屈で組まれた機体を、理屈抜きで動かしている。……厄介だ)
炎の壁の向こうから、戦神覇王の声が聞こえた。
『先輩、これ結構面倒くさいでしょ』
勝ち誇るでもなく、ただ純粋に、楽しそうな声。
『でもさ、今のはまだ準備運動だから』
ゴッドブレイカーの縦長の瞳が、炎越しに凪を捉えた。
『そろそろ、本気で行くよ』
巨大な蛇龍の全身が、低く沈み込んだ。
次の突進の、予備動作。
その巨体が、これまでとは比べ物にならない圧力を、纏い始めていた。




