第51話 第四試合
戦神覇王の控室。
ダイブポッドの横に立っているのは、戦神覇王ともう1人。
大柄な青年。眼鏡をかけ、タブレットを片手に弟の機体データを最終チェックしている。
シモーネ。
戦神覇王の兄であり、《ゴッドブレイカー》のビルダーであり、戦神覇王が所属するクラン「エリア666」の戦略担当。
「フレームの調整、完了した。覇王、データ確認しろ」
弟が、タブレットを受け取ったが、画面を見もせずに横に置いた。
「兄ちゃんが大丈夫って言うなら、大丈夫でしょ」
「……一応、自分の機体だ。目を通せ」
「いやー、見ても分かんないし」
戦神覇王が、軽く笑った。
「俺、そういうの全然分かんないんだよね。フレームがどうとか、出力がどうとか。兄ちゃんが組んでくれた通りに動いてるだけ」
シモーネは、何も答えなかった。
眼鏡の奥で、僅かに視線が落ちた。
戦神覇王が、ダイブポッドのほうへ歩き出した。
「相手の凪って人、データ送ってもらったやつ? 杭と糸の機体だっけ。なんかややこしいの使ってる人」
「動きの読みは送った。お前なら、対処できる。……ただ、一つ気をつけろ」
シモーネが、画面のデータを指で叩いた。
「あいつ、予選から今まで一度もオーバーブーストを使っていない。ロボット型の覚醒を、一度も。本選で使ってこないとは限らない。最後まで警戒しろ」
「すごいね。覚悟しとくわ」
戦神覇王の声は、軽かった。
その軽さに、シモーネは口を開きかけて、止めた。
兄が現役時代に苦戦していたランク帯を、弟は一瞬で駆け抜けた。
しかも、お世辞にも上手とは言えない、当時の兄の機体で。
シモーネは、自分の非才を認めて、操作を降りた。「お前のほうが、動かすのに向いている」と。
だが、本当は分かっていた。
弟は、自分が動かせなかった機体を、何も考えずに動かしてしまう。
理論を組んでも、覇王の感覚には届かない。
「お前のほうが向いている」は、半分は真実で、半分は逃げだった。
自分は、現場が怖くなった。
設計と戦略の側にいれば、負けても「実行の問題だ」と言える。
その逃げ場に、弟を立たせている。
「兄ちゃん」
扉に手をかけた戦神覇王が、振り返った。
「俺、絶対勝つから」
戦神覇王の声は、いつもの生意気さに戻っていた。
その目には、悪意のない、純粋な確信があった。
「兄ちゃんが作った機体だから、俺が乗れば、勝てる」
シモーネは、頷いた。
頷くしかなかった。
「……ああ」
戦神覇王が、ダイブポッドに入っていった。
ハッチが閉まる音を聞きながら、シモーネは、自分のタブレットに視線を落とした。
画面に並ぶ、緻密な戦闘データ。読み込まれていないであろう、無数の対策。
弟は、これを見ない。
見なくてもいい。俺が見ているから。
弟は感覚で動かせばいい。データの全体を把握し、必要な時に必要なものを切り出して伝えるのは、自分の役目だ。
その役割があるから、自分は、ここに立てている。
その事実が、いつも、シモーネの胸の奥にあった。
◇
凪としろっぷの控室。
凪が、ダイブポッドの起動準備を進めていた。
しろっぷは、ソファに座って、その背中を見ていた。
「凪」
『はい』
「あんた、緊張してる?」
『……少し』
「珍しいね」
凪は、コンソールを操作する手を止めずに、答えた。
『……ええ。本選の試合は、初めてですから』
「ふーん」
しろっぷは、それ以上は聞かなかった。
ただ、立ち上がって、凪の隣に来た。
「相手、舐めてる子だけど、機体は本物だよ。動画見た限り、結構やる」
『……知っています』
「うん」
しろっぷが、凪のコンソールを覗き込んだ。
「勝てる?」
『……勝ちます』
「うん。それでいい」
しろっぷは、軽く頷いた。
その目には、いつもより少しだけ、強い色があった。
言葉にはしなかったが、凪には、伝わっていた。
「行ってらっしゃい」
しろっぷが、少しだけ微笑んだ。
『……行ってきます』
凪が、控室の扉を開けて、出ていった。
◇
会場の入場通路。
凪は、メインステージへ向かう長い通路を、ゆっくりと歩いていた。
通路の壁の向こうから、会場の歓声が聞こえてくる。地響きのような音。何千人もの人間が、この場所に集まって、声を上げている。
(……これが、表舞台か)
凪は、歩きながら、考えていた。
ドウジマのクランで、裏方のチューナーをやっていた頃。
画面の中の試合を、コンソールの前から眺めていた。データを取り、ログを解析し、機体を微調整する。それが、自分の仕事だった。
それで、十分だと思っていた。
戦う側に立つ才能はないと、自分で結論を出していた。
だが。
通路の先から、歓声が一段、大きくなった。
(……あの場所には、こんな景色があったのか)
ドウジマのクランでビルダーをやっているだけでは、見られなかった光景だった。
何千人もの観客。輝くスポットライト。実況の声。一つ一つの試合に賭けられた感情。
画面の向こうにあった世界が、今、自分の周りに広がっている。
怖くは、なかった。
ただ、ここに立っている自分を、少しだけ誇らしく思った。
しろっぷが、自分を表に引っ張り出してくれた。
ドウジマが、自分を追い出してくれた。
その2つがなければ、自分はまだ、コンソールの前にいただろう。
(……勝とう)
凪の指が、ピラリスを握る感覚を思い出した。
通路の出口が、見えてきた。
光に向かって、凪は一歩を踏み出した。
◇
『――1回戦第4試合、まもなく開始!! 凪選手、戦神覇王選手の入場です!!!』
実況のマイク富岡の声が、会場を震わせた。
大歓声。
光の演出が、メインステージを照らす。
観客席のあちこちで、凪と戦神覇王の名前を呼ぶ声が上がる。
凪は、その歓声の中を、ダイブポッドに向かって歩いた。
反対側から、戦神覇王が歩いてくる。
目が合った。
戦神覇王が、にやりと笑った。
「先輩、お手柔らかにね」
『……ええ。あなたもです』
「タメ口でいいよ。年下相手に敬語とか、気持ち悪いっしょ」
『……すみません』
「……まあ、いいけど。すぐ終わらせるから」
戦神覇王の声には、緊張も力みもなかった。
ただ、勝つことを当然のように口にしていた。
凪も、ダイブポッドの中に滑り込んだ。
ハッチが閉まる。
コア・シンクのデバイスが、頭部に装着される。
思考と機体を直結する、新世代の入力デバイス。
起動。
視界が、フィールドに切り替わった。
フィールドは、雪と氷の地。
巨大な氷河の谷間に、白い大地が広がっている。視界は良好。だが、地形の起伏が激しく、巨大な氷塊や氷柱が点在する立体的なステージ。
凪の正面、約50メートル先。
地面に、巨大なシルエットが横たわっていた。
漆黒の鱗に覆われた、長大な蛇龍。
翼はない。地を這う巨大な龍。鋭利な顎、無数の歯。胴体は10メートルを超え、地を覆い尽くすように白い大地に伸びている。
《ゴッドブレイカー》。
北欧神話のニーズヘッグをモチーフにした、地を駆る蛇龍。
『さあ、1回戦最終試合!! ビルダー出身の異端児、凪選手!! 対するは、エリア666の最年少にして最強の野生児、戦神覇王選手!!』
『これは興味深い対戦ですよ。凪選手はピーキーな機体を完璧に乗りこなす精密タイプ。戦神覇王選手は、巨大な蛇龍を直感で動かすパワー型。設計と本能の戦い、と言ってもいいかもしれません』
凪は、ピラリスを構えた。
戦神覇王の蛇龍が、ゆっくりと鎌首をもたげた。
『先輩、行くよ』
『……どうぞ』
試合開始のカウントダウン。
3。2。1。
ゼロ。




