第33話 解放
プライベートマッチ。
フィールドは、再び、あの闘技場アリーナだった。
すり鉢状のスタジアム。観客のいない、空っぽの舞台。
凪との決着がついた、ほんの数十分後。同じ場所に、今度は別の機体が立っていた。
漆黒の異形。
少女の上半身に、歪な翼と極太の尾。右半身の副腕が、不気味に蠢いている。
《クリサリス・ヴァリアント》。
対面には、半壊した――いや、修復を済ませた《プロトコル》が立っている。
凪との戦闘で受けたダメージはシステム上リセットされているが、ドウジマの表情には、まだ先ほどの戦いの余韻が残っていた。
「……久しぶりだな、しろっぷ」
ドウジマの声は、静かだった。
かつてのように、頭ごなしに叱りつける響きはない。
「うん。久しぶり」
しろっぷの声も、普段通りだった。
恨みも、怒りも、感傷もない。ただ、少しだけ、いつもより真っ直ぐな目をしていた。
「……あんたにさ、否定されたこと、まだちょっと覚えてる」
ドウジマの肩が、わずかに動いた。
「テンプレに乗れって言われた。この形は間違いだって。……まあ、あの時は確かに、うまく動けなかったけどさ」
しろっぷは、クリサリスの副腕を、ゆっくりと開閉した。
「でも、今は違うんだよね」
軽い声。だが、その奥に、確かな芯があった。
「凪が、全部繋いでくれたから」
ドウジマは、黙ってライフルを構えた。
試合開始。
◇
ドウジマは、テンプレ通りに戦った。
ライフルで距離を管理し、サーベルで近接を捌き、シールドで致命傷を防ぐ。凪との戦いで崩れかけた型を、意地で立て直していた。
完璧な、教科書通りの立ち回り。
だが。
「遅い」
しろっぷの声が、どこからか聞こえた。
ライフルの弾丸が、クリサリスの残像を撃ち抜く。本体はすでに側面に回り込んでいる。
サーベルで迎撃する。刃が副腕の1本を弾く。だが、同時に尾が背後から回り込み、プロトコルの脚を払った。
体勢を崩しながらシールドを構える。翼の先端の手が、シールドの裏側に回り込んで、握り潰すように装甲を歪めた。
(……速い。あの頃とは、比較にならない)
ドウジマは、歯を食いしばって距離を取った。
テンプレ通りに対処している。拘束型への対処、多軸攻撃への対処、モンスター型への対処。あらゆる状況に対応する型を、正確に繰り出している。
しろっぷの攻撃には、パターンがなかった。
同じ攻撃が2度と来ない。尾の軌道も、副腕の角度も、翼の使い方も、毎回違う。型で対処しようとしても、次の瞬間にはもう別の形になっている。
(テンプレの対処が、追いつかない……!)
ライフルの3点バーストを叩き込む。2発は回避され、1発がクリサリスの翼を掠めた。
だが、掠めた瞬間には、すでに本体がゼロ距離に入っている。
副腕がプロトコルの右腕を掴み、尾が左脚に絡みつく。サーベルを振ろうとするが、もう1本の副腕が肘の関節を押さえ込んでいた。
『ぐっ……!』
力ずくで振り解く。シールドで距離を作り、後退する。
HP7割。6割。
削られていく速度が、凪の時とは段違いだった。
(この機動力。この自由度。……あの頃の欠陥品が、ここまで――)
ドウジマの脳裏に、1話のあの日が蘇った。
クリサリスが自壊して敗北した、あの試合。「だからテンプレを使えと言ったんだ」と、頭ごなしに叱りつけた、あの日。
同じ機体だ。同じフレームだ。
なのに、まるで別物になっている。
(これが、凪の――)
思考が、止まった。
(凪が、作ったのか。この化け物を)
あの裏方の男が、ログを読むしか能がなかった調整係が、この怪物を完成させた。
自壊するだけだった欠陥品を、環境を荒らし回るバケモノに変えた。
その事実が、テンプレの正しさを信じ続けてきたドウジマの胸を、深く、静かに突き刺した。
HP5割。4割。3割。
ドウジマは、それでもテンプレを崩さなかった。
ライフル。サーベル。シールド。3つの武装を回し続ける。1発でも多く当てようと、型の精度を限界まで引き上げる。
だが、クリサリスの動きが、さらに加速していく。
その瞬間。
クリサリスの全身から、淡い光が溢れ出した。
翼が大きく広がり、尾がうねり、副腕が蠢く。その一つ一つが、有機的に連動しながら、異形のシルエットそのものを書き換えていく。骨格が軋み、筋繊維が脈動し、全身が一回り大きく、より鋭く、より獰猛な輪郭へと変貌していく。
深化。
ただ、その変貌の端々に、ごく微かな揺らぎがあった。翼の先端が時折ぶれ、尾の付け根が一瞬だけ不自然に跳ねる。溢れる力に、ほんの少しだけ、器が追いついていない。
それでも。
ドウジマは、その変貌を、目を見開いて見つめることしかできなかった。
深化したクリサリスのシルエットが、闘技場の照明を背に、影として浮かび上がる。 不安定な揺らぎを孕みながらも、圧倒的な生命の気配。
(……これが、凪の『完成度』か)
ドウジマには、分かった。
自分のテンプレでは、これに届かない。テンプレの対処法に、この存在をカバーする章は存在しない。
これは、型の外にあるものだった。
影が、動いた。
ドウジマは、何が起きたか分からなかった。
気づいた時には、プロトコルのコアが、貫かれていた。
『――Winner, しろっぷ』
◇
リザルト画面。
長い沈黙の後、ドウジマが口を開いた。
「……型に、収まらない強さってのは、こういうことか」
声は、震えていなかった。
だが、その中にあった「テンプレは正しい」という確信の温度が、少しだけ下がっていた。
「俺は、テンプレを捨てない。それは変わらない」
一拍。
「だが、今のテンプレのままでは……足りない。それは、認める」
しろっぷは、しばらく黙っていた。
それから、いつもの気怠げな声で言った。
「おじさんさ」
「……なんだ」
「あんたのチームにいた時は、ぜんぜん楽しくなかったよ」
ドウジマの通信が、一瞬だけ途切れた。
「でも、凪と二人になれて、よかった」
嫌味ではなかった。
ただ、しろっぷにとっての事実を、そのまま口にしただけだった。
「凪がいなかったら、私はまだ、気持ち悪いまま戦ってたと思う。……だから、ありがとう。追い出してくれて」
最後の一言は、微かに笑っていた。
ドウジマは、何も答えなかった。
通信が切れた。
空っぽのアリーナに、しろっぷのクリサリスだけが残された。
深化の光はすでに消え、漆黒の異形が、静かに佇んでいる。
観戦モニターの端で、凪のアイコンが、灯り続けていた。




