第28話 猟場
凪は、廃墟の闇の中を走っていた。
右腕の応答遅延、〇・〇五秒。左腕のセンサーノイズ。HP約九割。
万全ではない。だが、この損傷を加味した上で、凪の頭の中には新しい最適解が組み上がっていた。
(ドローンは偵察と自爆の二役。照準レーザーは牽制用のフェイク。……つまり、ドローンの挙動を追えば、キリン本体の位置が割り出せる)
三機の新しいドローンが、ビルの外壁に沿って移動している。
凪は糸を壁に這わせ、ドローンの振動を拾った。左腕のセンサーにノイズは残っているが、糸越しの振動検知は視覚に頼らない。
(ドローンの旋回パターン。重心の移動方向。……こいつらは、本体から離れすぎないように動いている)
三機の旋回軌道を、頭の中で三次元の図形として重ねる。
三つの円が、一点で交わった。
(……北東のビル、四階。あそこだ)
凪は、ルートを組み立てた。
大通りは水と感電トラップで封鎖されている。路地裏は、おそらくワイヤーが張られている。
残された選択肢は、ビルの内部を伝って屋内から接近するルート。
(損傷した右腕では、杭ブレーキの精度が落ちている。左腕のセンサーも不安定。この状態で最もリスクの低いルートは――屋内を三階まで上がり、隣のビルの渡り廊下を使って四階に入る経路)
凪は迷いなく、そのルートを選んだ。
廃墟の階段を駆け上がる。二階、三階。
渡り廊下に差し掛かった時、凪は立ち止まった。
糸を先に伸ばして、構造を確認する。ワイヤートラップはない。渡り廊下の床は安定している。
(……罠がない?)
一瞬だけ、違和感を覚えた。
だが、ここで立ち止まれば、ドローンに追いつかれる。背後から駆動音が近づいてきている。
凪は渡り廊下を走り抜け、隣のビルの四階に飛び込んだ。
薄暗いフロア。
崩れかけた壁の向こうに、細い光の筋が見えた。
窓の隙間から差し込む外光の中に、一つの影がある。
スナイパーライフルを構えた、ロボット型の背中。
(……いた)
距離、約八メートル。
右腕の遅延を計算に入れても、ピラリスの突きが届く距離だ。
凪は呼吸を止め、足音を殺して踏み込んだ。
五メートル。
三メートル。
ピラリスの先端が、キリンの背中を捉えた。
――突く。
杭が、キリンの背中を貫通した。
手応えが、おかしかった。
(……軽い?)
貫通した「キリン」の背中から、火花が散った。
装甲の内側が空洞だった。中身がない。
ライフルも、スラスターも、表面だけの張りぼて。
(ダミー……!)
その瞬間、凪の脳裏に、すべてが繋がった。
罠のない渡り廊下。あまりにもスムーズに通れたルート。ドローンの旋回パターンが示した「本体位置」。
全部、誘導だった。
凪が損傷した両腕の状態で、最もリスクが低いと判断するルート。凪の合理的な思考が、必ず選ぶ道。
(俺の最適解を、読まれた――)
『――言っただろ』
声が聞こえた。
下だ。
三階。さっき凪が通り過ぎた、一つ下のフロア。
『あんたは頭がいい。だから、最も合理的な道を選ぶ。俺はただ、その道を用意しただけだ』
凪が振り返る。
床に、直径二〇センチほどの穴が空いていた。
さっき渡り廊下を走った時には、なかった穴だ。凪が通過した後に、床の一部が崩落するよう仕掛けてあった。
その穴の向こう、一つ下のフロアから、スナイパーライフルの銃口が、真っ直ぐ凪を見上げていた。
(……下から)
回避。
右腕でピラリスを振り、射線を逸らす。
だが、右腕の応答が、〇・〇五秒、遅れた。
その〇・〇五秒。
凪が杭を振り切るよりも先に、キリンの指が引き金を引いていた。
轟音。
超高出力スナイパーライフル。攻撃力340。一発に全コストを注ぎ込んだ、掠っただけでも致命傷となる絶対の弾丸。
それが、回避の遅れた凪の胴体を、正面から貫通した。
胸部装甲が弾け飛ぶ。
内部フレームが抉れ、コアの外殻にまで亀裂が走る。
HPゲージが、一瞬で半分を割り込み――そのまま、ゼロまで落ちた。
『――DEFEAT』
赤い文字が、視界を染めた。
アルカナ・オブスキュアが、ゆっくりと崩れ落ちる。
黒い装甲が光の粒子となって剥がれ始め、マスクのスリットの青い光が、静かに消えていった。
◇
薄暗い三階のフロアで、真摯なキリンは、ゆっくりとライフルを下ろした。
銃身が赤熱している。長い再装填リロードに入る前に、勝負は決まった。
『……ようやくだ』
小さく、呟いた。
誰に聞かせるでもない。自分だけの、静かな確認。
この男のビルドは怖い。機体の完成度が、自分には到底届かない次元にある。
だから、戦場で勝つしかなかった。
この市街地のすべてを使い、逃げ道を一つ一つ潰し、最後に残った一本の道の先に、自分のライフルを置いた。
凪の合理性を信じて。この男なら必ず、最も合理的な道を選ぶと信じて。
『……あんたのビルド、やっぱり怖いよ。正面からじゃ、絶対に勝てない』
誰もいないフロアに、狩人の声だけが静かに落ちた。
◇
ガレージ。
ダイブポッドのハッチが開き、凪が出てきた。
しろっぷは、スツールの上で足をぶらつかせたまま、凪のモニターを見ていた。
敗北ログが、画面の中央に赤く表示されている。
凪は、しばらく何も言わなかった。
コンソールの前に立ち、敗北ログを見下ろしている。
その指先が、わずかに、握り込まれていた。
(……読まれた。僕の最適解を、完全に)
悔しかった。
自分の合理性を、そのまま利用された。頭の中で完璧だったはずの図が、相手の図の内側にあった。
凪のプライドの深い部分が、静かに軋んでいた。
「ねえ」
しろっぷの声が、静かに聞こえた。
「あの狩りの人、強かったね」
『……ええ』
「今の、めちゃくちゃ読まれてたでしょ」
『……ええ。完全に、読まれていました』
しろっぷは、少しだけ間を置いた。
「でもさ」
しろっぷが、ソファの上であぐらをかいたまま、首を傾げた。
「あんたが読まれたの、今のが初めてじゃん」
『……』
「つまり、今まで全部読み勝ってたってことでしょ。それ、普通にヤバいと思うけど」
凪は、しろっぷを見た。
彼女は別に凪を慰めようとしているわけではなかった。ただ、思ったことをそのまま口にしているだけだ。いつも通りの、しろっぷだった。
「一回負けたくらいでそんな顔してんの、あんたらしくないじゃん」
軽い。いつも通り、軽い。
だから、沁みた。
凪は、小さく息を吐いた。
それから、敗北ログを閉じた。
敗北ログを閉じる。
その下に、ランキングボードが表示されていた。
敗北と連勝ボーナスのリセットで、凪のポイントは大きく跳ねなかった。順位は13位から一つ落ちて14位。
そして、16位にいたはずのドウジマの名前が、一つ上がっていた。
14位 凪 11,842pt
15位 ドウジマ・ジ・エンド 11,519pt
差は、323。
凪は、その数字を静かに見つめた。
次にこの男と当たった時、負ければ――順位が逆転する。
『……もう、負けません』
静かな声だった。
しろっぷに向けたのか、自分に向けたのか、凪自身にも分からなかった。
コンソールの画面が、新しいマッチング待機画面を表示していた




