第27話 再狩
最終日。
凪がガレージのコンソールを立ち上げると、画面の上部に赤い帯が走っていた。
『――予選最終日:本日の勝利ポイントは通常の二倍となります』
「倍率、来たね」
しろっぷが、ソファから身を乗り出して画面を覗き込む。
『ええ。今日一日で、ランキングが大きく動きます』
凪はランキングボードを開いた。
上位の名前が、ずらりと並ぶ。
1位 迅・ソニック 15,218pt
2位 マセガキィ 13,244pt
3位 サンソン 13,012pt
4位 GUREN 12,837pt
5位 ブレイダー 12,608pt
(……一位だけが異常だ。二位以下は13,000から10,000の間に密集している)
凪の視線が、四位圏内と圏外の境界をなぞる。上位四名が本選トーナメントへ進む。現在四位のGURENは12,837。自分は――。
13位 凪 11,246pt
(四位との差、約1,600。倍率込みなら、あと十戦程度の連勝で届く。……ただし、負ければ連勝ボーナスが消える)
さらにスクロールする。
16位 ドウジマ・ジ・エンド 10,831pt
凪とドウジマの差は、わずか415。ほぼ同じ圏内にいる。
他に目を引く名前がいくつかあった。真摯なキリンは11,024で凪のすぐ下。昨日までランキングの上位にいなかった『さくせすT』という名前が、9,517に浮上してきている。
『この「さくせすT」、昨日の夜から急に上がってきてますね。ログを見た限り、中距離の制圧型ロボット。精度が異常に高い』
「ふーん。伸びてるやつがいると面白いね」
『ええ。……ただ、今日の倍率次第では、ここから一気に四位圏内に食い込む可能性もあります。要注意です』
凪はランキングボードを閉じ、ダイブポッドに向かって歩き出した。
『……行きます』
「うん。今日で決めなよ」
しろっぷの声は、いつも通り軽かった。
◇
最終日の予選は、昨日までとは空気が違った。
対戦相手の動きが、一様に重い。守りに入っているのではない。一戦の価値が倍になった分、全員が「絶対に落とせない」覚悟で踏み込んでくる。
凪は、その圧の中を、淡々と勝ち続けた。
『――Winner, 凪』
『――Winner, 凪』
『――Winner, 凪』
倍率込みのポイントが、一戦ごとに大きく跳ね上がっていく。
そして、五戦目のマッチング画面。
対戦相手の名前を見て、凪の指が止まった。
真摯なキリン ―― 11,302pt
(……来たか)
あの雪の森林で、完璧な罠を張り巡らせた狩人。あの時は、しろっぷのクリサリスで辛うじて突破した。
だが今日、凪が乗っているのはクリサリスではない。アルカナ・オブスキュアだ。
『久しぶりだな、凪。……いや、今はあんたが本人か』
オープンチャンネルに、低く静かな声が流れた。
『前回の不完全を、終わらせに来た』
フィールドが展開される。
市街地。
廃墟化したビル群、路地裏、交差点。高さのある建造物が密集し、射線と死角が複雑に入り組んだ三次元的なステージ。
(前回は雪の森林だった。今回は市街地。……遮蔽物の密度が段違いだ)
凪は、慎重に最初の一歩を踏み出した。
ピラリスを右手に構え、左腕のスリットから糸を細く伸ばし、周囲の構造物に触覚のように這わせていく。
路地を抜け、大通りに出ようとした瞬間。
足元に、微かな違和感を感じた。
水だ。
靴底が、薄い水膜を踏んでいる。大通りの路面が、不自然に濡れていた。
(……水? このフィールドに雨の設定はないはずだ)
凪の視線が、上方へ走った。
ビルの屋上。貯水タンク。
タンクの側面に、小さな弾痕が穿たれていた。そこから水が細く流れ出し、ビルの壁を伝って、路面へと広がっている。
(撃ち抜いた。……わざと、水を流している)
その瞬間、凪の脳内で警報が鳴った。
水。路面。そして――。
視線を横に向ける。路肩に倒れた電柱。その根本から、断線した電力ケーブルが、水に浸かった路面へ向かって垂れ下がっている。
(感電トラップ……!)
凪は反射的に後退した。ピラリスを地面に突き刺し、身体を引き上げて水面から足を離す。
直後。
バチバチバチッ!!
電力ケーブルが路面の水に接触し、濡れた大通り全体が青白い火花に包まれた。
空中に逃れた凪の足元を、稲妻のような放電が走り抜けていく。
ギリギリだった。
だが、無傷ではない。
杭ブレーキの急制動で、右腕の関節に再び負荷がかかっていた。小さな警告アラートが、コンソールの端で点滅している。
(……右腕の応答が、〇・〇五秒遅れ始めている)
些細なズレ。だが、狙撃手相手にこのズレは致命的になりうる。
安堵する間もなかった。
ビルの壁面に張り付いた瞬間、頭上から小さな駆動音が聞こえた。
ドローン。
三機のドローンが、ビルの影から一斉に飛び出し、凪の周囲を旋回し始める。
ドローンの腹部に、赤いレーザーの照準が灯った。
(狙撃の誘導レーザーだ。位置を固定して――いや、待て)
一拍、思考を止めた。
前回、凪はこの男の盤面を逆利用して勝った。
なら、この男がそれを学ばないわけがない。
(……読ませようとしている)
狙撃が来ると読ませて、ビルの内部に逃げ込ませる。それが本当の狙いだとしたら。
だが、壁面に張り付いたままでは、ドローンの照準から逃れられない。
選択肢は二つ。外に出るか、中に入るか。
(……どちらも罠だとしたら、より状況を把握できるほうを選ぶ)
凪は、ビルの内部へ飛び込んだ。
窓ガラスを突き破り、廃墟のフロアに転がり込む。
射線を切った。案の定、狙撃は来ない。
(やはり、撃たない。ビルの中に追い込むのが目的だった)
その思考が完成した瞬間。
『そこは、もう"猟場"だ』
低く、静かな声が、オープンチャンネルに流れた。
背後のコンクリート壁が、爆発した。
ドォンッ!!
残りの二機のドローンが、窓から突入して自爆していた。偵察でも照準でもない。ドローンそのものが、爆弾だった。
爆風と瓦礫が凪を叩く。HPが一割近く削られる。左腕のセンサーにノイズが走り、糸の精密な制御が乱れた。
(くっ……!)
凪は瓦礫の中から転がり出た。
右腕の遅延を嫌い、咄嗟に左腕主体の姿勢に切り替える。だが左腕はセンサーにノイズが残っている。糸の射出精度が落ちている。
両腕とも万全ではない。
別の路地へと飛び込みながら、凪は息を整えた。
(……この男は、環境を使っているんじゃない)
水で逃げ道を塞ぎ、感電で足を止め、ドローンで追い立て、ビルに閉じ込め、自爆で出口を潰す。
すべての罠が、一つの目的に収束している。
(……"逃げ道"を設計しているんだ)
獲物が逃げられる方向を、一つ一つ潰していく。残された唯一の道が、狙撃手の射線の上にある。
環境そのものを猟場に変える、究極の逃げ道殺し。
(この男は、ビルダーではない)
凪はそのことを、改めて理解した。
機体のベースフレームは、量産型のロボット型だ。装甲を削り、武装を最小限に絞り、余ったペイロードをすべてトラップキットとドローンに注ぎ込んでいる。
設計に独自の思想はない。凪やカミュのような、自分だけの機体を一から組み上げる技術は持っていない。
だからこそ、この男は別のところで戦っている。
機体の完成度で差をつけられるなら、戦場そのものを自分の武器にする。ビルドの才能がない分を、戦場を読む才能で補う。
(……その選択を、俺は笑えない)
路地の向こうで、新しいドローンの駆動音が聞こえ始めた。
まだ残っている。この市街地には、まだ、殺意が埋まっている。
そして凪の両腕は、どちらも万全ではない。
それでも。
凪は、ゆっくりと息を吐いた。
『……面白い。前回とは、別人だ』
右腕の遅延、〇・〇五秒。
左腕のセンサーノイズ。
その両方を頭に入れた上で、凪はピラリスを握り直した。
(この猟場を、正面から突破する)
廃墟の闇の奥に、赤い照準の光が、新たに三つ、灯った。




