第26話 六日目の夜
予選六日目。
凪の百四十七戦目の相手は、ヒューマン型だった。
見た目は標準的な中量級。だが、戦闘が始まった瞬間、その異常性が露わになった。
腕が、伸びる。
ヒューマン型の能力枠に設定された固有スキル。リーチが通常の三倍まで伸長し、あらゆる距離から拳が飛んでくる。
凪の間合い管理が、根本から崩された。
杭のリーチの外から拳が届く。糸で距離を取っても、伸びた腕が追いすがる。ピラリスで弾いても、腕がしなって角度を変え、死角から殴りにくる。
(……厄介だ)
凪は冷静に対処しながらも、何度か被弾した。
右肩の装甲が削られ、左脚にも浅い打撃を受ける。HPが七割を切ったところで、ようやく伸縮のパターンを読み切り、腕が最大伸長した瞬間の硬直を突いて杭で仕留めた。
『――Winner, 凪』
勝ちはしたが、これまでで最も削られた試合だった。
その後も数戦をこなし、凪はログアウトした。
◇
六日目の夜。
ガレージのライティングが、夜間モードの淡いブルーに切り替わっている。
凪はコンソールの前で、予選のランキングボードと各プレイヤーの戦闘ログを開いていた。しろっぷは隣のソファに横になり、端末をいじりながら、時折凪の画面を覗き込んでいる。
1位 迅・ソニック ―― 一四八二〇pt
「……もう確定だね、この人」
しろっぷが、迅のポイントを見て呟いた。
『ええ。二位以下と五〇〇〇以上の差がついています。最終日を待たずに、事実上の一位通過です』
「あはは。やっぱバケモノだ、あの鳥ヤロウ」
凪はランキングをスクロールしながら、上位帯のプレイヤーの名前を一つ一つ確認していく。
「あ、この人」
しろっぷが、画面を指差した。
真摯なキリン。ポイントは七〇〇〇台。上位圏内をしっかりキープしている。
『狙撃型は予選のポイント制と相性がいい。一戦あたりの消耗が少ないぶん、安定して連勝を伸ばせる』
「なるほどね。あの人、しつこそうだし」
『……しつこいのと安定しているのは違います』
「同じでしょ」
凪は小さくため息をつきながら、次のログを開いた。
画面に映ったプレイヤー名を見て、凪の指が、わずかに止まった。
ドウジマ・ジ・エンド ―― 六八〇〇pt
上位圏の端。ギリギリ四位争いに食い込んでいるが、安定しているとは言い難い位置だった。
凪は無言で、ドウジマの直近五戦のログを開いた。
再生。
(……被弾が、増えている)
画面の中のプロトコルは、相変わらずテンプレ通りの立ち回りを繰り返していた。距離管理。シールド。ライフル。教科書通りの、隙のない戦術。
だが、凪の目には、微かな綻びが見えた。
サーベルの切り返しで、〇・一秒の遅れ。シールドを構え直す際の、関節の引っかかり。ライフルのリコイル制御が、以前よりほんのわずかに荒い。
どれも、一般のプレイヤーには気づけない誤差だ。
だが、その誤差のせいで、以前なら絶対に食らわなかったはずの攻撃が、プロトコルの装甲を掠めている。
「あ、ここ」
しろっぷが、画面を指差した。
ログの中で、プロトコルが相手のサブアームの振りを盾で受けている。普通に防いでいるように見えるが、しろっぷの目は違うものを捉えていた。
「このシールドの角度、ちょっと浅くない? 前はもっとぴったり合わせてた気がする」
『……ええ。微調整が甘くなっています。〇・一秒単位のズレが、至る所に出ている』
凪は、静かにログを閉じた。
「昔はオフライン大会で優勝もしてるのにね、この人。あの機体で」
しろっぷが、ソファの上で寝転がったまま、天井を見上げて言った。
『……知っていたんですか』
「うん。あのチームにいた時に聞いた。あの機体、結構長いこと使ってるんでしょ」
『ええ。もう三年以上、同じフレームです』
「三年も同じ機体使ってて、こんなところでズレが出るんだ」
凪は、答えなかった。
答えなくても、二人とも分かっていた。
三年間、あの機体の微調整を担っていたのは、凪だった。
「まあ」
しろっぷが、ころんと横を向いた。
「ランクも似たようなとこにいるし、そのうち当たるでしょ」
『……そうですね』
「楽しみにしてる?」
『……どうでしょうね』
「嘘。あんた、さっきからドウジマのログだけ二回見てる」
凪は、何も言わなかった。
しばらく、ガレージに静かな時間が流れた。
凪がコンソールの画面を閉じ、椅子の背もたれに体を預ける。しろっぷは相変わらずソファに寝転がって、端末の画面を眺めている。
『……明日が、最終日です』
「うん」
『ポイント的には、あと数戦勝てば四位圏内は安定します。ですが、最終日はポイント倍率が上がるので、順位変動が激しくなる可能性がある』
「つまり、油断したら落ちるってこと?」
『ええ。最後まで気は抜けません。……今夜は、明日に向けて早めに休みます』
「うん」
凪がダイブポッドのコンソールを閉じようとした、その時。
「ねえ凪」
しろっぷが、ソファから上半身を起こした。
「その前に、一戦やろうよ」
凪が振り返る。
「最終日の前にさ。ちょっとだけ」
しろっぷの声は、いつも通り軽かった。
だが、その目は、いつもの退屈そうな色ではなかった。
『……調整ですか』
「ううん。ただの、遊び」
凪は、しばらくしろっぷを見つめていた。
『……一戦だけですよ』
「うん」
二基のポッドが、同時に起動する。
白い仮想空間に、漆黒の異形と、漆黒の人造人間が、向かい合って立った。
観戦者はゼロ。ログも記録されない。
「いくよ」
『どうぞ』
しろっぷが笑った。
凪も、ほんの少しだけ、口元を緩めた。
最終日の前夜。
二人の異端児は、誰にも見せない場所で、ただ静かに、刃を交えた。




