第17話 凪
『――Winner, 凪』
無機質なシステムアナウンスが、一戦目の終了を告げた。
フィールドは市街地。崩れかけたビルの谷間で、崩壊したロボット型の残骸が、光の粒子となってゆっくり溶けていく。
その残骸を背に、漆黒の人造人間が、静かに杭を下ろす。
ダイブポッドの中で、凪は、しばらく動かなかった。
戦闘時間、一分四十秒。
ただの偵察戦のつもりで組んだ立ち回りだった。しかし、凪の頭の中では、戦闘開始から終了までの全ての工程が、これまでとは全く違う感覚で展開していた。
(……思った通りに、動いた)
相手のステップの起動フレームを読む。
右に来るか、左に来るか。来る直前の重心移動で、ほぼ確定で分かる。
その瞬間、右手の《ピラリス》の先端を、相手が踏み込む座標に「置く」。
ただ、置いた。
相手は自分から突っ込んできた。
たった、それだけ。
頭の中で完璧に描けていた図を、初めて、そのまま盤面の上に配置できた。指先の翻訳工程が、完全に消えていた。
『……やっぱり、見えてた景色が、全部出せる』
凪の呟きに、返事はなかった。
観戦ルームからのプライベート通信は、開いていない。しろっぷが開かないと分かっていて、凪も開かなかった。
けれど。
コンソールの片隅で、観戦者アイコンの一つが、ずっと消えずに灯っていた。
◇
二戦目。森林フィールド。
相手は中距離アサルトのロボット型。
凪は、試した。
木々の間合いを、頭の中で三次元の図形として展開する。糸の長さ、杭の重量、相手の射撃レンジ、自分のスラスターの燃費。全ての変数を、同時に走らせる。
答えは、一瞬で出た。
アルカナ・オブスキュアの左腕、ひび割れ状のスリットから、青い光が瞬く。
そこから射出された一本の極細の糸が、十メートル先の太い幹に巻きつく。
凪はそのまま機体を引き寄せ、幹を踏み台にして三角跳びの要領で上空へ。
相手の頭上に回り込む。
右手のピラリスを、真上から落とす。
地面に刺さった杭の先端が、相手のコアを貫通していた。
『――Winner, 凪』
(……軽い)
自分の頭の中のイメージが、そのまま世界の輪郭を書き換えていく。あのしろっぷが、何度も口にしていた言葉の意味が、ようやく身体の内側で理解できた。
これが、繋がっているという感覚。
指先が、微かに疼く。
これまで、どれだけ多くの「正解」を、頭の中でだけ腐らせてきただろう。全部、出せる。全部、試せる。ポッドの中の凪の呼吸が、自分でも気づかないほどわずかに、速くなっていた。
(もっと、動ける)
さらに数戦をこなすうちに、匿名ランカーの掲示板に、小さなざわめきが立ち始めていた。
『凪ってやつ、杭使うロボ型ビルダー。低ランク帯なのに全試合一撃必殺』
『どこの誰だろ。見たことないビルドだぞ』
噂が、小さく、しかし確実に広がり始めたその時、凪の端末に一件の対戦申請が届いた。
プレイヤー名――『クルス』。
凪の指が、一瞬だけ止まった。
フレンドリストに残り続けていた名前の一つ。かつて、彼が追放された日、同じ控室にいた男。
添えられていた一文が、短かった。
『よーお凪、ついにランクマデビューか?』
凪は、一拍置いて、受諾を選択した。
◇
フィールドは廃倉庫。
中量級の青いヒューマン型――《プトラジャヤ》が、対面に立っていた。
両拳にはボクシンググローブを模したような分厚い装甲。軽快なフットワーク。典型的な近距離格闘特化のテンプレ構成。
『しかし意外だな、お前が自分でダイブするとは』
オープンチャンネル越しに、クルスの軽い声が響く。
『裏方は裏方らしく、誰かの横でコソコソ口出ししてりゃあ良かったろ?』
『……』
『まあ、いいや。元同僚のよしみで、一発くらい当てさせてやるよ』
凪は、答えなかった。
視線は、クルスの機体の細部を、静かに走査している。
両拳、耐ビームコーティング。前腕から先、通常装甲。
肩、胴体、首、脚部。すべて、コーティングなし。
(……両拳だけか)
凪の頭の中で、クルスのビルドの欠陥が、瞬時に一枚の図として完成した。
試合開始。
クルスが、予想通り真っすぐ踏み込んできた。
テンプレ近距離ヒューマン型の基本、その通りの起動。凪の右手のピラリスが、迎え撃つように中段へ突き出される。
クルスはそれを拳で払い、突進を継続。
『甘いっての!』
その拳が、凪の左腕を狙って振り抜かれる。
凪の左腕のスリットが、一瞬だけ、青く脈打った。
ゼロ距離。
左手のひらから、青いビームが放たれる。
クルスは、慌てる様子もなく拳を合わせた。
バチィッ、と高密度の粒子が拳から飛び散る。
ビームは霧散。機体本体にはダメージが通らない。
『はっ、ビームかよ! 悪いな、拳はコーティング済みだ!』
クルスが勝ち誇ったように叫んだ、その瞬間。
凪は、既に次の動作に入っていた。
左腕のスリットから、糸が一本、するりと射出される。
細く、青く、空気に溶けるような輝度で、クルスの右肩の装甲を掠めた。
(……やはり、肩は通常装甲)
掠めただけ。ダメージはない。しかし、凪はそこで情報を取った。
クルスは気づいていない。
続けて、凪は後退した。二メートル、三メートル。間合いを取り直す。
『なんだ、逃げんのか? 調子乗るからだろ』
クルスが追撃に入る。再度、拳を構えての突進。
凪はそれを正面から迎え撃たず、わずかに半歩、横にずれた。
クルスの突進軌道が、一瞬だけ逸れる。
その空振りの間に、凪は糸を三本、同時に射出していた。
一本目、クルスの左脚の装甲。巻きつく。
二本目、クルスの右肩の装甲。巻きつく。
三本目、クルスの背面のスラスター。絡む。
『――なっ!?』
糸が、強く張った。
脚は逆方向へ、肩は下方向へ、スラスターは上方向へ。三方向への同時引っ張りで、クルスの機体が空中で奇妙にねじれる。
拳は、前に突き出されたまま、硬直していた。
防ぎようがない。どの拳で、どれを守ればいい?
凪は、ピラリスを振り上げ、ねじれた胴体に、正確に打ち下ろした。
装甲が深く陥没し、クルスの機体が後方へ吹き飛ぶ。
『――システム規定値到達。パッシブスキル《底力》、起動』
無機質なアナウンスと共に、プトラジャヤの機体が、赤黒く発光した。
HP10%以下。ヒューマン型特有の全スペック爆発上昇バフ。
『はは、ははっ! 甘いぜ凪ィ! ここからが本番だよなァ!』
クルスのフットワークが、別次元に加速する。
テンプレの基本形。底力を発動させた近距離ヒューマン型は、凄まじい瞬発力で一気に間合いを詰め、拳の連打で仕留めに来る。
その教科書通りの拳が、凪へ向かって爆発的に放たれた。
だが。
凪は、踊らなかった。
底力発動後の加速も、拳の軌道も、凪の頭の中では試合開始前から計算に組み込まれていた。ヒューマン型の底力の挙動は、環境データとして数値化されている。未知の変数は一つもない。
一打目の拳を、ピラリスの腹でいなす。
二打目を、半歩の後退で避ける。
三打目、踏み込みの軸足を糸で一瞬だけ引く。
『な――ッ!?』
底力状態でも、拳だけが強化されても、足場が崩れれば打撃は届かない。
クルスの機体が、初めて、小さくバランスを失った。
その硬直の中心に、凪が踏み込んだ。
右手のピラリスを地面に突き立て、支点にして、身体ごと跳ね上がる。
空中で、左手が、クルスの首へと伸びる。
『ぐっ――』
クルスの首の装甲。コーティングなし。凪の左手が、その首を、静かに掴んだ。
左腕のひび割れが、これまでで最も強く、青く脈打つ。
光が、腕の全体から手のひらへと収束していく。
『ちょ、待て、ま――』
『……ビームの処理を、全部、拳で行うビルド』
凪の声は、静かだった。
目の前のクルス一人に向けた声ではなかった。
『最近、流行っていますね。……どうなんでしょうね、これ』
ゼロ距離。
首に押し当てられた手のひらから、凝縮された青い光が放たれた。
静かな閃光。
次の瞬間、プトラジャヤの首から上は、光の粒子となって宙に散っていた。
『――Winner, 凪』
底力の赤黒い発光が、ゆっくりと消えていく。
クルスの機体が、音もなく地面に膝をついた。
『……お前……』
通信越しに、掠れた声が漏れた。
その先の言葉が、続かなかった。
試合終了のアナウンスが、その呆然を遮り、スタジアムに静かに響き渡った。
観戦ルーム。
しろっぷは、モニターを眺めたまま、口元を緩めていた。
「楽しそうだねえ」
声に出して、一度。
頬杖をついていた彼女の姿勢が、ほんの少しだけ、モニター側に傾いた。
モニターの中央では、漆黒の人造人間が、杭を引き抜き、何事もなかったかのように静かに佇んでいる。
そのスリットから漏れる青い光が、ほんのわずかに、いつもより脈動のテンポが速い気がした。
「……私とは、ぜんぜん違う勝ち方、するじゃん」
その声は、どこか嬉しそうだった。
しろっぷは、スツールの上で、ぐっと伸びをした。
彼女の相棒は、ようやく、自分で勝ち方を覚え始めていた。
機体名:プトラジャヤ
タイプ:ヒューマン型
HP:140
攻撃:260
防御:130
スピード:220
メイン武装:拳強化グローブ(20)+耐ビームコーティング(20)
予備グローブ×1:(20)+耐ビームコーティング×1:(20)
????:(80)
総コスト:910 / 1000
余剰コスト:90




