第14話 通達
ピロン、ピロン、ピロン――。
軽快な通知音が、しろっぷのホログラムウィンドウを止めどなく埋め尽くしていく。
「うわ、また増えてる」
ダイブポッドの縁に腰かけたまま、しろっぷはあくび混じりに画面をスワイプした。
《対戦申請》。《対戦申請》。《対戦申請》。
差出人の枠には、聞いたことのある中堅ランカーの名前が並び、その中に明らかに格上の有名プレイヤーの名前まで紛れ込んでいた。
「ねえ凪、見てこれ。私、人気者じゃん?」
『……ええ』
プライベートルームのモニター越し、凪の声は淡々としている。
『十一戦の動画が拡散して以降、申請数が指数関数的に伸びています。今日だけで二百件を超えました』
「に、にひゃく」
しろっぷは目を丸くして、それからにやりと笑った。
子供っぽい、獰猛な笑みだった。
「全部やりたい」
『無理です』
「えー、なんで」
『稼働限界を考慮してください。それに、ほとんどが格下です』
即答。
「じゃあさ、強いやつ優先でいい?」
『……それが妥当ですね』
凪のコンソール側で、申請のフィルタリングが瞬時に走る。レート、戦績、機体傾向。膨大なリストが秒単位で篩い分けられていく。獲物だったはずの少女は、いつの間にか狩られる側ではなく、選ぶ側に立っていた。
「じゃあ、上から順番に――」
しろっぷが申請画面に指を伸ばした、その時。
ブゥン、と。
ガレージ全体が、低く震えた。
しろっぷの画面から、対戦申請の通知が一斉に消失する。
代わりにポップアップしたのは、システム全体に強制配信される告知ウィンドウだった。
『――グローバル・アナウンス』
無機質な音声が、ガレージ全体に響き渡る。
「……なに、これ」
しろっぷが、初めて画面に身を乗り出した。
『《フリーダム・フロント》運営本部より、全プレイヤーへ重要なお知らせがあります』
空中に展開されたウィンドウが、次々と内容を更新していく。
『一、ワールド・チャンピオンシップ開催決定』
『二、各国代表選抜方式により、世界十八地域から代表プレイヤーを選出します』
『三、日本代表選抜大会を、来月より段階的に開催。上位ランカーへの自動招待枠、ならびに全プレイヤーに開かれたオープン予選を併用』
『四、同時に、新たなシステムアップデートを実施します。詳細は本通知の末尾を参照』
しろっぷの瞳が、ゆっくりと細められる。
退屈そうな普段の表情が、少しずつ別のものに塗り替えられていく。獲物を視界に入れた肉食獣の、静かで純粋な集中の色だった。
「世界……?」
ぽつり、と呟く。
言葉を反芻するように、もう一度。
「世界の、強いやつが、いっぱい?」
『……そういうことになりますね』
「やる」
しろっぷの返答は、迷いゼロだった。
「ぜったい、やる」
『でしょうね』
凪がわずかに口元を緩めたのが、通信越しに伝わる。
しろっぷは、その場で立ち上がり、ぐるぐるとガレージを歩き回り始めた。
「ねえ、あの鳥ヤロウも出るよね。絶対出るよね」
『……間違いなく』
「あと誰がいんの。世界ってなに。何人いんの。早く知りたいんだけど」
『落ち着いてください』
「むりだよ」
彼女の声は、弾んでいた。
同時刻。
トップランカー専用の高難度フィールド。対戦相手を一人、塵のように蹴散らした直後の白い機体が、宙にふわりと浮かんでいた。
《シュトゥルム・ファルコン》。
ダイブポッドの中で、迅・ソニックは同じ告知ウィンドウを眺めていた。
「……へえ」
軽い声だった。
彼は自分の機体の装甲を一瞥し、それから、世界大会という四文字を指先でなぞった。
「世界、か」
つまらなさそうに見えて、彼の口角は、わずかに上がっていた。
「ずっと、国内だけじゃ退屈だったんだよね」
頂点に居座り続けることが、彼にとっては一番の倦怠だった。勝ち続けても、誰も追いついてこない。追いついてこないから、壊しがいがない。
しかし先日、一人だけ。
あの理不尽な異形の少女だけが、彼の刃の先まで届きかけた。
「あのモンスターちゃんも、来るよね」
誰に問うでもなく呟き、迅は小さく笑った。
「世界には、もっと変なやつ、いっぱいいると思うんだ。ねえ」
通信を閉じる。
その瞳の奥には、子供が新しい玩具箱を開ける直前のような、無邪気で残酷な光があった。
都内某所、上位ランカー向けの貸し切りサーバー。
中量級ロボット型の使い手、周 李龍ショウ・リーロンもまた、同じ通知を静かに眺めていた。
「……来たか」
彼はダイブポッドから出ることもせず、コンソールを叩きながら、すでに複数のデータを展開していた。
過去の国際大会の傾向、上位プレイヤーの機体傾向、各国のメタ環境。彼の思考は、告知が表示された瞬間から、すでに「どう勝つか」を走り始めていた。
そして、その思考の片隅に、一つの異形が絶えず映り込んでいる。
(あの機体と、あのパイロット)
漆黒のモンスター。《クリサリス・ヴァリアント》。
彼の理論をあっさりとへし折った、得体の知れないバケモノ。
「……世界に出るまでに、あれを攻略できなければ、話にならんな」
呟いた声は、苛立ちではなかった。
むしろ、冷静な戦略的興奮。彼にとって、しろっぷという異物は、世界大会という新しい盤面を攻略する上で、真っ先に越えなければならない壁として明確に定義されていた。
「……楽しくなってきた」
彼の瞳が、冷たい炎を宿して細められる。
そして、もう一つのガレージ。
堂島ドウジマ・ジ・エンドは、プライベートなコンソールの前で、同じ告知を無言で眺めていた。
彼の画面には、告知ウィンドウの横に、別のもう一枚のウィンドウが開いたままになっていた。
そこに映っているのは――黒く歪な異形が、狼のようなロボット型を肉の鉤爪で串刺しにしている、カイト戦のリプレイ映像。
「……」
彼は、長い間、黙っていた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「世界、か」
低い声だった。
「……俺のテンプレは、世界でも通用する。それは疑っていない」
言い聞かせるような口調。
だが、彼の指は、無意識のうちに、もう何十回と再生した異形のリプレイ映像のシークバーへと伸びていた。
「……ただ、あれが、同じ舞台に上がってくるのは、面白くないな」
呟いた声は、自分でも気づかないほど、苦い。
画面の中で、異形は何度目かの『完成』を繰り返していた。
そして、夜。
しろっぷ専用のプライベートルーム。
ガレージのライティングが、夜間モードの淡いブルーに切り替わっている。
しろっぷは、ひと通り申請を選別して気の済むまで戦った後、ソファにぐったりと身を投げ出していた。
「あー、つかれた。でも気持ちよかった」
『お疲れさまでした』
「ねえ、世界大会さ。いつから?」
『選抜の詳細は、明日以降に段階的に送付されるとのことです』
「長い」
『ええ、長いですね』
軽い談笑が続く。
凪は相変わらずコンソールの前で、対象ランカーの情報や過去の大会形式を整理していた。しろっぷはソファの上で、脚を投げ出しながら、その横顔をぼんやり眺めていた。
そのうち、ふと、しろっぷは自分の端末を開いた。
告知ウィンドウ。一項目目から三項目目まではもう読んだ。彼女の興味は完全にそこで終わっていた。
だが、何の気なしに、四項目目のあたりを親指でスクロールする。
「……あれ」
しろっぷの目が、ぴたりと止まった。
「ねえ、これ見て。アプデのやつ」
『アプデ?』
「新しい入力デバイスだって。思考と感覚を、機体に直接伝えるやつらしいよ」
凪の手が、コンソールの上で、一瞬だけ止まった。
しろっぷは、その止まった手を見ていなかった。彼女はただ、自分の端末を眺めたまま、少し首を傾げている。
「ふーん……」
何度か文字を読み返して。
それから、ぽつりと。
「……これさ、あんた、向いてんじゃない?」
凪は、すぐには答えなかった。
しろっぷは顔を上げる。ソファの背もたれに顎を乗せて、こちらを覗き込むような姿勢。いつもの気怠げな表情なのに、目だけが、やけに真っ直ぐだった。
「あんたの声、たまに私より早いんだよね。私が次こうしたいって思った瞬間に、もう飛んでくるの」
『……』
「なんでだろって、前から思ってた」
彼女はそれ以上、追及しなかった。
ただ、次の言葉は、自然に続いた。
「ねえ。これ、あんたも入ってきたらさ」
しろっぷは、少しだけ笑った。
「二人で、もっと暴れられんじゃん」
凪は、しばらく返事をしなかった。
「世界とかさ、いっぱいいるんでしょ、強いやつ」
しろっぷは、ソファの上でころんと仰向けになる。天井を見上げたまま、続けた。
「あんたが入ってきてくれたら、絶対楽しいよ。私が暴れて、あんたが繋いで。今までの環境、二人で全部ひっくり返しちゃおうよ」
軽い声だった。
気負いも、押し付けも、何もない。ただ、彼女の中では当たり前の未来を、当たり前に口にしているだけの響き。
凪の指先が、コンソールの端で、わずかに震えた。
『……少し、考えます』
「ん、いいよ。待ってる」
しろっぷは天井を見上げたまま、満足そうに目を閉じた。
ガレージの淡いブルーのライティングが、二人を静かに包んでいた。
凪のコンソール画面の隅では、告知ウィンドウの四項目目が、ずっと開かれたままだった。
『フルダイブ・ダイレクト入力モード/β版――思考と感覚を、直接機体へ伝達』
その一文を、凪は、しばらく見つめ続けていた。




