第四幕 亡霊の日々から微かな光へ ―楚の郢都 再び―
少し時を戻そう。
夏姫が楚に連行されて間もない頃、申公巫臣が彼女の前に現れたのは、一度きりだった。
荘王への諫言の後、宴の席が解けてゆく中で、巫臣はただ一度、彼女と視線を合わせた。
男たちの視線はいつも同じだった。種類の違いはあっても、根は同じ欲望の目だった。値踏みする目、征服しようとする目、美しいものを手に入れることで己が高まると信じている目。夏姫はそういう目を受け流すことに、すでに熟達していた。
巫臣の目は、違った。
ガラスを通り抜けてきた。通り抜けてきた、というよりも、ガラスなどないかのように、真っ直ぐこちらへ届いた。欲望ではなかった。不吉と言いながら、その目には蔑みも恐れもなかった。
傷を持ちながら傷を隠さない者だけが持つ、静かな目だ。
その目に触れた瞬間、彼女の胸の穴が、わずかに疼いた。
疼くということは、そこにまだ何かあるということだった。
それが怖かった。何かを感じることは、何かを失うことへの入り口だった。この三十余年の生涯で、感情を持つたびに彼女は傷ついてきた。だからこそ石になることを選んだのに、この男の目はじわじわと石を溶かそうとしていた。
その夜、夏姫は久しぶりに泣いた。
理由は分からなかった。泣きながらも理由が分からず、それが余計に彼女を混乱させた。悲しくて泣くのではなかった。何か固く閉ざされていたものに、細い亀裂が入ったような、そういう泣き方だった。寝台の中で、膝を抱えて、声を殺して。
息子の寝息を思い出した。
遠い、遠い場所に置き去りにしてきたものを、思い出した。
Claude sonnet 4.6 Lowで作成
no+e「小説 傾国の花 ―夏姫伝―」
https://note.com/norifumi07/n/n819e6a51a6b6?magazine_key=m48308acc548a




