第八話 胎動
一月二十四日 午後十一時過ぎ
五階 一等客室
私は鏡を見てボブカットに切りそろえた燃えるように赤い髪を櫛ですいていた。服装はいつもの黒いコート。その下には黒いベルトで締め付けた白い革ズボンと、白いビジネスシャツ。ネクタイなんて無粋なものはつけていない。
枝毛無し、いつもながら完璧な美しさ。
ハイ・シド用の一等客室。黒を基調とした室内。百平方メートルはある広い空間。上質な衣装箪笥、ベッド、机、椅子、そういったものが備え付けられている。もちろん寝室、居間は独立しているし、風呂とトイレも別だ。まぁ、私にはこれくらい当然の待遇だけど――独り寝は退屈。
時間を確認。そろそろ火遊びの時間ね。ワインを一口飲み、喉を潤した。
扉を開けて廊下の外に出る。扉は開いたままにしておく。周囲を見渡すと廊下の端に一人、ヒューマンの男の警備員が立っている。
「すみません、ちょっと室内に変な虫が出て……」
そう言って警備員に抱き着いて腕に胸を押し付ける。
驚いた顔をした警備員はいやらしい笑みを浮かべそうになるが、必死に自省している。ふふ、かわいい。
「私、虫がどうしても怖くて……どうにかしてもらえません……?」
そう警備員の耳元で囁く。吐息が彼の耳たぶを、首筋を愛撫するように。
「も、もちろんです。任せて下さい」
「助けてくれたら……お礼をしますから……」
そう言って彼の首筋に軽く唇を触れ軽く舌で肌をなぞる。
「は、はい」
上ずった声を出した警備員は扉を開きっぱなしにしておいた私の部屋へ、ふらふらと向かう。部屋に入った私は扉を閉める。扉の閉まる音が室内にやけに大きく響く。
「む、虫はどこに?」
そう言いながら辺りを見渡す警備員。
「ここにいたみたい」
無防備な背中をさらしている彼の背後から、私はローキックを叩き込んだ。
五分後。
物言わぬ骸となった警備員の死体を私は見下ろしていた。私相手に、ラッキースケベならぬラッキーデスを貰った彼は、今はもう動かない。何てことだろう。悲劇ねこれは。
しかし、ここは実にいい。完璧な防音。部屋に付属のジャマーを起動すれば、今しているように完全に通信も断絶可能。もちろん盗撮・盗聴もない。監視カメラも、階の出入り口にしか無い。
新西京の街中は油断がならない。どこで視られている・聴かれているかわからない……でも、ここなら完璧に自分だけのアトリエを持てる。随分と素敵な話よね。
つまりハイ・シドの変態がどれだけ変態行為にふけろうと誰にもばれないってことなのでしょう。階級社会の上層部に上り詰めてやることが結局セックス関係、ロー・シドとの差が仮想現実ではない実在の誰かを性的に消費するだけってのも退屈な話だけど――私のように芸術を理解してないから、しかたのないことなのかもしれないわ。
もちろん、私だってセックスは人並みに好きだけど、なかなか眼鏡にかなう相手がいないのよね。世の男って本当に退屈。
「アベル」
コートの下、右腰につけた銃に声をかける。
「はい。カイン様」
「彼のIDから、この客船の警備の全貌を抜いてもらえるかしら? 後、TACソフトのコンディションモニタの偽装もね」
「もちろんです」
私は椅子に腰かけて、部屋の冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを飲んで待つ。
数秒後、アベルが賞賛の声を上げる。
「流石ですカイン様。下見され、あたりをつけておられたあたりがまさに正解でした」
「つまり?」
「四階に警備員詰所があります。そこで恐らく艦内のモニタリング、一等区画以外で問題があった場合の派遣指示を出しているものと推測されます」
「常設警備員は?」
「彼のホロリンクに残されている警備計画によれば、警備員は八十名。いえ、七十九名。モニター室には常時八人が詰めています。残りは一等区画、上部甲板に三十人ほどが分散して配置されています。残りの半分は基本的に休憩。ローテーションを組んでいると推測されます」
「モニター室の位置は?」
「四階の従業員専用区画にあります」
その答えを聞いて私は立ち上がる。
「なるほど。挨拶に行かなくちゃね。お宅の警備員、教育がなってないんじゃないの? 客の色仕掛けに負けたわよ? ってね」
「カイン様。カイン様はフェロモンスプレー改造をしています。あなたの誘惑に耐えるのは並みの自制心では難しいかと」
「それでも耐えてくれる人を誘惑して、堕としていく過程が楽しいんじゃない。あんなあっさり堕ちるようでは、ちょっと、ね」
私は静かに、あくまで優雅に、タンゴを踊るように廊下へと滑り出た。
午前零時過ぎ
四階 従業員専用区画 警備員詰所前
扉の前で私はアベルに確認を取る。
「アベル。彼等のTACソフトのコンディションモニタリングの偽装工作、よろしくね」
「もちろんです」
数秒待つ。
「完了しました」
それを聞いた私は殺した警備員からはぎ取ったCIDを提示。警備員詰所の扉を開ける。
開いた詰所は一面にモニター。広さは私の部屋と同じくらい広い。椅子に座った警備員が八人。全員ヒューマン。四人はこちらに背を向けてモニターを注視している。四人は中央にある机について寛いでいる。
ゲームスタート。
「I GIVE YOU CONTROL」
私はアベルに射撃権限を譲渡。
「I TAKE CONTROL」
アベルが答えた。
机についている二人が扉が開いたのに反応し、私の美貌に目を留めた。良かったわね、死ぬ前に見られたのが私で。
室内に入りながら瞬時に銃を抜き、目が合った二人に照準を合わせる。トリガーを引く手間もなく、弾丸が銃口から送り出された。二人の頭が吹き飛び、血と脳漿が飛び散り、壁にロールシャッハ・テストの準備をしてくれる。
同時、私の背後で扉が閉まる。廊下を汚さないように扉が気を遣ってくれたかの如く。さぁ――もう誰も、逃げられないわ。
銃声を聞いて机についていた残り二人が顔を上げ、モニターを見ていた四人のうち二人が椅子から立ち上がりつつ振り返り、二人が椅子に座った姿勢で振り返ろうとする。
遅い――モニタ―前の椅子から立ち上がった二人を撃ち殺す。残りはモニター前の椅子で振り返ろうとしている二人と、机から立ち上がろうとした二人。
続けて私はしなやかな、強化された脚で机を蹴りつける。机から立ち上がろうとした二人に机がタックルをかけた。嵐に舞う木の葉のごとく、二人は机に巻き込まれて椅子ごと無様に転倒し、机と椅子が床に衝突し悲鳴を上げ、二人の苦痛と驚きの声と合わさり協奏曲を奏でる。
同時にモニターを見ていた二人――座ったまま振り返ろうとしていたノロマちゃん達――を更に撃ち殺し、銃声でアクセントを添えてあげた。
さて、残ったのは机に下敷きにされた二人。
歩み寄った私は、机を慌ててどかそうとする二人の頭に照準を合わせる。自動的に銃弾が発射され、二人の頭に吸い込まれた。ゲームセット。
「制圧完了」
念のため確実に死んでいるか見て回る。
「流石ですカイン様。いささか歯ごたえがなさすぎますか?」
「そうね。でも――メインディッシュがまだでしょう? こいつらのボスは?」
問題なく全員死んでいる。
「TACソフトを確認したところ、倉田という名前のエルフですね。自室で睡眠中のようです」
「いつも思うんだけど、こういうハイクラスな区画だと警備員もだいたいヒューマンやエルフが多いわよね。適材適所ならオークやトロールの方が向いてるのに」
「彼らは見栄えが悪いですからね」
「ドワーフやノームにいたっては小さくて威圧感がないし、足も遅いから話にならないってことかしら」
ずっと立っているのもなんだし。椅子と机を戻すとしましょう。
「多分そうなのでしょう」
「私は美しいダークエルフでよかったわ」
アベルと会話しながら椅子と机を戻す。
「カイン様ほど美しいかたはなかなか居られません」
アベル、わかっているじゃない。流石私の愛しの人工知能。
「ふふ、ありがとう。じゃあ次は――」
「倉田を呼び出しますか?」
「いえ、まずはリーに声をかけましょう」
私は従業員として紛れ込んでいるリーと、その部下たちにメッセージを送る。
(リー。三人ほど連れてこの場所に来て。お掃除をお願いしたいの)
(わかりました)
数分後、台車に黒い死体袋を積んだリー達が到着した。
リーは痩せ型で背は百七十センチ前後。筋肉よりも神経質な細さ。黒髪を適当に刈り込んだツーブロック。伸びかけの前髪が時々目にかかるが、その目は少し大きくて黒目がち。寝不足でクマがあるけど、瞳そのものは真っ直ぐ。口元だけはよく動いて、笑う時も本気で信じている感じの笑い方をする子。ゼロシド革命軍のリーダーに私が任命してあげた。
部屋の内部を確認した四人が目を丸くする。
「これは、カイン様がおひとりでされたのですか?」
リーがおずおずと聞いてくる。
「当たり前でしょ。私が詰所を制圧すると計画書に書いておいたの忘れたの?」
「それはそうですが――これは――」
一人で八人を、しかも無傷で倒したのが信じられないらしい。
あなた達とはモノが違うのよ。ごめんね、かわいこちゃん。
「でも、私……後片付けが嫌いなのよ。食べた後、食器を洗うのが好きな人もいれば、嫌いな人もいる。私はあまり好きじゃないの。よろしくね」
「かしこまりました」
「まずは机と椅子を綺麗にして頂戴」
リー達が死体袋に死体を詰め込む間、私は椅子に座り、室内を物色。戸棚とサイドテーブルにある湯沸かし器と紅茶のパックを発見したので、それで紅茶を淹れることにする。お茶請けにカステラがあるのでそれも頂くこととしましょう。
「なかなかわかってるわね」
「何がですか?」
死体を片付けながらリーが聞いてきた。律儀な子ね。可愛いわ。どんな風に壊れるのかしら? すぐに壊れないのなら愛してあげてもいいけど――今、この子を試すのは仕事に障りが出る。ダメね。残念。
「紅茶にカステラはよく合うのよ」
「そうなんですか?」
ああ、ゼロ・シドの無教養は本当に哀れよね。そんなことも知らないなんて。もちろん、普段から紅茶なんて飲めないから知らなくて当たり前の話ではあるのだけども。哀しいけど、これが世界の真実。這い上がれない者は永遠に搾取されるしかない。命も、魂すらも。
「覚えておくといいわ」
「はい、ありがとうございます」
「後、血飛沫とかも掃除しといてね?」
「はい!」
嬉しそうに返事をしたリーは部屋の掃除に取り掛かった。
部屋の掃除を終え、てきぱきと死体を死体袋に積み込んだ四人は、それぞれの台車に二つずつ死体袋を乗せ、部屋から出て行った。
「さて、仕上げをしないとね。倉田を呼び出してちょうだい」
私はパイプ椅子の背もたれによりかかり、アベルに命じた。
私に背を預けられたパイプ椅子は嬉しそうな軋みをあげる。
「はい、ただちに」
これでもう、この船は完全に私のものになる。退屈な前座もそろそろお終いね。




