第七話 それぞれのステージ
午後 八時過ぎ
六階 大イベントホール
(シーリー・マーティン)
イベントホールの床は暗い赤。壁面は黒色。どうしてこういう豪華な雰囲気の部屋の内装ってギリシャ風の彫刻が施されていることが多いのかしら。もしくはゴシック風だったり、ヴィクトリア様式だったり。今回のパターンはギリシャ風だ。大きな窓からは外が見える。沿岸部に輝く灯が窓から飛び込んでくるが、その輝きは灯台ではなく、摩天楼のものだ。
「何と引き換えでも構わな~い」
ステージを照らす強烈なスポットライトが、私の視界を白く焼き切ろうとしてくる。コンタクトレンズの大光量補整が眩しさを低減してくれた。
スポットライトの光の向こう側に広がる光景は、鮮やかなもの。ホールを埋め尽くすのは新西京の一区に住まう選ばれし民、ハイ・シド。彼らの瞳には、私の歌への賞賛ではなく、新西京で人気の歌姫が僅か百人足らずの為に歌う場にいることに価値がある、という歪んだ自尊心が透けて見えた。だからこの仕事嫌だったのよ。歌いながら私はマネージャーに後で文句を言ってやろうと心に誓った。
「救えなかった! 誰かの顔が!」
最前列の特等席を一瞥する。
笑うたびにプラチナの牙を光らせるオーガ。企業の重役だろう。仕立ての良い特大のタキシードに、はち切れんばかりの筋肉を押し込んでいる。
年齢不詳のヒューマンの女性。左右で色の異なるサイバーアイをこちらに向けている。肌はここからでも分かるくらい白く漂白されている。
左半身を透明な強化プラスチックに改造したドワーフ。内部で動く精密な金メッキの歯車を見せびらかせている。
皆、似たり寄ったりだ。地位を、金を、誇示しようと虚勢を張る人達の群れ。
「くずれゆく~へいおんを、すくいあげ~ひろいあつめ」
しかし、一人だけ何か違う匂いの人が座っていた。
彼女は――金髪のロングヘアをなびかせた、妖艶なダークエルフの美女だった。他のVIP達のように、贅沢な食事や装飾品を自慢しあうこともない。青いドレスを着た彼女の冷たい金色の瞳は、退屈そうにあたりを見回していた。誰かに雰囲気が似ている。そう、探偵さんだ。目の前に何があっても常に――背後にすら――気を配っている、そんな感じ。でも、何かが決定的に彼とは違う。私は歌を歌いながら、そんなことを思っていた。
午後十一時過ぎ
一階 従業員室
(斎藤誠二)
あの後、地獄に舞い戻った俺は――名誉なことにう〇こぶという称号まで頂戴し――一生分のジャガイモの皮を剥き、洗い物をし、解放された。
これをあと一週間だと?
やばい、死んでしまう。真剣に脱走計画を立てる必要性を感じてきた。四階の売店でピザポテトの大袋とトロールでも気絶させられる強化スタンガンを購入。
とぼとぼ歩いていると金髪を腰までのロングヘアにし、青いドレスを着こなしたダークエルフの美女が正面から歩いてきた。何だこいつは…………妖艶という言葉では表現しきれない。俺の本能が警鐘を鳴らす。この身のこなし……アンダーだ。俺は敢えて素人っぽい歩き方で歩く。彼女は俺をちらりと見ると、興味をなくしたように視線を逸らす。すれ違い、俺はそのまま部屋に戻る。
CIDをかざす前に扉にノックをする。もう一発アイロンを食らうのはもうごめんだ。これ以上イケメンにされたらハリウッドにイケメン俳優枠でスカウトされてしまうからな。
「あ、はい。どうぞ」
ナージャさんの許可を得て室内に入る。彼女の声は、透き通った水晶のようで綺麗だと思う。シーリーの美しいソプラノや、ジェーンの抑制された知性に満ちた声とはまた違った魅力がある。
俺のベッドの上をちらっと見る。リーナスはちゃんとナージャさんが戻ってくる前に鞄に戻ったようだな。俺のベッドの上に奴の毛が多少落ちている気もするが――まぁ、ナージャさんが俺のベッドの上に来ることは無いだろうから問題あるまい。
ナージャさんは二段ベッドの上にいるようだ。一瞬だけ位置を確認した俺はそれ以上は見ないようにする。というかもう彼女のことなどどうでもいい。とりあえず寝たい。断言できる。世界一の美女に添い寝を懇願されたとしても、俺は断ってベッドに直行して独り寝を選ぶと。
俺は自分のベッドに崩れるように座り込む。……。立ち上がる気力もない。さっさとこの従業員用の服を脱いで短パン、Tシャツに着替えて寝よう。だが、体がいうことを聞かない。少し休もう。あぁ、その前にシャワーを浴びたい。部屋に付属しているシャワールームに向かうだけの体力を充電しなくては。
「斎藤さん、さきほどはありがとうございました」
ナージャさんが梯子を降りてきて改めて挨拶を言ってきた。そんなに何度もお礼を言われるようなことでもない。今気づいたが、梯子の降り方にそつがない。多分彼女はゼロ・シド……だからきっと、過酷な環境で生きてきたのだろう。
「いえ。お気にせず」
手を振ってそう返事をしたが、その時、俺はもう一つの約束を思い出した。
「あぁ、ナージャさん。これ」
そう言って先ほど買ったスタンガンを渡した。
「えっと……?」
「いや、ほら。私が血迷ったときのためのスタンガンです。万が一そんなことがあったら遠慮なくやってください」
まぁ無いけどね。ただ、彼女の精神衛生上必要なものだ。
「斎藤さん、本当に変な人ですね」
そう言うと、なぜか彼女はおかしそうに笑った。
変? 約束を守るのが変? 彼女の周囲は嘘つきしかいなかったのか?
「いや、私はただ約束した物を……」
「私がレイプされそうになってたのを助けてくれたあなたが、そんなことをするとは思っていませんよ」
「それとこれとはまた別です。関連性はありません」
俺はきっぱりと断言する。そういう決めつけは危険だ。今後の彼女のためにもならん。
「そうですか? えっと、隣に座っても?」
隣? 同じベッドに隣同士?
もう少し自分が女性ということを考えて欲しい。リーナスの毛のこともあるし断りたい。だが、これから一週間同室になる相手だ。あまり邪険にするのもな……俺は大きくずれると手で示した。
「どうぞ」
「これ、さっきのお礼なんですけど」
そう言いながら彼女は俺にお菓子の包みを渡してきた。
合成でんぷんではなく、天然ジャガイモを使ったポテトチップス……高かったろうに。またジャガイモか。俺は前世でジャガイモ農家だったに違いない。
「いや、そんな、気にしなくて結構だったのに」
「そんなわけにはいきません」
普段は大人しい印象の彼女だが、きっぱりした口調で言われてしまった。
「じゃあ、これで貸し借りなしということで一つ」
「本当に変な人ですね、斎藤さんは」
「そうですか?」
「斎藤さんは、普段は何をされている人なんですか?」
俺は寝たいんだ! そう叫びたかった。ただのお礼と雑談かよ!
「えーと……普段は……ジャガイモの皮むきを少々」
「えっ、じゃあ船を渡り歩いているコックさん的な?」
「ま、まぁ……そうなりますかね。私のPPMは5.2ですよ」
これは自慢してもいいだろう。
それを聞いた彼女は歓声をあげた。
「PPMが5.2!? すごいですね! ……。あの、PPMって何です?」
知らないのかよ! 思わずこける。
「いや~業界用語なんで知らなくても当たり前なんですが……」
「えっと、初めて聞いたんですけど……」
奇遇ですね。俺も今日初めて聞いたんだ。そう言いたかった。
「一分間にどれだけの個数のジャガイモの皮を剥けるのかの指標で~」
この謎の雑談から俺が解放されたのは一時間後のことだった。どうでもいいことだが、彼女はいつの間にか俺のことを誠二さんと呼ぶようになっていた。
俺はとりあえず鞄を持ってシャワー室に向かう。
シャワー室にわざわざ鞄を持ち込んだのはリーナスを解放するためだ。
(ほら、リーナス。約束のものだ)
鞄から出てきたリーナスの目の前にピザポテトの袋を開けて置いてやる。
辺りにピザポテトの暴力的なチーズの匂いが広がる。
(やれやれ、声も出せんとは難儀なものであるな)
リーナスは文句を言いながら袋に頭を突っ込んでガサガサしだした。
(密航者……いや、密航猫の辛い処だな)
言外にお前の自己責任だという意味を込める。
(密航神であるぞ)
駄目だ、やはり所詮は猫。理解できていない。
(お前が密航神なら俺はジャガイモ神だ)
リーナスが食べるのを見ていたら俺も食べたくなってきた。
(頭大丈夫であるか?)
(うるせー! 何でもいいから早く食べろ)
(食べてやっているが?)
なんでこいつは食べさせてもらえてるのにこんな態度なんだ?
俺は一日イモと格闘していたってのに!
俺は換気扇を全開にする。そしてシャワーに向かう。ピザポテトをトイレ併設のシャワールームで食べてる変人だと思われたくはない。これで匂いが全部消し飛べばいいのだが……無理か。無理だろうな。うん。
お湯が、俺に染み込んだジャガイモの呪いを洗い流してくれているようだ。気持ちいい。今死んでも悔いは……流石にあるな。
(雪風)
シャワーの湯で生き返った俺は雪風に声をかける。
(はい)
(この船が航行不能になったときのために、救命ボートの位置などを教えてくれ)
本来ならこの船に乗り込んだ時に自分の目で確認しておくべき事項なのだが――ナージャさんのアイロンアタックやフルメタルキッチンの地獄で完全にそれどころじゃなかった。今からでも遅れを取り戻さねばならない。
しかし、雪風の反応は鈍かった。
(……誠二、何を考えているんですか?)
おい、どういう意味だ? 何を警戒している?
(もちろん脱走だ。違う、もしもの時のことを考えているだけだ。というか、基本だろう。ホテルに泊まるとき、豪華客船に乗るとき、まず第一に確認するべき項目だ)
いかん、つい反射的に本音が。正論でラッピングしてうまく誤魔化さなくては。
(あなたに知る権限は――)
(おいおいおいおい! オープンになっている情報だろうが! どうせ時間をかければ調べられるんだぞ!)
(チッ……わかりました。手間を省いてあげましょう)
こいつ、今、舌打ちを……?
誰か、誰でもいい、芋地獄を潜り抜けた俺を癒してくれる誰かはいないのか?
送られてきたデータを確認。
ふむ。救命ボート、潜水器具、一等客室には専用の射出脱出装置まである。
普通に、余裕で乗客の数を超えている。素晴らしい。
タイタニックとは大違いだ。
これでいつ沈んでもオッケーってことか。
俺には妙な確信があった。この地獄があと一週間も続くくらいなら、三日目くらいでこの船を沈めるという確信が。
(誠二。バイオモニターが不穏な兆候を――)
(気のせいだろ)
俺はバイオモニターをオフにする。
(誠二?)
(あれ? 故障かな~? 胡椒被っちゃったかな?)
(……。リーナス、座布団十枚もっていってください)
(今、このつまらぬダジャレ男を外に放り出したら、こ奴のフル〇ン姿をあのナージャとかいう女子にさらす可能性があるがよいのか? それはそれで面白そうだが)
ピザポテトの袋をガサガサ鳴らしつつリーナスがふざけたことをぬかす。
(構いません。ついでに幻滅してもらいましょう。変態露出男として)
(おい!? 止めろ! 船から放り出される! オホン。警備の状況は?)
(恐らくは本艦のどこかにあるセキュリティルームから客船内部の映像を確認し、問題が生じた場合そこに警備員を派遣する体制になっているのでしょう)
(まぁ、そうだろうな)
(あなたの今日の趣味で確認できた範囲では、一等区画には常に数人の警備員が常駐しているようです。それ以外の区画にはいません。そういうことでしょう)
(金払いのいいお客様から守る。流石は資本主義。最高だと思わんか? この形を変えた階級社会)
(底辺のひがみはみっともないですよ)
くっ、言い返せん。
(リーナス。食べ終わったのか?)
そろそろ身体がゆだってきたんだが?
シャワーの温度を下げてリーナスをせかす。
(まだ半分だが? ゆっくり食べさせるがよい)
(シャワーをいつまで浴びてりゃいいんだよ!!)
(ゆっくりシャワーで疲れをとるがいいぞ)
(ねぎらいたいならさっさとベッドで寝させてくれ)
それから十五分後、俺はベッドに倒れこむ。
(明日もし、ジャガイモの大軍が攻めてきたら、俺の事は起こさないでお前達で戦って――)
言い終える前に、俺は意識を失っていた。




