第六話 誤算
一月二十四日 午後七時
従業員船室 斎藤誠二のキャリーケースの中
(雪風)
ベッドの上に置き去りにされた斎藤誠二の鞄の中で、雪風は思考する。誠二の働く厨房はまさしく地獄と化していた。彼は日常的に料理を行い、そのスキルはかなり高いが――まさかPPMなんて指標で評価される世界があるとは夢にも思っていなかっただろう。彼の料理スキルセットにジャガイモの皮むき速度なんてものは含まれていない。雪風は多少彼に同情するが、それも仕事のうちと判断。
最優先事項:船内状況の把握・警備状況の確認
最底辺事項:斎藤誠二の現状把握
誠二の現状把握に演算リソースの1%を割り振る。
「遅いぞたんこぶ! PPMが2を切っとる! お前の手さばきは(スラング)を覚えたチンパンジーよりも遅いのか?」
ジョン・下谷の罵倒が誠二を襲う。
疑問:なぜあの手の人類はすぐに性的な表現を多用したがるのか?
対策:不快な表現にはピー音を重ねることによる隠蔽処置
推論:性的な行為は人類にとって非常に個人的な営みに基づいており――
(雪風!)
誠二の必死な通信が雪風の思索を断ち切った。
(なんですか誠二? 私は今、船内のオンライン状況の把握に……)
(そんなものあとだ! 俺のPPMを上げるための最適化計算だ! 全演算リソースを投入しろ!)
誠二のホロリンクと連動しているバイオモニターを観測。
彼のホルモンバランスは――強い怒りと虚無感と焦燥感。
誠二は様々な死線を潜ってきたが、それらと比較しても数値上では最大級の死地を意味する。
しかし、現実はただのジャガイモの皮むき。
結論:この要請は無意味。拒否を推奨。
(無意味です。拒否します)
(おい、緊急要請だぞ!? いいか雪風、俺は今、人生で生きてきた中で一番、自分が何をしているのかわからない状態になっているんだぞ?)
雪風は一瞬思考。誠二が何をしているのかの説明を行う。
(あなたがしているのはジャガイモの皮むきですよ)
(んなこたぁわかってるんだよ!)
独立型人工知能である雪風は、主人の意向に完全服従する必要などない。むしろ雪風に主人などいない。誠二がそう言ってくれたのだ。
(その要請が、どの程度警備任務にたいして論理的必然性があるのか、プレゼンテーションを行ってください。その内容によって考えます)
(それなら――ある!!)
雪風は疑問を感じた。
誠二の論理的妥当性は、雪風にとって常に非論理の極致に他ならない。
特に彼が自信満々の時ほど非論理になるのは、統計データ上明白なことだ。
(言ってみて下さい。一応聞くだけは聞きましょう)
(俺がここで高いPPMを叩きだすことでこのファッキン ジョン・下谷 ファッキン総料理長に認められる。すると自由に動きやすくなる! どうだ! 完璧だろう! ほら、早……)
「たんこぶ! PPMが1.2? 寝とるのか? お前の特技は(スラング)をかくことと立ったまま寝ることか?」
「サー! すみませんサー!」
雪風は憐れみという感情を理解した。
(ピーラーの角度を今より十度傾けて下さい)
(こうか?)
(その状態でジャガイモを回転させてください。次は八度。視界にガイドを表示します。ジャガイモ表面の凹凸に合わせて角度を最適化するプログラムを組みました。以後はそのガイドに合わせた角度で皮むきをお願いします)
(おぉ……! 雪風……!)
(仕上げにジャガイモの頭の皮を削り取れば完成です)
「やればできるじゃないかたんこぶ! PPM3.2!」
結果として雪風のPPM最適化プログラムは、ジョン・下谷の初めての誉め言葉を引き出した。
「サー! ありがとうございます! サー!」
「そのペースだたんこぶ。PPMを落とすなよ。他のひよこども! たんこぶに負けていて悔しくないのか? お前達は頭にできたたんこぶ以下か? いいか? この船は新西京の誇りだ! 貴様らのようなごみ溜めから拾われてきた使用済み(スラング)の残りカスの(スラング)がたまたまお前らのおふくろ(システムメッセージ:スラングが多過ぎるので中略)どもが、一等客の気高い舌を汚してみろ! お前らの舌を引っこ抜いて深海魚の餌にしてやる! わかったら調理を続けろ!」
「「「サー! イエッサー!!」」」
雪風は思考する。この軍隊式厨房作法に何の意味があるのかと。
恐らく意味はあるのだろう。思考停止で服従する――主体性の剥奪――という無意味さという意味が。軍隊には必要なことだ。しかし、厨房は軍隊ではないはずだ。雪風は結論を出した。やはり人類は非論理的存在であると。
***
一月二十四日 午後八時
最上階 イベントステージ控室
(シーリー・マーティン)
会場の広さ、音響をAIに計算してもらい、マイク音量を調整。そのあとバックバンドメンバーと打ち合わせを終えた私は、暗めの赤で統一された控室で独り出番を待っていた。
はぁ……
ため息が漏れる。
色目を使ってきたベースの男がうっとうしい。後少しで手が出るところだった。
一緒に彼の部屋で飲もう?
何なのかしらね本当に。どいつもこいつも男ってやつは……!
それに引き換え探偵さんなんて一度も――一度もない。私をデートに誘ったことも……なんなら試しに少しエッチな格好をしてもガン無視してくる始末……むしろ、ちょっと嫌そうな、目のやり場に困るんだけど? といった顔までする。
だんだん腹が立ってきた。この気持ちは何なのだろう。自分でもよくわかっていない。女としてのプライド?
正直、私は今までの人生で、異性にもててきた方だとは思う。その人生の中で、多少の関わりがあるのに、ここまで異性として興味ない態度をとられたのは初めてかもしれない。でも、もし彼まで他の男みたいにデートに誘ってきたり、いやらしい目で見てきたら、きっとここまで彼のことが気になっていない。多分、彼はどんな女性に対してもあんな調子なのだろう。
本当にバカ。ルーブお兄ちゃんが言ってた。探偵さんは、お金を要求しないで私を助けに来てくれたって。
最初、私の前ではお金のためって言っていたけれど。あれはきっと、それで私に負い目を感じさせないようにしていたのだろう。彼はきっと――助けた人に好意を向けられたくないのかもしれない。
本当にバカすぎてイライラする。
どうせ今も、彼は誰かのために走っているのだろう。そしてその誰かが女の人だとしたら……なんかむかつくから、絶対口にはしないけど、気分的に浮気ということにして殴ろう。
アラームが鳴って私に時間を知らせる。自分でもよくわからない感情を抱えたまま、私はステージに向かった。
***
午後八時
一階 厨房改めフルメタルキッチン
(斎藤誠二)
俺は突然猛烈な殺気を感じた。
なんだ? スナイパーが俺を狙っているのか?
あたりを見回す。何も――無い。そもそも狙撃されるような場所でもない。
「たんこぶ! お前はなかなか見どころのあるたんこぶだ。貴様のPPMは5.2。どうやらジャガイモの皮むきは貴様一人で回せそうだな」
総料理長様が、突然わけのわからないことを言い出した。
え? ちょっと待て。俺の想定と違う展開に……
総料理長様は厨房内全員に聞こえるよう、大声を(いや、いつも大声だが)張り上げた。
「たんこぶに感謝しろ! たんこぶのおかげで貴様らは退屈なジャガイモの皮むきから解放される! もちろん、そのぶんキリキリ働けよ!」
「「「サー! イエッサー!」」」
厨房に総料理長の謎の激励と、同僚たちの叫びが木霊した。これは……なんだ? 俺は何をみせられている? 悪夢か? 夢なら覚めて欲しい。今すぐに。
(誠二。状況が悪化していませんか?)
雪風が何やら言ってきているが――同時にメッセージが一件飛び込んできた。
【斎藤さん、助けてください!】
ナージャさんからのメッセージだ。これはやばい。
俺は咄嗟に大声を出す。
「サー! うん◯が漏れそうでありますサー!」
「ふざけるなよたんこぶ! ここで一ミリでも漏らしてみろ! 貴様の口に――」
俺は黒胡椒の瓶と適当な手ぬぐいを掴むと最後まで聞かずに厨房を飛び出した。
(誠二)
雪風が通信を入れてくる。なんだ? また小言か?
(あなたの趣味に口を挟むつもりはありませんが――シーリーのステージも始まっています)
(ステージの画像をチェックして何かトラブルがありそうなら言え。すぐに駆けつける)
(……。ちょっとした、どうでもいい疑問なのですが)
(なんだ?)
走りながら俺はナージャさんのメッセージに添付されていた位置情報を確認。五階、一等客室エリア。どうせハイ・シドのエロオヤジあたりに部屋に連れ込まれそうになっているのだろう。個室に連れ込まれたら手出しするのがかなり面倒くさいことになる。その前にケリをつけたい。
(シーリーが今、危機に陥った場合――あなたはどちらを助けるのですか?)
(緊急性の高い方だ!)
(同時に同等の緊急性の場合は――)
(シーリーだ!)
(それは依頼だからですか? それとも、個人的感情ですか?)
なんだこいつ。今、そんな面倒臭いことを聞くんじゃない!
エレベーターを待っている暇はない。二段飛ばしで従業員用通路を駆けあがる。生体改造者の俺は本気で走れば大破壊前の金メダリストより速く走れる。
(両方だ! だが、その場合ナージャさんのほうはリーナスに行ってもらう!)
(結局そういう判断ですか……あなたは本当に――)
(かっこいい! そうだな! ありがとう!)
(何だ? 我を呼んだか? 我はピザポテトの補充が必要なのだが? ピザポテト探索の旅に出てもよいのか? 正直言って退屈である。帰りたいのだが?)
(後で売店で買って帰るから大人しくしてろ! だから来るなといったんだ!)
まじでふざけんなよリーナス! 俺だって帰りたい!
俺は五階の扉を開ける。通路の先でナージャさんが無理やり部屋に連れ込まれそうになっていた。予想通りだ。警備員は――一人いるが、見て見ぬふり。よくあることだ。この野郎、顔を覚えておいて下船する前に機会があったらぶちのめしてやる。
そもそもどこの企業だ?
って俺の古巣じゃねーか!
頭が痛い。
俺は頭に被らされているバンダナに追加して、手ぬぐいを使って顔の下半分を覆った。これで監視カメラだと謎の従業員が猛ダッシュしているようにしかみえないはずだ。就労CIDと付き合わされると面倒なことになるが、一等区画のような場所はプライバシー重視にしているため、逆に身元を隠し易い側面もあるはずだ。
雪風に隠蔽工作は丸投げしておこう。
(フォロー頼んだ!)
(既にしています。この船に専業のプロハッカーが居なくて幸運でした。私の演算チップでは太刀打ちできない可能性が高かったです)
(日頃の行いがものをいうな!)
俺は黒コショウの瓶の蓋を開ける。視線の先にはもみ合っている男女が映っている。そしてナージャさんを掴んでいる中年のヒューマンのおっさん――どうせエルフフェチでエルフとみればだれかれかまわず襲うんだろう、そう決めつけた――に体当たりを仕掛ける。
「お客様! 危ないです!」
と、わざとらしい悲鳴をあげながら俺はこのクソハイ・シド野郎の顔に黒コショウの粉をぶちまけた!
「うおっ! 何だお前は! はっくしょん! 目が! はっくしょん!」
悲鳴をあげて派手に三メートルほど吹き飛んだおっさんは怒号をあげる。しかし、くしゃみがフルオート機関銃のように連発して止まらない。目もつぶれて俺のことを認識できないはずだ。俺はそのまま驚いているナージャさんの腕を掴む。
「すみません! こちらのメイドが失礼を! 連れて行ってよく叱っておきますので! 失礼します!」
本当はぶちのめしてやりたいが、流石にそれをすると言い逃れはできない。まぁ、体当たりで派手に吹っ飛んで(ぶつかった位置は多分打ち身になるだろう)胡椒まみれになって目が激痛でくしゃみ連発は、それなりに酷い目な気もするが。
そんなことを思いつつナージャさんの腕を取って従業員用階段に引っ張って走る。
目を丸くしたナージャさんは言われるがまま引っ張られてついてきた。
扉を開けて従業員用階段に出る。
やれやれ。俺はナージャさんから手を放した。
「すみませんナージャさん。手を握ってしまって。しかし、緊急事態だったのでおおめに見てもらえると嬉しいです」
とりあえず謝罪と安否確認だ。
「え、えっと……ふふ、助けてもらったのにそんなことで文句言うわけないじゃないですか。本当に面白い人ですね、斎藤さんは」
「えっ!? いやいや、本当はナージャさんに触れずに助けたかったのですが……付き合ってもいない女性には可能な限り触れない主義でね」
そう言いながら覆面代わりにしていた手ぬぐいを外す。
「本当に来てくれるなんて……助かりました。嬉しかったです」
彼女はそうお礼を言いながら静かに俺を見つめてくる。
「約束は守るためにするんですよ。おっとまずい。総料理長がハートマン軍曹顔負けの鬼でね。戻らないと甲板から逆さ吊りにされかねない。失礼しますよ」
俺は軽く手を振ると厨房……いや、フルメタルキッチンに向かって再び猛ダッシュを始めた。こいつはいささかハードすぎる。俺がハードボイルドな私立探偵じゃなかったら過労死してたところだ。




