第二話 黒いエルフ
一月十三日 午前一時
新西京七区 スラム街 外縁
辺りにゴミの散乱した荒れ果てた通り。何が入っていたかも分からない白い袋、空のタバコのパック、投げ捨てられた空のペットボトル、缶、瓶。その中に黒いコートを着た女が立っていた。その尖った耳は彼女がエルフであることを示している。
右耳には飾り気のない白い小さなカフスがはまっていた。ボブカットに切りそろえられた赤い髪と冷たい黄金色の瞳は猫のように見える。冷たい瞳と対照的に、赤い口紅に彩られた唇は妖艶な笑みをたたえていた。年の頃は三十くらいだろうか。身長百八十センチ、引き締まった体躯、黒い肌。エルフはエルフでもダークエルフ。
辺りに立ち込める悪臭をかき混ぜながら一人の黒いスーツを着たヒューマンの男が現れた。身長百六十センチ、痩せ型。浅黒い肌、黒い髪をオールバックにしたそのシミだらけの顔に張り付いている表情。そこには隠しきれないプライドの高さと卑しさが同居していた。背後には黒服を着てサングラスをつけた屈強な身体つきのオークの男を一人連れている。
ヒューマンの男、はダークエルフの女の隣に立つと大して魅力的でもない声で話しかけた。
「カイン。言われていた通りに手配した」
そう言って隣の女性に紙の書類を渡す。
***
(カイン)
私は井口から受け取った書類を丹念に確認する。ダメね。全然ダメ。話にならない。私の口から溜息と拒絶感が溢れ出し、ノアの洪水となって全てを押し流していく。
「あのね。私、言いましたよね。各社の武器がばらけるようにするか、ブラック・スティール以外の会社の武器でまとめて下さいって。何でよりによってブラック・スティール社でまとめてるんですか? 脳みそわいてんの? ぶち抜かれたい? ホント使えないわねあなた」
井口は浅黒い顔をひきつらせる。プライドだけは一丁前だが、私に逆らったら殺されることを理解している、仕事のできない無能なカエル野郎。私は指先に熱が宿り始めるのを自覚した。
「いやー……それは、その、どうしても手に入らなくて……」
「私は構いませんよ? でもばれたら困るのあなたでしょ? この程度のリスクヘッジもできないカスと仕事しろっての?」
「今回はこれでなんとか……」
そう言って頭を下げる。
「まぁ良いけど? 破滅するのはアンタだし」
この無様な小男の後頭部を見ているとゾクゾクしてくる。今、どんな惨めで怒りに満ちた顔をしているのかしら。
「おい、カイン。お前、企業所属アンダーの分際であんまりでかい口を叩くんじゃねぇ」
護衛としてついてきていたオークが、何やら横から口を出してくる。井口の背後、私との距離は三メートル。
「うるさいのよ豚野郎。焦らなくてもそのうち屠殺してやるから引っ込んでなさい」
「痛い目見ないとわからないようだな、バカ女が!」
井口は止める気はないらしい。バカな男。こちらに向かって威圧的に歩いてくるオーク。
コートを跳ね上げ、私は左の回し蹴りを抜き放つ。私の美しく引き締まった脚が風を巻いてオークの顔に向け、閃光のように飛ぶ。私は足首を直角ではなく伸ばすことで、脚を美しい一振りの刀とした。オークの男は半歩下がって私の蹴りを紙一重で避け――私の爪先から刃が飛び出し、奴の緑色をした首を一切の慈悲なく、深く、深く斬り裂く。血飛沫があたりを舞い、飛んだ血の雫は紅いルビー。なんて美しいのかしら。
「あああああっ!」
オークの口から悲鳴が爆発する。たまらない。もっと聞かせて。そのまま私は脚を振り切って下ろす。私が彼に背中をみせた隙をついて、オークはこちらに突っ込んでくる。旅は道連れ、死なば諸共といったところかしら。
ふふっ、私を道連れにしたいの? 私は高いわよ。
「――良いわ、連れてってあげる」
私は背中を見せた状態で首だけを豚に向け、右手を上げる。その手に握られているのは、回し蹴りと同時に右の腰から解き放たれていたアンダーテイカー。
手が震え、銃が吠え、放たれた弾丸は闇を切り裂きオークの右膝を砕く。オークの男はもんどり打って私の足元に、忠実な下男のように平伏した。硝煙、血、尾を引くオークの男の悲鳴が混じり合ったカクテル――それが私の鼓膜を潤す。
「た、助け――」
オークが哀れな声を出して命乞いを始める。
「助けてほしいの?」
小首をかしげて私は彼に確認を取る。
私を見上げたオークは何度も頷く。つい数秒前、私を懲らしめようとしていた彼。自分は一角のタフガイを気取っていた彼。その彼が、今、無様に這いつくばって命乞いをしている。堕ちた。最高の瞬間。でも、あまりにもあっけない。あまりにも退屈。これじゃあ私は到底満足できない。
彼の首の出血は収まりつつあった。それなりに改造しているらしい。本来ならそろそろ失血死しているはずだ。
つまり、今回のこの芸術作品はレッドカーペットに沈む雄豚ではなく、四肢粉砕の屠殺に変更される。
「アベル」
私は私のパートナーの名前を呼ぶ。
「はい、カイン様」
私の銃から、私に心酔しているのがはっきりとわかる声がする。
「この豚を残りの弾数、十四発できっちり、即死させずに殺すにはどうすれば?」
「今回も素晴らしい芸術を考えられましたね。彼の止血までの時間を考慮にいれると……このようにしてはどうでしょうか」
「や、止めてくれ!」
オークの男は必死に命乞いをしてくるが、それもまた作品の一部。私は奴の手足の先端から丁寧に銃撃で破壊していく。最後の弾丸を放つ寸前、オークの諦観と恐怖と後悔の入り混じった複雑な表情となる。特に最高なのはそこに苦痛が含まれていないこと。彼が痛覚遮断を起動した結果、痛みの含まれないピュアな死への恐怖と諦観、そして己の行いへの後悔、井口に見捨てられる絶望が刻まれた芸術へと昇華した。
「ピューリッツァー賞ものね」
「えぇ、完璧ですカイン様」
私は最後の一発を放ち、芸術作品を完成させる。全てが終わった後に残るのは芸術の残滓。豚の死体だ。ただ……やはり堕ちるのが、壊れるのが早すぎる。
「お、おい、何も殺すことは……」
全てが終わった後、今更のように井口が怯えた声を上げる。
「どうせ生きていても臭い息を撒き散らすだけでしょう? それがこんな素晴らしい最期を迎えられたのよ。感謝してもらわなくてはね。ついでにあなたも私と踊る?」
銃を持ち上げて井口の額にぶつけてキスをさせる。私は瞳を細めた。
「こ、こいつが勝手に……」
私の鼻孔をアンモニアの臭いが刺激する。まさか――漏らしてる?
本当に最高ねこの男……ダメよ、今こいつを玩具にしては。一応は飯のタネなんだから。
「まぁ良いわ。じゃあ、ちゃんと期日までに届けておいてね。私の身分証と他の身分証の手配は?」
「そ、そちらは要求通りだ」
目の前で部下を見捨てておきながらもまだ、震え声で無理に虚勢を張る。こいつ、自分の無様さを理解できないのかしら? この男がはいつくばって死ぬときどんな作品になるのだろう? ネットを介さない短距離通信で送られてきたCIDを確認した。やればできるじゃない。
「ありがとう、お漏らしちゃん。あなたが処分されるときは――私がしてあげるからね」
私は屈辱に震える小男にそう声をかけてあげると、その場を立ち去った。




