第一話 地獄への招待状
一月七日 十時
新西京 三区 布袋通り カフェ『アビシニアン』
新年というのは清々しいものだ。俺はアビシニアンの一番奥のボックス席でそんなことを考えていた。今日の内装は新年を思わせる白色。ちょっと目に痛い。
流れているのはセプテンバー……季節が違う気がするな。俺の足元ではしゃべる黒猫がピザを食べては尻尾で掴んだコップに入ったジンジャーエールをストローで飲んでいた。
俺の目の前の机にはピザ・ストロベリーサンデー・サンドイッチ・フライドチキンが並んでいる。もちろん新年だからと奮発したわけではなく(年が明けたからお祝い? 意味が解らん。そうは思わんか? 決して金がないわけではない)目の前に座っている男が勝手に注文したものだ。
いや、正確には「今日は僕が奢りますよ」と言われたのだ。
俺は名探偵であり、その勘が警告を発していたので控えめに注文したのだが……おかしい、気がついたらこうなっていた。
俺をここに呼び出したこの男は新西京レイヴンズの誇るエースピッチャー、ルーブ・マーティン。ヒューマン、男性、栗色の髪を短く刈り込んでおり、被った新西京レイヴンズの野球帽のひさしから覗くのは栗色の目。身長は百七十五センチくらい、ガッチリした体格だ。今日は青いダッフルコートを着て、下は黒のジーンズを履いている。
彼は、俺が半分ほど食い尽くしたあたりで、とんでもないお願いをしだした。
「誠二さん! お願いしますよ!」
「いやーいくらルーブさんの頼みでもこればっかりは……」
俺はピザを食べる手は止めないまま、渋い顔をしてみせる。
「いや、影からでいいんですよ! 一週間ですから!」
土下座しそうな勢いで、ルーブが食い下がってきた。
「プロとして責任の持てない依頼を受けるわけには……」
俺はフライドチキンを齧る。
「きっと何もないですから! 何も起きませんから! 豪華客船のディナーショーに歌手として出るだけですし!」
「なら尚更俺がシーリーさんを護衛する必要なんて――」
俺はコーラをストローで飲む。
「もしも! もしものときがあるでしょう! この間の時みたいに!」
ルーブが机の上に身を乗り出さんばかり――いや、乗り出して力説する。
あまりヒートアップされると唾が食べ物に飛びそうだな。
落ち着かせよう。
美女の唾液ならありだが男の唾液は……いや、美女でもやっぱり嫌だ。
無理無理。
「いやいや、シーリーさんが有名な歌姫だからといって、わざわざ豪華客船の上で付け狙う輩なんていませんよ」
とりあえず常識的な意見を投げ込んで様子を見る。
「逆ですよ誠二さん! 密室みたいなものでしょう!?」
密室?
いかん、その単語には探偵としてどうしても惹かれるものがあった。
――いやいやいやいや、落ち着け誠二。
しばらく、いや、今後一切猟奇殺人事件とは関わり合いにはなりたくない。この間の活躍で一生分の安楽椅子探偵の仕事はしたはずだ。おかげさまで探偵をもう少しで廃業するところだった。それどころか人生まで廃業しかけた。
まぁ、生まれついての名探偵の俺に解けない謎は無かったわけだが――それよりもルーブだ。どう誤魔化……説得するべきか。
俺とて嫌なものは嫌だ。いくら金とピザを積まれたところで無理な物は無理というしかない。あのお転婆歌姫の護衛?
絶対に嫌だ。そもそも彼女に護衛なんて必要なのか?
俺は初対面で殴り倒されそうになった男だぞ?
「ちゃんと報酬も依頼という形で払いますから」
「しかしですね……」
すると俺の腰のホルスターに収まった銃の外部音声マイクから、恐ろしい声が聞こえてきた。
「誠二?」
人工知能がこんな声を出せるのか? という殺気のこもった声。
「な、なんだ雪風?」
俺は人類代表としての威厳をもって対応する。
「この間の浩一のカタナの修理代――分割払いにして貰ったのをもうお忘れですか?」
「そんな話もあったな……」
敢えて何でもない事のように俺は答える。
「今月分をどうやって返すつもりですか?」
「何とかなるだろう。良いか? そんな昔のことは覚えていないし、そんな先のことまで計画を立てたこともない」
俺はカサブランカを引用して誤魔化そうとしたが――
「ルーブさん。その依頼、受けます」
雪風は俺の発言をガン無視して依頼を承諾した。
「本当ですか雪風さん!」
「えぇ。私は斎藤誠二探偵事務所の経理担当AIとして、この依頼を受託する義務があります」
「いや、ちょっと待て。そんな義務見たことも聞いたことも――」
抗議の声を上げる俺を無視して盛り上がるルーブと雪風。
「ありがとうございます雪風さん!」
「いえ、ギブアンドテイクです。可能ならこれくらいの額をお願いしたいのですが?」
雪風が提示したのは俺の八か月分の生活費に相当する金額――ただし、浩一への負債を支払うと三分の一ほどしか残らないが。
「たったそれだけでいいんですか?」
ルーブが快哉の声を上げた。
たった?
いやいや、どういう金銭感覚だ。これだからプロ野球選手ってやつは。
「おぉ……となると、ルーブ邸で供された伝説のミルクを毎日飲めるのであるか?」
足元で何かアホが言っているが俺は無視。
「嫌だ! 俺は嫌だぞ! 影ながらシーリーを護衛するなんて!」
「では出航まで二週間ありますね。シーリー様護衛のため、シーリー様ご本人にも基本的な自衛の訓練をしないといけません。時間を取ってもらえるでしょうか」
「あっ! そういえば今思い出したけど、船か~。いや~行きたかったんだけどなぁ……ほら、俺、船酔いが、ね?」
「そうなんですか?」
ルーブが心配げに俺の顔を見る。すまないなルーブ。
嘘なんだ。
もちろん、自分を守るためにつく嘘は駄目だ。卑怯者のすることだ。
でもね、嘘も方便。弱者を守るための嘘は許されると俺は考えている。
そしてこの場において――俺は紛れもなく弱者だった。
「あぁ、そこの馬鹿は放っておいていいですよルーブさん。もう百年近く前から、オートバランサーの発達で豪華客船ともなればほとんど揺れません。なので船酔いは言い訳になりません」
何か馬鹿、がやたらアクセント強かった気がする。
気のせいかな。気のせいだと良いな。
「そうだったんですね! 良かった!」
無邪気に喜びルーブ。
「……」
俺は黙り込むしかない。
「では、予定についてはシーリーに聞いてみます。そちらのスケジュールを教えてもらえれば……」
「いやー悪いけどもう依頼が山積みで~」
ここだ! 俺は必殺の一手を繰り出した。
「ええ、こちらの時間は無限に余っておりますので、そちらに百パーセント合わせることが可能です」
なぜか無限を強調する雪風。
良いぞ、人類の悪意ってやつをついに理解したか。
……それは理解して欲しくなかった。
「そうでしたか。わかりました、雪風さん。よろしくお願いします!」
「もちろん、斎藤誠二もグレートクイーン号が出港時、船内に乗り込み、影ながらシーリー様を護衛させていただきますのでご安心ください」
「いやーこれで安心です。本当によかった!」
こうしてルーブは俺の発言を完全に無視。
雪風とにこやかに――握手して手をぶんぶん振りかねない勢いで意気投合し、帰っていった。
後には呆然とする俺が取り残された。
「…………」
「誠二よ」
いつも尊大な自称最高位魔術師ことリーナスが、少しだけ申し訳なさそうな声色で俺の名を呼ぶ。
「なんだリーナス?」
お前くらいだよ、俺のことを気にかけてくれるのは……良いんだぞ、援護射撃ができなかったことをそんなに気にしなくても。
「当然問題はないのだろうが、一応聞いておいてやろうと思ってな。次で四枚目だが、ピザのお代わりを頼んでも良いか?」
「…………好きに、しろ」
俺はソファに沈み込んだ。
一月十日 午後五時
新西京一区 ルーブ・マーティン邸
「えー、じゃあ、はい、銃は常にここに携帯しておくように……」
俺は自分の右太ももの内側を叩いた。
「ホルスターはこれ。で、銃はこれ。弾丸はホローポイントにしておく。貫通力は低いが、ストッピングパワーは高いから相手の体勢を崩しやすいのが利点。とりあえず一番あてやすい胴体にぶち込んで、冷静に連続で撃ち込めば大抵死にます。何ならダウン取って落ち着いて頭に撃ち込んでください」
俺はそう言いながらトルネロから調達した特殊な専用マガジン――シールされていて装填されている火薬の臭いが漏れない――を使用した、全部品が強化プラスチックと高強度樹脂で形成された特殊な小型拳銃を渡す。
9ミリパラべラムのケースレス弾を採用。装弾数八。セミオート。
アキュレイト社製の『スケルトン』だ。予備弾倉は不要だろう。お守りみたいなものだ。どのみち連射しまくると金属部品を採用していない関係上、まともに撃てなくなる。
「探偵さん! 内側? 外じゃなくて? 何かちょっとエッチね」
失礼な事を言いながら彼女はホルスターと銃を装着。
失礼な言いがかりは聞かなかったことにする。
「太ももの外側だとですね。シーリー、君が何を履くかは知らないけど、どうせスカートとかでしょう? そこに銃つけてますよとアピールすることになります。なので可能な限りスカート系、長いやつを履いてください」
「……銃を抜く時、パンツ見えない?」
「銃を抜くかもしれない状況でそんなこと気にしてたら死ぬよ?」
「お嫁にいけなくなっちゃうでしょ!」
意味がわからない。助けてくれ。
「よしきた。俺はあなたが銃を抜く時はちゃんと目を瞑っておこう。で、あなたに銃を抜かせた相手は確実に撃ち殺そう。他にも目撃者がいたらそいつも始末しちゃおう。これでお嫁に行けなくなる問題は解決。オールオッケー。どこにでもお嫁に行ける。是非行ってくれ。もちろん式には呼ばなくていい」
いかん、このお転婆エルフが相手だとすぐに言葉がぐずぐずのプリンのように崩れていく。もっとこう、丁寧な言葉遣いで精神的な防壁を構築したいのに……
「うーん……でも私が銃を抜く状況って多分、探偵さん傍にいないよね?」
唇に人差し指をあててよくわからないことを悩み始めた。
「えぇ、幸運なことに」
頷きつつ小声で俺は返事をする。
「じゃあ探偵さんにみられるとか気にしなくてオッケー?」
首をかしげて聞いてくる。仕草と見た目と声だけなら可愛いと認めざるを得ない。
しかし、俺は騙されはしない。
「えぇ、特に興味ないから安心してくれていい」
頷きつつ聞こえるように俺は返事をする。
「何でよ! 失礼でしょ!」
彼女が俺の首を掴んで振り回し始めた。これがシーリーだ。
エルフの女性で金髪のロングヘアに黄緑色のメッシュが入っている。身長は百六十五センチ。大きな青い瞳、長いまつげの二十五歳。体重は……知らないが、まぁ良いプロポーションをしている。黙っていればいい感じの美女だ。今日は動きやすい青のジーンズに白い長そでの飾り気のないシャツを着ている。
残念すぎることにその実態は暴力娘なのだが。
「見て欲しい、のか――欲しくない、のか! どっち……なんだ!?」
「そんなこともわからないの? どっちもよ!」
(た、助けてくれ雪風!)
腰の銃の中に宿る雪風に助けを求め、メッセージを送る。
(…………)
返事のない雪風のステータスを確認。『デフラグ中』の表示。
てめーの取ってきた依頼だろうが!
と言いたいがそれどころではなかった。
「髪は……」
ガチでいくなら本当はショートカットにして欲しい。が……恐ろしくて言えない。
「髪? 私の髪綺麗?」
「えぇ、とっても。ネオンに輝く摩天楼の輝きにも勝るとも劣らないよ」
「……褒めてるの?」
「も、もちろん」
自然と声がどもる。
これは――気圧されているのか? 幾多の死線を越えてきたこの俺が?
馬鹿な……
「なら許してあげる」
やっと俺の首から手が離れた。そのうちムチウチになる。
「いや、そういう話ではなく、髪は本気でやるなら……せめてまとめておいてですね。どっかで固定……」
女のアンダーなら何か良い案があるのだろうか?
「どうして?」
「すぐ掴めるんですよね」
「あぁ! なるほど! だから探偵さんも長髪にしないのね?」
いや、男で腰まであるロングヘアとか肩まであるロングヘアとか珍しいだろ。
「えぇ……まぁ、そう、です……? いや、本当はスキンヘッドとかスポーツ刈りが良いんですが……手入れ面倒だし……ただ、尾行とかを考えるとあまり目立つのは……」
ウイッグをとっかえひっかえしても良いがそれも……いや、俺の話じゃないんだよ!
「今の髪型でいいと思うわよ。それにしときなさい」
「そりゃどーも」
……。いや、何であんたが俺の髪型を決めるんだ?
「つまり、格闘戦をするとき、髪を掴まれるとまずいってことね?」
「そういうことです。気を付けて下さい。逃げるときもそう」
もう胸の間にでも放り込んどけと言いたくなるが、痴漢呼ばわりはされたくないので黙っておく。
「あっ! フリーサイズのチョーカーつけておいてーそれで首元で固定とか?」
「良いんじゃないか?」
なんだ、女の子っぽいことも言えるじゃないか。ずっとその調子でいてくれ。
「じゃあ次は簡単なコンビネーションを教える!」
本当は教えたくない。この暴力娘に武術なんて凶器……だが、仕事は仕事だ。
「左の前蹴り、もしくは回し蹴りをこの間教えましたね?」
「うん。シャア!」
そう言いながらそれなりに鋭い中段回し蹴りを俺に打ち込んでくる。止めなさい。
俺は敢えて受け止めて掴む。
「えっち!」
耳を立てて怒り始めた。
何でだよ。
蹴ってきたのは君だと言いたい。
「今はジーンズでしょうが!」
「そうだったわ。でも困ったわね。掴まれてしまったわ」
「えぇ、胴体部分に半端な回し蹴りを打つと掴まれる可能性があります」
「じゃあローキックかハイキックだけ打てってこと?」
なかなか筋がよろしい。
俺は頷いた。
「基本はそれで良いのですが――本当の殺し合いのプロはあんまり掴みません」
何しろ靴の先から刃が飛び出したり踵から刃が飛び出したりしてもおかしくない世界で俺達は生きているし、掴もうとした指を骨折したりする危険がある。幾らでも例外はあるが、基本的に掴むのは即座に壊せるときとかこちらが打撃を入れた時、もしくは――まぁ良いだろう。今はそこまで教えなくても。
「それ以前にプロと戦ったらまず死にますから、掴んできた時点でだいたい素人です」
「じゃあプロ相手はどうするの?」
眉をひそめて聞いてきた。
熱心だな。
いい感じだが、この暴力娘の武力が上がるのは俺の住む世界が危険の色合いを増すことを意味する気もする。
「逃げて下さい。下手に攻撃しない方が良いです」
「なんで?」
耳が左右に開いた。
良いぞ、その調子でリラックスしていてくれ。
「条件反射で反撃されて死ぬかもしれない」
「じゃあプロの判別方法は?」
「まぁ、立ち方とか雰囲気とか……アンダーは大体大きめのサイズの服を着ているとか……」
「あやふやすぎるでしょうが!」
また耳がピンと立ち始める。
怖いんだが?
「こればっかりは戦ってみないとわからない側面もあるから……」
「で、いつまで私の脚を掴んでるの探偵さん? えっ――」
「話はここからなんだ! 質問ばかりしているのは君だろうが! 俺の話を聞いてくれ! 五分だけで良いから!」
「はーい」
やっと静かになった。俺は言おうと思っていた話を再開する。
「この状態からなら君は太ももから銃を抜いて」
「ふむふむ」
彼女はホルスターから銃を抜いた。
「掴んでる相手に向けて撃てばどんな下手くそでも確実に当たる。自分の脚だけは撃たないように気をつけて」
「えっ!? 本当だ!! 探偵さん凄い!!」
「これが射撃と武術の組み合わせですね」
ふっ、伊達に俺も銃武と呼ばれているわけでは――ってこら!? 俺に銃を向けるんじゃない!
こうして俺の地獄の二週間は過ぎ去っていった。




