第三十一話 ライヘンバッハの海
(斎藤誠二)
「あなたはつまり……私のしていることをお遊びと言いたいの?」
この期に及んでまだ彼女には余裕があった。
「さあな。俺にはそう見えるってだけだ。そして大切な事だが、別に俺が正しいと言っているわけでもない。俺と君は違う、それを明確にしただけだ。俺は君の方法を選ばないと宣言しただけだ」
今、彼女を撃つべきか。撃たざるべきか。
「じゃあ遠慮なく私を撃てばいい。ホームズとして。私の宿敵として」
俺はかぶりを振った。
「俺はホームズでもスペンサーでもない。斎藤誠二だ」
「どうでもいいのよそんなことは。認めましょう。あなたは私の敵よ。なら戦うしかないじゃない。撃てるんでしょう? 決着をつけましょうか」
(岩村。ジャマーは?)
(中央区を電磁的に切り離すことは可能だ。後少し待て)
(彼女が爆破のスイッチを握っているなら、電磁的に中央区を孤立させられれば……)
(だからやっている! だがな斎藤。中央区内にも起爆スイッチがあった場合、中央区そのものをジャミングしても至近距離の信号は流石に止まらんぞ)
(彼女の今回の手口からしてそこまで大勢手下を抱えているとも思えないが……)
「リンクスの話からすると、君は魔術師の可能性が高い。変装に恐らく幻術を使っていた」
「……」
「多分、戦闘もこなせるのだろう。だが、君は一度として俺に物理的な攻撃をしかけてきていない。今もだ。それは、君自身が自らに課した掟だろう」
「そうね。あなた相手に殺し合いをする気は無かったわ。そもそも――私の予定では、あなたはここで再度負けて、私のものになっているはずだったもの。でもどうやらあなたを見誤っていたみたい」
「俺は今でも君を――」
「以前程ではないけど、愛してくれている。そうでしょう?」
「そうだ」
「もう一番じゃない」
「そうだ」
「じゃあ、なぜ撃たないの?」
「…………。君がズルをしているからだ」
「……。私が死んだら、中央区の各所に仕掛けた爆弾が爆発するわ。そこまで読んでいたの?」
やはりか。あそこで俺が彼女を撃っていたら、彼女は俺の手で目的を達成していた。彼女の勝利条件は生存ではなく、あくまでも彼女の計画を、彼女の美学に基いて完遂することなのだろう。認めざるを得ない。彼女もまた、自分の掟を優先する超一流のアンダーだと。
……何故だ? 何故俺にそれを教えた?
「いや。ただ、何かしていないわけがない。予告状を解かれたから負けました。君がそんな程度で終わるなんて俺は思っちゃいない」
「それは愛なのかしら、それとも――」
「本物のアンダーは相手を理解する。殺すためにな」
「殺すためであろうと、理解してくれたのは嬉しいことね」
「いや、俺が君を理解したのは殺すためじゃない。愛していたからだ。できれば、今でもどうにかして救いたいと思っている」
「私を? 私を救いたかったなら、私のものになってくれれば、少しくらいは救われたわよ」
それはそうかもしれない。俺の胸が痛む。しかし、今ならわかる。俺はその場合、彼女の望む俺ではなくなり、壊れていただろう。いや、一緒に壊れていくのもよかったのかもしれない。
「すまないが、もう俺にその道は選べない」
その言葉を聞いた綾乃は寂しそうに笑う。
「イワンが死にかけているわ。私の制止を聞かなかったせいで。あなたが焚きつけたんでしょう?」
何故ここでイワンの話を? どう答えるべきか? 誤魔化しても仕方がないだろう。俺は頷いた。
「イワンが死んでも――起爆するようになっているわ」
そうか、そもそもイワンのホロリンクを彼女が押さえていないわけが無い。俺がイワンに送ったメッセージも把握していたってことか。そのうえで強く止めなかったのはこいつ――――――
「そこまでは私のことを理解しきれていなかったみたいね。どんな気分かしら。あなたの策が原因で大勢が死ぬのよ? 安心していいわ。起爆から一時間後には自動的にヴォルコフがやったと声明が発表されるようになっているから。どちらにせよ私の勝ちは揺るがないのよ」
「君が何故、自分を撃ったら起爆するのか教えてくれた理由が分かったよ。イワンが死にかけていて、今まさに起爆しそうだから、そういうことだな?」
「えぇ。あなたの選択の結末を、共有してあげようと思ってね。終わってからじゃあつまらないでしょう? それに、あなたに私を撃つ気はなさそうだしね」
彼女は妖艶な笑みを浮かべた。
「いやいや、俺のお人よしもたまには役に立つ」
俺は思わず笑い出していた。念のために打っておいた布石がまさかここで効くとはな。
「何がおかしいのかしら。止めてほしいなら、今からでも遅くはないわ。敗北を認めて私と来なさい」
綾乃はまだ余裕を崩さない。
「あぁ、すまないすまない。ふふっ、イワンはな。きっと死なないよ」
「実際彼のバイタルは――」
「それはね。俺がぎりぎりまで介入するなと無茶を言っていたからだ。だって復讐は、自分でやらなきゃ意味が無いだろう?」
「何の話を……」
「俺は独りで戦っているわけじゃないってことさ」
そう言いながら、俺はニヤリと笑みを浮かべた。
***
血と硝煙の立ち込める倉庫内。最早勝敗は決しようとしていた。
照明に照らされた倉庫の中央。血だまりの中に横たわる狼の姿。
ニコライはホロリンクのマイク機能を使って部下に命じる。
「銀の弾丸は使うなよ」
倒れたイワンに向かって、敢えて鉛の弾丸が撃ち込まれる。
倒れている狼の身体が着弾の衝撃で跳ねた。
「できるだけ苦しめて殺してやる。再生能力を恨むんだな」
灰色熊の姿をしたニコライがそうイワンに宣言する。
外でバイクのエンジン音が吠えた。突然扉を封鎖していたシャッターが開く。開放された扉をぶち破ってバイクが飛び込む。冬の午後二時前の、穏やかな陽の光と寒風が倉庫内に差し込んだ。バイクを運転しているのは青いコートの男。呆気にとられるヴォルコフメンバーをしり目に、突っ込んできたバイクは倒れているイワンの前に急停車。そしてドライバーはバイクから降りたつ。腰には日本刀。
「お前は何者……って、斎藤誠二かよ」
青いコートを着た男にニコライは呼びかけた。
「何だ? 助っ人に来たのか? 遅かったな。もう終わるところだ」
青いコートを着た男は無言。
ニコライは違和感を覚える。
おかしい。顔はそっくりだ。斎藤誠二と言っていい。しかし、俺が会った斎藤誠二はニトログリセリンに囲まれている中でドッジボールをするような狂気を感じたが、こいつはまるで――抜き身の刀だ。だが、開いた扉からとことこ歩いて入ってきたのは斎藤誠二が連れていた黒猫。どういうことだ? 本人なのか? それとも双子か何かか?
斎藤浩一は悩んでいた。
ここは誠二のふりをするべきか?
しかしそれも面倒くさい。そもそも誠二はこんな時何を言うのだろうか?
まぁいい。とりあえず真似をしてみよう。
「正義の私立探偵、斎藤誠二。故あって助太刀に参った」
浩一はどちらの味方ともとれるよう詐術を働かせた満足感と共に言葉を放つ。
「こいつは斎藤誠二じゃない! 殺せ!」
即座にニコライは命じた。
十丁もの銃口が斎藤浩一に向けられる。
「魔剣――幻惑刃」
浩一が一瞬だけ刀を鞘から抜き、戻す――鍔鳴りの澄んだ音が倉庫内を跳弾。
一秒、全員の動きが止まった。
その一秒で浩一は腕に魔力を全開で回しつつ、倒れているイワンを掴み、倉庫の扉から外に放り投げる。
イワンの身体が外に出た瞬間、再度シャッターが下りた。
外で待機してシャッターを操作していた小妖精から浩一に通信が入る。
(タイミングばっちりだよ~浩一☆)
(ナイスだティニィ)
誠二に一時的に押し付けられている、浩一の懐に納められた拳銃に宿る人工知能――雪風の戦術サポートが行われた。
(浩一、二階からの狙撃が危険です。一階からの射撃はバイクを盾にすれば問題ありません)
(バイクを盾にだと!?)
(……命より大切なのですか?)
(……僅差で命が大切だ)
(なら素早く行動をお願いします)
浩一が左袖から水蒸気圧縮缶を放り、抜き撃ちで缶を斬り、空間を切り取るように刀の柄を回す。納刀。
「魔剣――流水剣」
剣閃に沿って水蒸気が冷却される。小さいが、その分ぶ厚い水の盾となる。何発もの銃弾が水の盾に突入――全ての弾頭が砕け散った。
水の盾は地面に落ち、水たまりとかす。
「対獣用に衝撃力重視の弾頭にしておいてくれて助かったな」
そうつぶやく浩一。
しかし、二階の狙撃手たち――都合五人――は再度浩一に照準を合わせた。
そこに火線が薙ぎ払われ、一瞬で狙撃手の首が一つ、落ちる。
「貴様らのミルク、なかなか悪くなかったが……やはりルーブの出してくれたミルクこそが至高よ。最高級品を献じなかった貴様らに、明日は無いものと知るがよい」
二階に上がったリーナスは、火線で狙撃手をまた一人薙ぎ払いながら、宣言した。
「さぁ、絶滅する時だ。覚悟はいいな? 我は出来てる。何しろさせる側だからな」
***
(ニコライ)
(ニコライ。不味いです。二階の狙撃手、全て排除されました)
戦術支援人工知能が俺に状況を報告してくる。
言われなくても分かっているんだよ!
どうすればいいか提案しろ!
(離脱を推奨します。敵のヒューマンは同調者と推測されます。不確定要素が多い今、撤退を進言します)
青いコートの斎藤誠二の偽者は俺を無視してコンテナの陰に潜んでいるメンバーを斬り殺している。
(ボス! 助け――)
倉庫内に居る最後の一人の通信が途絶える。
戦術支援人工知能をオフ。こいつは今は役に立たない。
(何故、扉のシャッターが開いた!)
最後に残った一人――ここにはいない、遠くにいるハッカーを怒鳴りつける。
(ボス、ハッキングはされていません。ダイレクトハックされたと思うんです。情報魔術師がいるはずです。そいつを殺せばもう好き勝手には……)
(俺は倉庫内に居るんだよ。倉庫外に情報魔術師がいたらどうやって俺に手を出せってんだ?)
(それは……情報魔術は視界内、ある程度の距離でなければ起動できません。俺がポイントする窓のシャッターを開けるので、ぶち破って逃げて下さい)
逃げろだと? クソが、だが仕方ない。戦って負ける気はしないが、危ない橋を渡る必要は無い。後で必ずこいつらは殺す。
俺の視界に重なったAR上に赤い四角が表示される。あそこだな。
(っつ!! 不味い、ボス、ネット上で敵から攻撃を――)
ハッカーからの通信も途絶える。
……。奴ら、どれだけの戦力を保持していやがる。竜造寺組がアンダーチームを送り込んできたのか? 斎藤誠二のこの倉庫へのおぜん立ては罠だったということか?
いや、それもおかしい。あのまま中央区で罠にはまった方が組織としては悲惨な末路を――考える俺の目の前には青いコートを着た男が立っていた。
***
(斎藤浩一)
雪風から浩一に通信が入る。
(浩一、私は敵ハッカーとの電子戦に入ります。後は任せます)
(あぁ、わかった)
(リーナス、あなたはもう限界でしょう。無理せずに引いてください)
(我は高見の見物と行かせてもらおう)
(浩一~頑張ってね~☆)
ティニィの応援を背に浩一は目の前の熊に向かいあった。
目の前、三メートル先に身長二メートルを超える熊が立っている。
とはいうものの……熊、か。
ぶ厚い毛皮・脂肪・筋肉、斬るのも一苦労だ。
しかし、ここは下水ではない――アレが使える。
「あぁ、実は先ほどは嘘をついていてな。すまなかった。俺の名前は斎藤浩一。お前たちを地獄に送る、水先案内人だ」
「お前が斎藤誠二じゃないことくらいわかっているんだよ!」
熊のホロリンクから罵声が飛び出した。
浩一の目がかすかに見開かれる。
「ふむ。素晴らしい観察眼だな。これは気を引き締めてかかる必要がある」
「お前、馬鹿にしているのか?」
会話をしながらもお互いに観察しあう。
浩一は考える。奴は血がついている。だが怪我がない。つまり再生能力持ちのシェイプシフターなのだろう。銀コーティングされている俺の刀ならば問題は無いが、やはり熊というのが問題だな。相打ち覚悟の殴り合いになったら分が悪い。
ニコライは考える。銀の武器か。だが、いかに今の技術で作られた高速振動刀と同調者といえど、一撃で俺を殺すことは難しいはずだ。相打ち狙いで奴を倒せればそれでいい。問題は魔剣だが……俺を即死できる何かがあるならとっくに使っているだろう。そして二階の狙撃手を殲滅した謎の存在……通信では黒猫がとか聞こえていたが……二階から何も魔術攻撃をしてきていない。ガス欠の可能性が高い。こいつさえ倒せば、俺は外に脱出して組織を立て直せる。
ニコライはゆっくり、慎重に一歩ずつ浩一に近寄る。
浩一は下段に刀を構え少しずつ下がる。浩一の乗ってきたバイクの残骸が浩一の脚に当たる。刀の先端が、先程浩一が展開した後、床に残っていた水溜りに触れた。
ニコライは浩一が背後を見誤ったと判断し、一気に距離を詰め右手を叩きつける。
「魔剣――流水剣」
床にたまった水が浩一とニコライの間に水のカーテンを作る。
一瞬視界を水のカーテンで遮られるが、ニコライは気にせず突っ込み、右手を叩きつ――水のカーテンを突破したニコライの鼻先に何か飛んできていた。反射的に右手で振り払う。何かの粉末が飛び散った。胡椒と唐辛子か? 対獣人用グレネードか? しかし、そもそも防毒マスクをつけている俺には無駄なんだよ。つまりこいつはこのあとオレの防毒マスクを狙ってくる。それさえ凌げば――ニコライは勝利を確信して再度右手を振り上げる。斎藤浩一はバイクを背にした状態で納刀。時間が巻き戻ったかの如く、水のカーテンが床に落ち、水滴が跳ねる。
「魔剣――紅蓮刃」
炎だと? ニコライはあざ笑う。今、お前は自分で俺に水をかけておいて炎? ハッタリだ!
顔の防毒マスクを左手で庇いつつ右手を叩きつ――浩一が居合斬りで逆袈裟にニコライの胸を斬り裂く――瞬間、ニコライの胸が燃え上がる。
ニコライは獣としての本能――炎への恐怖――に抗いながらも右手をそのまま浩一に斜めに振り下ろす。
背後にバイクがあって下がれない浩一は右に跳ぶが、左肩を斬り裂かれ、吹き飛ばされコンテナに激突した。
ニコライは混乱の極致にいた。
水に濡れている自分の身体が燃えているからだ。
斬られた傷は浅いが、本来はニコライを守るはずの毛皮が彼を焼き殺そうとしていた。
燃えるたびに再生される皮膚。ニコライは焼かれる痛みを味わい続けている。
ニコライは考える。スプリンクラーが作動すれば炎は消えるはずだ。
ニコライの視線の先、コンテナに衝突した斎藤浩一がよろよろと立ち上がった。
ニコライ焼けて意味をなさない顔の防毒マスクをむしりとり――肉の焦げる匂い、血と硝煙の臭い、そしてリンとマグネシウムの臭いが鼻をつく――投げ捨て、半狂乱になりつつ斎藤浩一に向かった。
瞬間、スプリンクラーが作動し、ニコライの全身に回りつつあった炎が――
――さらに烈しく燃え上がった。
降り注ぐ水滴がニコライの体に触れた瞬間、それは消火の音ではなく、パチパチとはじける水素爆発の異音へと変わった。水は火を消すどころか、彼の肉体を焼き尽くすための純粋な燃料へと変質していく。
浩一に突撃しようとしてきていたニコライは最早それどころではない。純白の業火に身を包み、半狂乱になって床を転がりまわっている。
「水に濡れていようが何だろうが――燃焼するのに必要な温度が提供されれば燃える。そして理科の実験でやらなかったのか? マグネシウムは水を分解して水素ガスを発生させて燃やす。あぁ、そうか……。同族を売買するような――身も心も獣のお前は、人並みの教育など受けなかったのだろうな」
浩一は納刀するとティニィに通信を送る。
(ティニィ)
(はいよ〜)
扉が開き、冬の冷気が流れ込む。その乾いた、冷たく気持ちのいい風を感じながら浩一は倉庫の外へと歩み出た。
「大丈夫かイワン?」
浩一は倒れている狼に声をかけた。
狼はよわよわしく頷く。
「まだあいつはしぶとく生きているが……」
そう言いながら倉庫内で転げまわるニコライに浩一は目をやった。
そして右手を懐に入れ、中から|アンダーテイカー・カスタム《雪風搭載自動拳銃》をイワンの前に差し出した。
「使えるか?」
浩一の声にイワンは狼形態から人間形態に戻り、銃を受け取る。
震える足で立ち上がったイワンは銃をニコライに向けて照準。
連続する銃声が天に響き渡った。勝利を告げる狼の遠吠えのように。
***
(斎藤誠二)
(終わったぞ誠二。イワンは無事に仇を取れた)
(ありがとう浩一。助かったよ)
(あぁ――俺のカタナGSX1100SZは犠牲になったがな)
(……)
(請求書を楽しみにしておいてくれ)
通信が切れた。
やばいな、あの糞高いバイクを弁償させられたら俺は破産してしまう。
「綾乃。ヴォルコフは滅んだよ。イワンは生き延びた」
「そう。どうやら私の完敗のようね」
綾乃の声から、ついに力が失われた。
「あぁ、俺の勝ちだ。ただ、俺が勝てたのは本当に、たまたまの幸運に過ぎない」
もし、あそこでチャーリーが、宮下ケイが現れなかったら。俺はあのまま終わっていただろう。
「いいえ。あなたのイワンへの対応が答えね。私は結局のところ、彼を私の陰謀の一部としてしか扱っていなかった。あなたは敵対していたにも関わらず、彼の魂を、尊厳を守ろうとした。それが明暗を分けた」
綾乃はどこか寂しそうに応えた。
「俺は猫も犬も好きだからな。博愛主義者なんだ」
「結局。あなたのその赤いコートは……自分の、殺してきた誰かの、助けてきた誰かの、大勢の血の色なのでしょうね」
そう言って彼女は自分の赤いドレスを見下ろす。
「私のこの赤いドレスの赤は単なる、染料の赤でしかなかった」
「もういいだろう。俺と一緒に来い。その才覚で、これからは目の前の人を救っていけばいい。まず、自分を救うんだ綾乃」
リンクスは怒るだろうが――まぁ、俺が好きなだけ殴られよう。
彼女は、俺のありえた可能性の一つだ。可能なら、手を差し伸べたかった。
だが、彼女は満足げな笑みを漏らした。
「いいえ。私にも意地があるのよ。どうやらここが――私のライヘンバッハの滝だったようね」
ライヘンバッハの滝――モリアーティ教授とホームズが相打ちになった場所――まさか――彼女がそう言うのと同時、俺は彼女に飛びつき――コテージが爆発した。
衝撃が鼓膜を叩き、視界が真っ白に、背中に爆風が突き刺さる。俺は、綾乃を抱きしめて爆風と飛び散るガラスの破片から守ったが――彼女と共に、極寒の海へ吹き飛ばされ、落ちて行った。




