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第三十話 鏡像の魔女

(イワン)


 コンテナの壁面を蹴る。跳ぶ。相手の頭上から飛び散る牙(散弾)を浴びせて狩る(殺す)。俺には良く分からないが、綾乃がくれた電気の狼(人工知能)がいれば相手の武器を奪うのも一瞬のことらしい。


「イワン、危険ですよ。現状、戦闘開始から既に五分近く経過しています。敵の初期配置が突入時と変化している可能性があります」


 警戒の鳴き声を出してくるが、要らない心配だ。臭いが感じられなくとも、奴らの武器とこの身体能力があれば、俺は狩る側だ。突入時に嗅いだ臭いを思い出す――恐らく二十人。既に十人は狩った。


 ***

(ニコライ)


 あのクソ狼はコンテナの間を跳び回りながら銃を撃ちまくってきやがる。不味い。想定外に被害が出ている。だが、あいつが一番憎んでいるのは俺のはずだ。良いだろう、一気に決めてやる。


 ***

(イワン)


 戦闘の最中に、敵の群れのボスが何か言い始めた。


「おい! 今の名前はイワンだったか? 俺はここだぞ!」


 目の前、三メートルの距離の男の射撃を――コンテナを蹴らずそのまま前のめりに跳躍して回避。コンテナに跳躍する行動パターンを予測したのだろう、男はコンテナに向けて銃を向けるが、俺は既に男の背後に降り立っている。慌ててこちらに銃を向けようとする男の頭を横殴りに殴り、首の骨を折って殺した。


「彼の位置は危険です。挑発に乗らないでください」


 電気の狼(人工知能)が狩りの手順について教えてくれる。

 

わかっている。それも綾乃から学んだ。俺も挑発に乗るつもりはな――「お前の弟を生きたまま剥製にするのは楽しかったなぁ!」


 気づいたら俺は通路に飛び出していた。目の前、二十メートル先に禿頭の巨漢が立っている。どうにもできない怒りと殺意が俺を突き動かす。


「いけませんイワン。罠です! この距離においてあなたの武器では有効打になりません」


 俺には奥の手がある――大丈夫だ。殺意のまま、怒りのまま駆ける。

 巨漢が手に持った火を噴く長い枝(アサルトライフル)を持ち上げる。

 

「死になイヌコロ!!」


 奴がそう叫びトリガーを引く。銃声が連続する。上に逃げると予測したのだろう、反動のままに(弾丸)を上に向けて撃っている。

 ほぼ同時に俺は、手に持っていた飛び散る牙を放つ枝(ショットガン)を投げ捨て――四つん這いになり射撃を回避。


 ***

(ニコライ)


 まさか四つん這いになって俺の射撃を避けるとは。

 だが、馬鹿か?

 そんな速度で俺の射撃を避けられるとでも?

 人狼形態だろうと四つん這いで高速移動なんてできるわけないだろうが。

 戦闘補助をしている人工知能による戦術予測。リロード後の射撃命中率――九十八%。

 余裕をもってマガジンを排出。

 リロードを行――待て、あいつ、いつの間に完全な狼形態に――速――

 俺の喉元に完全な狼形態となったイワンが食らいついた。


 ***

(斎藤誠二)


「誠二。もうすぐそこにいるんでしょう? 来なさいよ。私は二階にいるわ」


 綾乃の言葉に甘え、俺は潮風に叩かれながら桟橋を渡り、コテージへ向かう。

 入口などなさそうだったが、桟橋を渡り黒いコンクリートの前に立つと壁がスライド。俺は中に入る。

 コテージの床・壁面・天井、全てが木目。玄関があり、靴を脱ぐべきか俺は少し悩む。……。そのまま上がるか。格好つかんし。玄関から入ると左手には二階へと続く階段。右手には廊下と扉。正面にも扉。階段を登り二階へたどり着く。大きな居間が広がっていた。海側の壁が全てガラスになっていて、曇天の海がガラス越しに見える。絶景と言えよう。右手の壁際には冷蔵庫と扉。左手の壁際には本棚。


 そして俺に背を向けて立っている綾乃の姿。出会ったときと同じ真っ赤なロングドレス。黒髪。彼女が振り向き、青い瞳が俺を捉えた。


「で、私のズルって何かしら?」

 俺はそれに答えずに挨拶を優先する。アレは失言だった。

「久しぶりだな、綾乃」

「あら、ここは土足厳禁よ。後で拭いて帰ってね」

「君の負けだ。もう止めるんだ」

「自首しろって?」

「いや、君のことだ。どうせ証拠は残していないだろう。俺の口添えがあればもしかしたら立件できるかもしれないが……」

「ならどうして欲しいのかしら」

「モリアーティの真似事なんて止めて普通に生きてくれ。俺は君を撃ちたくない」

()()()()()()? 撃てない、ではなくて?」

「今の俺は、君を撃てる」


 彼女の目が微かに細められ、煌めいた。


「あら。私とあなたは志を同じとする同志だと思っていたのだけど」

「いや、俺は君とは違う」

「ふふ、じゃあ聞かせてもらおうかしら。私とあなたの違いについて」

 綾乃の声は鋭く、論理的だ。だが、俺の心はもう揺れない。

「君のその街そのものを救うやり方――悪くはない。多くの正義の味方が目指した理想の果てだ。少数を切り捨てて多数を救う。色んな作品でテーマにされてきた」

「おかしいわね。犯罪コンサルタントなのに正義の味方呼ばわりされるなんて。でも、やり方が悪くないと思うなら何故邪魔をするの?」

 そう言っておかしそうに彼女は笑った。

「だが――君は言えるのか?」

「何をかしら?」

「笑顔にした人の名前を。そして君が『尊い犠牲』という数字に変換して切り捨てた奴らの顔を覚えているのか?」

 俺のその一言に彼女の余裕が少しだけ薄れるのを感じる。


「それは……」

 彼女と対決を開始して初めて、彼女が言葉に詰まる。

「宮下ケイ、宮下良子、ルーブ・マーティン、シーリー・マーティン、リンクス、五十嵐結衣、マーカス、レイ……いくらでも俺は名前を挙げられる」

 彼女の声に初めて苛立ちが混じった。

「名前を言えることが何の証明になるの? あなたは名前を知っているだけで、その後の人生に責任を持てない。私は数字で動くけれど、少なくとも構造を変えようとしている。あなたの救済は感情的な自己満足に過ぎない。名前を知っているだけで救った気になれる、それこそが最も無責任な偽善じゃないの?」

「そこだよ」

「……?」

 彼女の知性でも理解できないらしい。いや、違うな。彼女だからこそ理解できないのだろう。


「そもそも俺は自己満足で人助けをしている」

「偽善ね。しかもスペンサーの模倣に過ぎない」

 彼女らしい回答だ。

「偽善の定義は何だ? 俺の認識では見返りを求めないふりをして人助けをするのが偽善なんだがどうだ?」

「それは――そう、ね」

「俺は見返りを求めてない。目の前の誰かを助けたいのを助けるのを偽善というならそれでもかまわん。そして模倣の何が悪い? 多くの人が、様々な作品や他人の生き様に勇気を貰っている。それが模倣だろうが何だろうが、何ら関係は無い」


 俺は、生きるのに絶望しているとき、スペンサーを読んで救われた。同じような人がたくさんいるはずだ。これは、否定しようのない事実。彼女が言葉に詰まる。前回とは立場が逆転しつつあるのを彼女も感じてきたようだ。


「でも救える数は私の方が多い。簡単な数学の問題に過ぎないのよ」

 彼女は切り札を切ってきた。しかし、もう俺には通じない。

「違うね。君達救世主気取りが犯す最大の過ちは、数学に問題をすり替えることだ。現実では数学の問題を解くように問題を解決なんてできやしない。だからこそ数学は美しい。それに魅せられて勘違いしてしまうのも分かる。だが、それじゃあ四捨五入された側の悲しみも、救い上げられた側の喜びも知らないだろう」

「そんなもの、人助けには必要無いわ」

「いや、ある。俺は殺した奴らの顔を覚えている。全部俺が自己満足のために殺してきた。君はどうだ?」

「それが数十人の犠牲で数万人救う私より、二十人の犠牲で一人しか救えないあなたのやり方が良い説明になっていると思うの? 罪悪感を盾に自分のほうが偉いと語っているだけでしょう?」


「なら聞くが、君のやり方で救われた人達は――何か変わるのか?」

「あなたは何を言っているの?」

「俺は、俺が救った人達が――誰かのヒーローになって他の誰かを救うのを見たんだ。綾乃、君の救済じゃあ、人は救われたことにすら気づかない。それじゃあ人は変われない。構造はまた元に戻るだろう。同じことが繰り返される。だからこそ俺は、目の前の誰かの笑顔のために生きる」

「あなたに救われた人すべてがそうなるとは限らない。詭弁よ」

 鏡に映った俺そのものにひびが入り始めていた。


 岩村からメッセージが入る。

(誠二、お前の言う通りあちらこちらと捜索をしていたら、中央区で爆弾が発見された。複数個だ。コレは不味いぞ)

(何かしているとは思っていたが……解除は? 可能なら全部同タイミングにして欲しいが)

(構わんが、そもそも全部発見できているかも怪しい)

(やれるだけやってみてくれ)

(言われなくてもそのつもりだ)

 

 これがズルの正体か。何か仕込んでるとは思っていたが――全く恐ろしい女だ。


「その通りだ。詭弁かもしれない」

「そうでしょう。ならやはりあなたのやり方は間違っている」

「しかし、変わらない保証もない。別に俺は変わらなくても良いと思っている」

「言っていることが矛盾しているわ」

「だが、変わった人を俺は実際何人も見た。そしてその人達が助けた人達の何人かが変わってくれたら? 俺の意志は、その人達の意志は、どこまで続いていくのだろう? 君のやり方はどうだ? 何も残らない。空っぽだ。それで楽しいのか?」

「楽しさ? 人を救うのにそんなもの不要でしょう。そもそも、何か格好つけているけど、あなたが名前を覚えているその人達、今この瞬間、全員幸せだと本気で言えるの?」

「言えない」

 俺は首を振る。


「ほら、そうでしょう」

「しかし、俺があの時助けなければ、今、幸せになれるチャンスすら無かった。俺にできるのは、たまたま出くわした理不尽を乗り越えるのを手助けすることだけだ。でも、それで良いんだ。俺個人に出来る精一杯がそれなんだ」

「それじゃあ意味が無いって言っているのよ!」


 そんなことは無い。破滅しなければ、人は何度だって立ち上がれる。たまたまこけて、自分一人で立ち上がれない瞬間。誰にでもその瞬間が訪れる可能性はある。死ぬまでない場合もあるかもしれない。だけどその時は突然降りかかる。俺は突然の災厄で倒れてしまった人の手を取りたい。ただそれだけなんだ。そして、俺自身も――手を取ってもらえたんだ。俺は罠を張った。


「じゃあ聞く。君が救った千人、誰一人として君に、誰かに救われたと認識していないとしても、それでいいのか?」

「いいわよ」

「そこだ。そこが同じなんだ。俺と君は。俺も君も誰かを助けることに見返りを求めていない、自己満足でしている」

「なら、やっぱり効率的な私の方が――」

 綾乃が余裕を取り戻した声を出す。


 俺はそれを断ち切る。

「だからこそ、俺は勘違いをしていた。俺も君も、救うことに見返りは求めてはいない。だけど、救われた事実を救われた人が知るかどうか。これはまた別問題なんだ。いや、ここが問題の本質だ」

「どうでもいいことにきこえるけど?」

「ある娘が言ってくれた。なんでいつも怒っているの? と。俺は――実に、自分でも、本当に馬鹿らしいし、子供っぽいと思う。だけど、世界の全ての理不尽に、自分の無力さにいつも怒りを感じている。君に、それは無い」

「私はあなたと違って無力ではないもの」

「そういう問題ではない。君は何も背負っていない。手にかけた人間も、救った人間も。ただ数式を弄ってそれを楽しんでいるだけの――数学教授に過ぎない。俺と君は、そもそも最初から背負っている物が違う。君は自分が救ったと主張する人間の笑顔すら知らない」


「私はそんなものに()()()()()()()()()()()()

 彼女は淡々と否定した。


 これだ、この一言を引き出したかった。


「俺は()()()()()()()()()。そこが決定的に君と俺の違う点だ。俺は自分勝手に人を助けているが、その結果、笑顔が見れたら。世界に笑顔が増えたら嬉しい。だからこそ、今の俺は君を撃てる。君は今、自分で自分の行いを認めたんだ。君の行為は、自分の傷つかない安全圏でやっているただのお遊びだってね。()()()()()()()()


 俺の中にあった鏡像はこの瞬間、完全に打ち砕かれた。




 ***

(イワン)

 

 俺の口に血の味が広がる。このままこいつの首を食い破って――おかしい、俺の食い込んでいる牙が何か押し返されて――「イワン。すぐに回避してください。撃たれようとしています」


 馬鹿な、群れのボスだぞ?

 俺ごと撃つわけが――俺の全身に奴らの放った(弾丸)が突き刺さる。

 激痛が俺を襲う。そして俺が食いついていた毛の無い猿(人間)の首は――今や茶色のぶ厚い毛皮に覆われていた。猛烈な力で胴体を殴られた俺は吹き飛ばされ倉庫の床を滑っていく。


 俺がくらいついて喉を食い破ったはずの男は――二メートルの大きさの灰色熊と化していた。こいつ……俺と同じシェイプシフターだったのか……不味い、人狼の再生力でも再生できない箇所がある。銀の飛び散る牙(銀の散弾)を幾つか食らっている……ふざけるなよ……何故、何故だ……同じシェイプシフターでありながら……ヴォリに所属して俺達を売っているだと……剥製にされた弟、売られていった妻、雪原に倒れた父の姿が、血の匂いとともに蘇る。


 何とか立ち上がった俺の脚をどこからか放たれた(弾丸)が破壊する。駄目か。意識が遠のく……遠くから鋼鉄の馬の吠える声が聞こえる。いや、あれは仲間たちの遠吠えだろうか……すまない、仇をとりきれなかった……群れの皆は、俺を、許して……くれる、だろうか……


「クソ犬が……楽に死ねると思うなよ」


 そう言いながら、灰色熊は俺に近付いてきた。

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