第二十八話 なんで……いつも怒っているの?
十二月二十四日 午後一時 新西京中央区
俺は指示通り待機していた。だが、奴らは現れない。
おかしい。
奴らの臭いは微かにしている。
俺にとって奴らの臭いは常に地獄を伴うものだ。
半年前――――それは突然のことだった。
シベリアの大地に暮らしていた俺達の群れは、突然毛の無い猿の襲撃を受けた。
風上から流れてくる嗅ぎなれない血に似た匂い。
鉄の獣が現れ自然界に存在しない音――今ならわかる――銃声が響き、次々と倒れていく同胞達。
「逃げろ! 白い脚! 絶対に振り返るな!」
俺は妻に逃げるように叫び、唸り声を上げ、突っ込んできた鉄の獣に乗っている男に飛びついて喉笛を噛み切る。
口内に広がる血の味。
何匹か毛の無い猿を殺してやった時だ。風下に逃げたはずの妻、その他の子供……戦えない群れの仲間たちの哀し気な遠吠えが聞こえてきた。
「私たちは捕まった、逃げて」
「お父さん助けて!」
「風下は駄目だ、罠がしかけられている」
「自分のことだけ考えて、逃げて!」
「怖いよ、怖いよ」
戦っていた俺達の動きが止まる。その一瞬、俺の身体はいうことを聞かなくなり雪の上に倒れる。
近寄ってきた男が俺の腹に蹴りを入れる。
「手間かけさせやがって」
「そのぶん高く売り飛ばしてやる」
俺は頭を振って記憶を振り払う。俺はもう『青い牙』ではない。イワンだ。一人でも多く奴らを狩る。今日、ヴォルコフを大量に狩れる。そう言われていたのだが、奴らはなぜ現れない?
***
午後一時 新西京三区 斎藤誠二探偵事務所(斎藤誠二)
事務所の椅子に座って待つ。
来るなといったのに結衣、アーク、リンクスも事務所に居る。
何だ? 俺の言うことを聞く奴は皆無なのか?
「イワンが現れたぞ」
岩村からの連絡が入る。よし、勝負はここからだ。
(雪風、イワンのホロリンクは?)
(指示待ちなのでしょう。立ち上がっています)
(メッセージを送れるな?)
(可能です)
俺はイワンにメッセージを送る。
そして綾乃がかけて来いと言っていた番号にかける。
一コール……二コール……三コール……四コール……
おい待て、出ないのか? 俺は彼女ともう一度戦う必要があった。俺自身のために。そして、彼女が仕込んでいるであろう不確定要素のためにも。
五コール……六コール……
いや、出ないわけが無い。
彼女は何よりもホームズを欲している。
「何かしら誠二? 私のものになる決意がついたの?」
出るのに時間がかかった……想定外の事態について考えていたのだろう。それとも……わざと焦らしたか?
「謎は全て解けた。君の負けだ」
どうせわかることだ。さっさと想定外の事態が起きた理由が通話相手――俺――であることを教えてやる。
しばしの沈黙。
「このタイミングでの通話ということは、あながちはったりでも無さそうね?」
「はったり? 俺は真実しか話さない男だぜ」
「ふふ。その発言の真偽については、これからのあなたの推理を聞いてから判断させてもらうわ」
***
午後一時十分 新西京中央区
どうなっている。なぜ奴らは現れない?
俺の所持している遠くまで吠え声を伝える機械に吠え声が届いた。
ヴォルコフはここでお前を待っている。今回を逃せば奴らを一網打尽にするチャンスは無い。
慣れない手つきで俺は添付されているファイルを展開。そちらへ向かって歩き始めた。
近寄るにつれて奴らの臭いが濃くなっていく。確かに数時間前、この道をあいつらは通った。俺の鼻は誤魔化せない。
俺の所持している遠くまで吠え声を伝える機械に再び吠え声が届いた。
イワン、必ず次のチャンスをあげるから一度引きなさい。目標が指定の地点に現れていないのであれば、今回は私たちの負けよ。でも、判断はあなたに任せるわ。
俺の恩人からの吠え声。
売られていた俺を買い上げ、まともな人間扱いをしてくれ、復讐の手伝いを申し出てくれた。人間の中で唯一の同胞と言える存在。
歩を進める。奴らの臭いが濃くなっていくにつれ俺の記憶は再び鮮明に蘇る――目の前で剥製にされた弟、売られていった妻、売り物にならないとうち捨てられた父。
目標は現れている。少なくともあの地図の場所にいるのは間違いない。彼女の当初の計画とは違うが。
どうする?
引け。生き延びろ。そうすればきっと次がある。そう囁く声がある。
……群れの仲間達の吠え声は今も、いや、ずっと聞こえていた。
しかし――次は無いかもしれない。
俺に残っているものは何だ?
何も無い。いや、二つだけあった。恩人への恩義と復讐心。それしか残っていない。同胞は皆、どこかに売られて行ってしまった。二度と妻にも、群れの誰にも会えないだろう。
俺は、俺は――――――――――――
***
(斎藤誠二)
「君の挑戦状とやらを今から因数分解していく」
「どうぞ」
綾乃の声は淡々としているが、そこに隠された熱は隠しようもなく俺に伝わってくる。
「まずは序文から行こうか」
古のバビロンを築きし者
怒りをもって狼を狩る
現代のバビロンを揺るがし
終末のラッパがなるとき
竜が目覚める
「ヨハネの黙示録をモチーフに選んだのは実に上手い。感心するよ。まず古のバビロンだが。ヨハネの黙示録においてバビロン、これはローマを意味する。そしてローマを築いたのはロムルスとレムス、狼に育てられたとされる兄弟だ。最終的にロムルスとレムスは殺し合い、ロムルスが残り王になった」
「博識ね」
「ローマ人の物語は面白いから是非お勧めだ。それはさておき、怒りをもって狼を狩る。これはヴォルコフへの復讐を指している。ヴォルコフとはロシア語で狼を意味する。現代のバビロン、これは新西京、この街のことだろう。終末のラッパが鳴り響くとき――――アルゴスの手でヴォルコフが殲滅させられた時に、竜、つまり竜造寺組がヴォルコフとの抗争に勝利することを意味する。つまり君の依頼主は竜造寺組だ」
「そうね。名探偵ね。でもこの程度、正直誰でも解けるわよ?」
そう言いながらも、彼女の声が熱を帯び始めているのを俺は感じ取る。
「そうだな。だが、君をもう一つ褒めておこう。」
(誠二。綾乃の位置が絞り込めてきました。新西京南部です)
(オーケー。俺が推理を披露している間に彼女の位置を特定してくれ)
(しかし、途中で切断されないでしょうか? 彼女ほどの知性の持ち主が追跡されていることを認識していないはずがありません)
(俺が推理を間違えない限りは問題ない。彼女は探偵との対決の最中に対話を中断するなんてことはできない)
(かしこまりました。尚、ジェーン様には私の独断で今回の事件のあらましをまとめて送っておきました。これで契約をきちんと果たしたことになるでしょう)
おい、勝手な事を――いや、あいつにも酷いことを言った気がするからな。ナイスフォローということにしておこう。
「何かしら?」
綾乃の面白そうな声。
「ロムルスとレムス。狼は二頭いた。マガミとイワン。しかし、予告状の文面をみればわかることだが、復讐に駆り立てられているのはバビロン……ローマの礎を築いたロムルス、つまりイワンの方だけだ」
推理を披露しつつ、俺は立ち上がると事務所の扉に向かう。
ついてこようとするリンクスとアークを手で制する。すまん。これだけは俺の戦いなんだ。それにお前たちはまだ完調じゃないだろうに。そんなに俺が不甲斐なく見えるのか? 一度視力検査させるべきだな。そして俺以外の人間が同行していた場合、彼女がどう出るかわかったものではない。
「予告状を出した時点でマガミはまだ君の手駒ではなかった。目はつけていたんだろうが。もし君の手に堕ちなくてもイワン単独でも予告の意味は通る。上手い手だ。そしてマガミが君の手に堕ちれば狼は二頭になる。状況に合わせて解釈をどちらにでも持っていける。俺はずっとイワン一人が君の手駒だと思っていた」
「まるで私の性格が悪いように聞こえるわね」
「俺は事実を述べてるだけさ。悪く取らないで欲しいな。さて、次がお待ちかねのメインディッシュだが――」
扉を開けて外に出る。
小走りにやってきた結衣が俺の背中にしがみつき小声で囁く。
「なんで……いつも怒っているの?」
その声に俺の脚が止まる。彼女の体が微かに震えている。
きっと――ずっと疑問に思っていたけど、聞けなかったのだろう。
「帰ってきてね」
結衣は小声でエールを送ってくる。
俺は黙って結衣の頭を撫でると愛車に乗り込み、エンジンをかけた。




