第二十六話 ヴォルコフ
午後九時 新西京三区 弁天通り
ヴォルコフが経営している高級クラブ『スネグーラチカ』。もちろんこの手の店の裏の顔にありがちな、高級売春宿の機能もあるだろう。何人の娘が望んでそんなことをしているんだろうな?
パトカーでこの店の前まで乗せていってもらう。
「なかなか快適なタクシーだったよ」
「おい、チップを忘れてないか?」
ドライバーをしていた番田がわけの分からないことを言ってくる。
「まだ仕事は終わってないよ運転手さん。ここで待っててくれ」
「ロシア美人とお楽しみの間、俺たちはここで何をしてろと?」
「張り込み用の珈琲は岩村が持ってきてくれただろ? しかも隣にはちゃんとイケメンエルフが座っている」
アビシニアンでテイクアウトした珈琲カップと岩村を指差す。
岩村が文句を言いだした。
「斎藤。良いからさっさと言ってこい」
「頼んだよ、抑止力。あんたらなら核ミサイルに匹敵するよ」
俺はそう言うとタクシーを降りる。
「もう俺たちじゃなくてアルゴスの制服を着たカカシでも置いとけばよくないか?」
番田が愚痴るのが聞こえてくる。
赤いレンガの洋風な建物。アイボリー色の木製の扉を開く。開店直後だからだろうか、客の姿は無い。黒服を着たエルフ。金色に染めた長髪から黒目が覗いている。
「お客さん、ここは初めてですか? ここは紹介制で」
「ヴォルコフ・ブリガータのボスを連れてこい」
「は?」
目を白黒させる。
「俺の言葉の意味を理解できないレベルの下っ端か?」
「何だお前、調子に……」
「斎藤誠二が来たって言え。さっさとしろ。後でどやされるのはお前だぞ」
「わかった」
勝手に店内に入る。床は赤い絨毯。フカフカで足首まで埋まりそうだ。壁はつや消しの黒。天井には暗めの照明。ボックス席がいくつかある。
勝手に一番奥のボックス席に行って座る。
客と勘違いしたのか、金髪碧眼のロシア美人が俺の隣に座ろうとしてくるのを手で追い払う。
「誠二……暇である。この手の店はカラオケと呼ばれる歌を歌える機械があると聞く。我が耳を穢すことを許す。手慰みに歌を歌うがよい」
「良いのか? 俺が本気を出したらメジャーデビューしちまうぞ?」
「私のカラオケ採点機能によれば、この間のあなたの歌は――」
「ちょっと待て雪風。あれはノーカウントだろうが! アレは本気出してないから!」
「声帯改造による音域調整能力に頼ることを本気というのであれば、それは単なるズ――」
「つまり、普通に歌えば音痴ということであるな」
「音痴は言い過ぎだろ。そもそも、格闘、というか武術にはリズムは大切なんだぞ」
「そうなのか?」
リーナスの緑色の瞳が見開かれる。そうだ。分かれば良い。
「つまり貴様は――歌だけでなく、格闘のセンスも……」
おい、なんでそうなる? そしてなんだその哀れみに満ちた声色は。いかん、普通に暴れたくなってきた。落ち着け誠二。
先ほどの黒服が戻ってきた。
「ボスが会うとのことです。こちらに」
店の奥、スタッフオンリーと、書かれた札のかかった黒塗りの扉の先へと案内される。
一辺が十五メートル位の正方形の部屋だった。先ほどと同じ内装。更に奥に扉がある。身長百七十センチくらいのロシア人達がたむろしている。五人。壁にアサルトライフル、ショットガンが二丁ずつ。おいおい、戦争でも始めるつもりか?
入ってすぐにカウンター。
部屋の中央に茶色の机と黒革のソファが、向かい合わせに置いてあった。
ボディチェックをされる前に雪風とバックアップを机の上に置く。
「規則だからな」
そう言いながらエルフの黒服が俺のボディチェックを行う。
「そこに座って待て」
俺がソファに座る。
一分もたたずに奥の扉からスキンヘッドに青い目のヒューマンの男が俺の向かいに座った。身長二メートルを超えているだろう。でかすぎんか? 体重も百キロは超えているだろう。ボディビルダーのように筋肉ムキムキだ。ゆったりとした都市迷彩のツナギにブーツを着ている。男が挨拶をした。
「ニコライだ」
「斎藤誠二だ」
「マーカス戦、見ていたよ」
「そりゃ光栄だね。サインでもしようか?」
「お前が本人という確証もないから不要だ。何しろ、あの時斎藤は顔を隠していたからな」
「有名税みたいなもんだ。雨後の筍みたいにポコポコ偽者が現れる」
俺は肩をすくめて溜息をついた。
「マーカスを始末してくれたのは助かったよ。商売がとてもやりやすくなった」
……。結局そういうことなんだよな。害虫駆除したらどうなる? 他の害虫が縄張りを広げる。
黙っている俺をしりめにニコライは話を続けた。
「お前が本物の斎藤誠二として、だ。表のアルゴスの警官の乗ったパトカーは何だ?」
早速抑止力が効果を発揮したってわけだ。俺にあった理由の九割は恐らくはパトカーの存在のおかげだろう。
「アレは俺の個人タクシーでね。もし俺がここから無事に戻らなかった場合、個人的な友情でここに突入することになっている」
ニコライが黒服に目をやる。
「盗聴器の類はなかったと思います」
黒服が答える。
「この部屋のジャミングを最大レベルにしとけ」
黒服にニコライが指示を飛ばした。
「流石にこんな間抜けな囮捜査はしないよ」
俺は親切にアドバイスをしてやる。
とはいえ、だ。恐らく今この部屋は、外部とは電波的に断絶された孤島となったのだろう。
「何の用だ? 知っての通りうちは今ピリピリしていてな」
「新西京を追い出されるかどうかの瀬戸際だからか?」
俺の一言が一瞬で空気をひりつかせた。
「喧嘩を売りに来たのか?」
部屋の隅にいた男たちが立ち上がる。
「まぁ落ち着けよ。今から幾つか面白い話をする。黙って聞いててくれれば良い。それを聞いてからでも俺と喧嘩するかどうか決めても良いんじゃないか?」
(誠二。面倒だから皆殺しにしてしまおうぞ!)
(リーナス。少し静かにしといてくれ。それはプランGだ)
ニコライは頷いた。
「この紳士的な男に誰か紅茶でも持ってきてやってくれ。そこの黒猫にはミルクでもくれてやれ。あぁ、折角だからそれなりに良いやつにしとけ」
(誠二!)
(なんだ)
(こやつらは良いやつなので見逃してやろうではないか?)
(そりゃこいつらも泣いて喜ぶだろうよ)
……ん? 待て。こいつまさか、はなから暴れるつもりだったのか? 勘弁してくれ。例えこの店の奴らを全滅させても今度は俺がアルゴスに追われちまう。いや、うまいこと正当防衛をでっちあげればあるいは――っと、それどころじゃない。
「あんたらは竜造寺組と今、主に抗争をしている。だが、思いもよらぬことが起きた。メンバーが暗殺され始めたことだ。しかもやり口はヤクザのやり口じゃない。ペットショップでは謎の密室殺人がおき、裏の商売が暴かれ、一般市民も巻き込まれた。若者向けクラブではバイオテロだ」
「ニュースを見れば分かることをわざわざ言いに来たのか?」
ニコライは鼻で笑う。対照的にもとより低かった視線の温度はより下がる。
「まぁ落ち着けよ。あぁ、ここから先は人払いしてほしいんだが?」
ニコライが悩んでいるのが伝わってくる。
あまりヴォリを挑発はしたくないが、俺はそもそもここでコイツラと会話することそのものに苛ついている。我慢だ、誠二。
二人で沈黙している間に、俺の前に紅茶が置かれた。リーナスの前にはミルクが。
「しがない私立探偵でしかない俺と、そこの可愛い黒猫にまさかビビっているのか? あんたらみたいなタフガイが? まさかな?」
俺はその気になれば虫も殺せない男を演じられる。アカデミー賞ものの演技を披露してみせた。
沈黙していたニコライが手で合図を送る。部屋の男達が部屋から出ていく。
リーナスは尻尾を振りながらミルクを飲み始めた。
(なんという甘露……誠二、貴様の供する泥水とは比較にならぬ!)
そりゃすまなかったな。本当に泥水飲ませてやろうか。俺は話を進める。
「ありがとう。で、クリスマスパレードの日。中央区。正午から午後二時の間に竜造寺組の組長が姿を現すという情報を得たはずだ。そこで襲撃をかけて頭を潰せば抗争に勝てると思っているのかもしれんが……止めといたほうが良い。罠だ」
ニコライの顔はピクリとも動いてない。だが、何かを考えているようだった。
「情報源はあんたらからドラッグや密輸入動物を買い取っている女……年齢や外見は知らないが……じゃないか? そして恐らく、今までに何度か竜造寺組に関する貴重な情報を流してもらっている」
ニコライが口を開いた。
「もしその話が事実として、試すぶんにデメリットはないだろう。現れなければ何もしなければ良い」
「現れるさ。影武者がな。そして、恐らく何か同時に酷いことが起き、お前たちの責任にされる」
「その根拠は?」
「俺の語った内容が真実なら、それはつまり、誰かの仕掛けた罠ってことにならんか? どうだ? 合っているか? もしこの話が初耳なら、賭けても良い。今日か明日には俺が今言った情報がもたらされる。竜造寺組の組長をやる絶好のチャンス到来! ってな」
長い沈黙。
「…………どこから知った?」
「予告状を解いただけだ。後は簡単な因数分解にすぎない。更に言えば、お前たちを殺して回っている化け物が投入されてお前達が死ぬ」
「アルゴスの発表では既に…………」
「おいおい、まさか額面通り信じるのか? 信じる者は掬われる――――足をな」
「………………何が望みだ?」
「その前に一つ聞きたい。お前達はこのシェイプシフターの男を売ったはずだ」
イワンのホロ画像を見せる。ここが正念場だ。
「さあな」
「とぼけるなよ。大切なことなんだ」
「いや、真面目な話だ。俺たちがどれだけ売っていると思っている。いちいち覚えていない。少し待て」
ニコライが懐から別のホロリンクを取り出して操作している。
どれだけ売っていると思っている。だと?
俺の持った紅茶の水面が細かく波打つ。おっと、震度一の地震か?
溢れる前に俺は紅茶を飲む。アールグレイ。良い茶葉を使っている。だが、その香りの裏には、この街で、この世界で、泣かせてきた連中の血の匂いがこびりついている。警察で淹れた珈琲がどうやっても不味いのは謎の世界法則だが、こいつらの出す飲み物が不味いのは必然だろう。リーナスをちらっと見る。一心不乱においしそうにこいつらの出したミルクを……おい、皿まで舐めるのはマナーが……猫にマナーもくそもないか。
「確かに売っている。半年前だ」
全て繋がった……はずだ。予告状を完全に解くための最後のピースが綺麗にはまった。
「そのイワンの群れの売り先の顧客データ。それが俺の要求だ」
(雪風、いけるか?)
(駄目ですね。完全オフラインです)
(裏帳簿専用ホロリンクってことか)
(えぇ。ハッキングは直接奪わない限り不可能です)
やはりか。
「俺たちの商売は信用が命だ。そんな真似はできん」
「誓って言うが、アルゴスに渡すつもりはない。それに今回のコレをきり抜けてもまた次々と罠が仕込まれるだろう」
「無理だな。有益な情報をありがとう。金一封で勘弁してくれ。それか好きな娘と楽しんでいけばいい。うち持ちにしておく」
「良いのか? 店の娘が全員俺に惚れてハーメルンの笛吹状態になってこの店がつぶれてしまっても?」
「斎藤。これは親切心からの忠告だ。自分では面白いと思っているようだが、あまりつまらない冗談を飛ばさない方が長生きできるぞ」
舐めやがって……この場でこの店の全員を皆殺しにしてやりたくなる。……正当防衛ということにすれば――俺の顔がニュースで報道されるのは間違いない。アンダーとしては死んだも同然だな。止めておこう。まあ俺は私立探偵だけどな。
「分かった。なら、クリスマスパレードの日にイワンを誘き出して殺す方法を教えてやる。代わりに竜造寺組長の影武者襲撃は諦めろ。どのみち罠だ」
こいつらが竜造寺組長を待ち伏せしてるところにイワンが現れて大暴れされたら市民への被害はとんでもないことになる。それだけは避けなくてはならない。
「…………お前に何のメリットが?」
この手のクズに俺の掟を語っても信じやしないだろう。
「金のためだよ。金一封とやら、期待しておくぜ」
俺はにっこりと笑みを浮かべた。もちろん、貰えるものは貰っておこう。金を受け取って信用して貰えるならありがたい話だ。何しろ俺だって生きていかなきゃならんのだから。特に我が家には育ち盛りの黒猫と人工知能がいるからな。




