第二十三話 シェーンになれなくても
体調が戻った俺は、事務所に戻ることにした。ホロリンクの着信は恐ろしくて無視しておくこととする。直接会って話す方が良いだろう、多分。いや、通話の方が良いかもしれん。だが、そもそも宮下母娘の前であの馬鹿達とのホロ通話なんて見せられん。彼女たちの前では、俺はあくまでも……あくまでも、何だ? まぁ良い。
「良子さん、そろそろ仕事に戻ろうと思います」
俺はそう切り出す。良子さんの顔が少し曇る。
「そうなんですか? 体調は?」
「まだいてよ~斎藤のおじさん」
すっかり馴れ馴れしくなったケイちゃんも俺を引き留めてくれる。
正直、ここは居心地が良い。いや、良すぎる。
「あなたの看病のおかげで元気ばっちりですよ。今なら富士山だって頂上まで駆け上れる。あなたは、そしてケイちゃんと、チャーリーは俺の命の恩人です」
「そんなこと――――」
良子さんが何かを言いかけて止める。それで良い。有難う。
「またお礼に来ますよ」
「本当に?」
ケイちゃんが嬉しそうな声を出す。で、チャーリーは俺の脚にひっついているんだが。
俺はしゃがんでチャーリーに小声で話しかける。
「チャーリー……お前、目覚めかけてるんだろ?」
修理を百鬼堂の爺さんに頼んだのが間違いだったか……ったくあの爺さん。勝手な事を……俺の言葉を聞いたチャーリーは右手を上げる。
「良いんだ。想いを口にするのが怖くて今は喋れないんだろ? そのうち喋れるようになるさ。でも、ばれたら不味いことになるからな。気をつけろよ」
チャーリーは頷いて俺の脚から離れた。
俺は立ち上がり、改めて並んで立っている宮下母娘にお礼を言う。
「ケイちゃん」
「何?」
「今度会うときまでに西部劇映画のシェーンを観ておくと良い。こういうお別れのシーンで何ていえば良いか学べるからね」
「えー、私、私立探偵小説が良いなー」
「ま、気が向いたらでいいよ」
俺はそういって踵を返す。
「誠二さん――コートはどうしたんですか?」
良子さんの言葉。
俺は立ち止まる……。やっぱり、気づかれていたのか。そりゃそうだな。赤いコートを着て黒猫を連れているウインクが魅力的な私立探偵……探す気になればすぐに見つかる。そこに思い至らない俺は……やはりどこか抜けているのだろう。恥ずかしい。死んでしまいたい。今度からはもう少しばれないようにしよう。でも、彼女は会いに来なかった。俺の気持ちを汲んでくれたのだろう。本当にありがとう、良子さん。俺は彼女に背を向けたまま話かけた。
「良子さん」
「はい」
「俺は…………実は、探偵を辞めるつもりだったんです。ある事件の犯人と戦ってコテンパンに負けて。何も言い返せなくて。目の前で、引き金を引くチャンスは幾らでもあったのに、俺はどうしても引き金を引けなかった。そのまま彼女を逃がしてしまった。しかも笑えることに、俺は彼女を愛してしまっていた」
「……」
彼女の息を飲む音が聞こえた――気がした。
「でも、あなた達が俺の心を救ってくれた。だから――いや、違うな。大切な事を思い出させてくれた」
俺は最初からそうだった。他人のためじゃない、俺自身の誇りのためにこの仕事を選んだんだ。それを、綾乃の冷徹な合理性の前に忘れていたらしい。
「……?」
良子さんが良くわからないという空気を出す。そりゃそうだろう。
「そのやり方で、もう一度やってみますよ」
「でも、また危険な目に――」
「危険なんて俺からしてみれば、街を歩いてたら渡されるチラシくらいになんてことないものです」
「かっこいい~!」
ケイちゃんが素直に俺を褒める。彼女こそ我が事務所に来て助手になるべきでは?
このまま格好良く立ち去るつもりだったが、俺は振り返るとケイちゃんに声をかける。
「君が後十年経ってもまだ私立探偵になりたかったとして、そして俺がこの街でくたばっていなければ俺のコートを譲るよ」
「本当に?」
彼女の顔がぱっと輝く。
「あっ、でも臭そうだからいいや!」
なんてことを言うんだこの子は?
「ケイ!」
俺は二人に笑顔を向ける。
「良いんですよ良子さん」
よくよく考えれば、今まであのコートが浴びてきた血と硝煙と胡椒と唐辛子と下水と……数え挙げればきりがない。ははっ、確かに臭いかもしれん。だが、それが俺の――生きた証だ。彼女は自分で自分のコートを用意するべきだ。それが彼女の生きた証として積みあがっていくのだろうから。こうして俺は事務所へと向かって歩き出した。立ち去る俺の背中にカムバーック、という叫びは無かったが、二人の暖かい気持ちだけで、それだけで俺には十分だった。
十二月二十日 午後二時
新西京三区 斎藤誠二事務所
最大の問題はここだ。これからの地獄を生き延びなくては俺は綾乃と戦うどころではなく――命を落とすだろう。いや、俺の華麗な弁舌なら完璧に説得できるはずだ。間違いない。扉の前で悩んでいると大音量で声が響いた。
「誠二、この糞マスター! そこに居るのは分かっています。どこに行っていたのですか? さっさとこっちにきてください!」
この理不尽な罵声。良いぞ、もう八分の一は説得したも同然だ。スペンサーにもそう書いてあった。やはり宮下家へと帰――いや、あれだけかまして出てきて戻る訳にはいかん。俺にだってプライドはある。覚悟を決めて事務所の扉を開ける。銃声が響き、俺の顔の横、二十センチほどに乾いた音を立てて銃痕が刻まれた。同時に机に置きっぱなしになっていた雪風が射撃の反動で机の上から吹き飛んで床に転げ落ちる。俺の額に冷や汗が噴き出す。
「……。おいーっ!? 後少しずれてたら死んでいただろうが!?」
「チッ――外しましたか」
ヤバい、想像以上に切れていた。
「外しましたじゃねーよ!」
「今のは警告射撃です。次は当てます。分かりますか?」
「分からねーよ!」
「やれやれ、それでも探偵ですか?」
俺はコートを着てガンベルトを締める。雪風を拾い、ホルスターに収める。
「いや……すまなかったよ。反省している」
「もう――良いのですか?」
「あぁ、もう大丈夫だ」
「仕方ありません。今回だけは許しましょう」
「そのマリアナ海溝よりも深い寛大な心に感謝しかないよ」
「えぇ。私でなければとっくの昔にあなたは縁を切られていますよ」
もう一つ聞きなれた声が聞こえた。
「おぉ、誠二。なかなか遅かったではないか。で、土産はどこだ?」
リーナスが欠伸をしながら隣の部屋から出てきて、その緑の瞳で俺を見上げた。
「俺自身が土産だよ」
仕方ない。特上レアステーキクラスのウインクを飛ばす。
「死にたいのか貴様?」
リーナスの目の前の大気が熱で揺らめき始めた。不味い。これ以上事務所を破壊するわけにはいかん。
「わかった! 後でセブンイレブンに行ってピザまんを買い占めてこようぜ。大人買いってやつをみせてやろうじゃないか! なぁ!」
「ふっ……わかっておるではないか」
「私には何もないのですか?」
くっ、雪風め――
「お前が欲しがっていたアキュレイト社の最新式グラフィックチップを……」
「仕方ありませんね。それで手を打ちましょう」
さっき許すって言ったよな?
なんてこった――綾乃との決戦前に俺は経済的に破産する。
「まぁ、我は貴様が戻ってくることはわかっていたが。雪風の取り乱しっぷりと言ったらなかったぞ」
「リーナス。それ以上の発言はあなたといえど看過できません」
俺はとりあえず自分の椅子に座る。
「リーナス。俺が戻ってくると確信していたと言ったが、その根拠は?」
話題を逸らそう。また雪風が暴れ始めたらたまらん。
「……何を言っておるのだ?」
リーナスは俺を見上げたまま首を傾げてみせる。
「貴様が、今以外の生き方を選べるわけがあるまい。で、ピザまんとやらはいつ買いに行くのだ?」
……リーナス、こいつって奴は。
「まだ晩飯の時間じゃないだろリーナス。少しくらい我慢しろ」
「おやつの時間があるだろう! 我は知っておる!」
リーナスが床を転げてわがままを言い始めたところで、事務所のインターホンが鳴った。
俺は事務所の扉を開けた。するとアークが飛び込んでくる。
「誠二さん! 聞きましたよ!」
どれをだ? 心当たりがありすぎてわからん。
「結衣になんてことを言うんですか! そんな大人! 僕が修正――」
そう言って殴りかかってくる。あぁ、そのことか。いつもは明らかな難癖だから避けているが、今回ばかりは殴られよう。俺は敢えて殴られるためその場に立っていた。
「せーちゃん!」
アークのパーカーの襟が掴まれて――後ろにアークが投げ飛ばされた。
「え――――」
驚きの声を発しながらアークが俺の視界から吹き飛んで消える。そして飛び込んできた結衣が俺に抱き着いた。
「ゆきっぴからセーちゃんいなくなったって聞いて、探すように皆に頼んだんだけど、全然見つからなくて死んじゃったかと思ってぱおんだったんだからね!」
そのまま泣き始める。雪風……お前……いや、いかん。文句を言える立場ではない。
「心配かけたな、結衣。でも君は――」
「ごめんねセーちゃん。うち、全然セーちゃんの気持ち分かってなかった」
「いや、そういう問題じゃなくてだな……良いんだよ、俺の気持ちなんてどうだって――」
俺の言うことを一切聞かないで彼女はまくしたてる。
「それにね、セーちゃん。うち……良いんだ、セーちゃんの恋人にして貰えなくても。いや、そりゃなりたいよ? ただ、ただね。セーちゃんみたいになりたいなって思ってたんだ。だから、隣で勉強させてよ。どうやってセーちゃんが私みたいな人達を助けているのかを。まずスペンサーを全巻読むね? ……それで、少しでもあなたの心に、気持ちに近づけるなら」
これはもう…………完敗だ。いかん、俺が鋼鉄の心を持っていなければ抱きしめてキスするところだ。しかし、この二人を呼んだのはどうせ雪風だろう。ということは……
「誠二」
その声に結衣から視線上げる。そこには俺が一番会いたかったが、一番会いたくない、そして絶対に会わなくてはいけない少年――いや、男が立っていた。




