第二十二話 謎は全て解けた
再び目が覚めると身体のだるさも、頭痛も消えていた。
そして何より、俺を苛んでいた無力感も。
彼女を――綾乃を止める。……雪風、怒ってそうだな。
うん、絶対激怒しているに違いない。ジェーンもそうだな。
いかん、憂鬱になってきた。
いや、今こそ俺の超新星クラスのウインクで懐柔するべき時では?
その前に、綾乃に勝つにはあの予告状を解かねばならない。
そうでなければ……彼女は俺を倒すべき敵とすら認識しないだろう。
だが、未だに俺はあの予告状を解けていない。
糞ッ……実際のところ、予告状が出されてからずっと考えているが解けない。
俺がホームズでもポアロでも、何でもないのはわかっている。
わかっているが……解かないとまた、防げたはずの悲劇が起きてしまう。
そんなことを考えていると、俺のお腹の上にまたチャーリーが座っているのに気付いた。もう大丈夫だよチャーリー。心配かけちまったな。
チャーリーを脇に優しく置いてベッドから起き上がる。
……気づいてなかったが、シャツとトランクスしか着ていない。
良子さんに着替えさせられたってことか?
俺としたことが、恋人でもない女性に――いや、そんな馬鹿な事を考えている場合じゃない。
すごすごとベッドに戻る。
「おじさん起きたんですね! もう大丈夫ですか?」
ケイちゃんがやってきた。そして小声で話しかけてきた。
「おじさんのことをお母さんが看病してる時、凄い優しい顔してたんですよ。実は昔の恋人だったりするんですか?」
ったく、女の子ってのはませてやがる。
「気のせいだよ。目の錯覚だよ」
「後、おじさん……何で泣いてたんですか?」
おい。そこはデリカシーきかせろよ! バレてたか。仕方ない。
「ケイちゃん。俺はタフでハードボイルドな男で一応通っているんだ。恥ずかしいから皆には秘密にしておいてくれよ」
そう言ってとっておきのウインクを一つプレゼントする。
「しょうがないなぁ。じゃあ私達だけの秘密にしておこうね」
ケイちゃんは腕組みをして頷いてくる。何か、だんだん馴れ馴れしくなってきてないか?
「じゃあ、お母さん呼んできますね。その格好じゃ困りますよね」
俺のプライドは最早燃え尽きる寸前の線香ほどしか残っていなかったが、威厳を保って頷いてみせる。
何しろ下着しかきていない状態で威厳を保つのはかなり難しい。
やれやれ、やっと行ったか。
俺が安堵した瞬間、ケイちゃんは戸口から顔をひょいと出して俺に声を投げた。
黒髪が揺れる。
「そういえば斎藤さん。最後に一つ良いですか?」
「なんだい?」
またおませさんな質問か?
これだから年ごろの女の子ってや――「何で私の名前を知っていたんですか?」
俺は思考が、感情が硬直するのを感じた。
いや、呼んでいないはずだ。
この俺がそんな初歩的なミスをするわけがない。
必死に記憶の糸を手繰る――『俺は、大丈夫だ……ありがとう。ケイ……君は家に、さっさと……』
……。
言っていた。熱で朦朧としていたせいだ……しかし、この質問のタイミング――刑事コロンボか?
「き、気のせいじゃないか? 俺と君は初対面だ。あっ!
そうだ、あれだよ。
君が撃たれたニュースを俺は見たことがあるから、それで君のことを覚えていたんだよ」
「あっ! そうですね。言われてみればそうでした」
明らかに納得していない表情で、彼女は戸口から覗かせていた顔を引っ込めた。
勘弁してくれ。どうなっているんだここの母娘は。俺を恥ずか死させるつもりか?
「元気になられたようですね」
良子さんがプレートを持ってやってくる。かつお節に醤油をたらしたものと梅干しの入ったお粥、漬物が三種類ほど乗っている。
ケイちゃんは俺が着ていた服――黒いジーパン、ネイビーブルーのシャツが綺麗に畳まれている――を持っていた。
「食欲はありますか?」
「有難うございます。頂いても?」
彼女は笑いだした。
「斎藤さんはいつまでたっても他人行儀ですね。あなたの為に持ってきたんですよ」
「すみません。綺麗な女性を前にするとどうしても緊張しちゃう性分でね」
「お世辞でも嬉しいですよ。有難うございます」
笑いながら彼女がプレートを渡してくる。
今の俺の発言は決してお世辞ではない。というか、そもそも美醜の基準なんて個人の勝手な感性に過ぎない。なら、世界中全ての女性は美しい。
俺はそう思っている。
それに――今の時代、整形で幾らでも顔なんて弄れる。なら、全員美女で良いじゃないか。そう言うべきか悩んだが、止めておこう。
「服も勝手に洗濯させてもらいました。ごめんなさいね」
「いえ、とんでもない」
「ただ、ズボンの尻ポケットに入っていた本は濡れてて……」
本?
彼女が手渡してきたのは池波正太郎の――浩一から無理やり押し付けられた鬼平犯科帳だった。
興味が無さすぎて尻ポケットに放り込んだまま忘れていた……確かにボロボロだ。不味いな、これは確実に殺されてしまう。
いや、本気でやりあったらどっちが勝つかはわからんし、何なら不意を討てば俺が勝つ。……借りた本をボロボロにしておいてそれは流石に人としてありえんな。
うん、素直に弁償しよう。
「あぁ、良いんですよ! 俺はそもそも時代小説なんてたいして読みませんし。これが私立探偵小説――特にスペンサーシリーズとかなら気が狂っていたかもしれませんが」
「スペンサー? 私立探偵小説といえばチャンドラーだよおじさん」
ケイちゃんが何もわかっていないことを言い出す。
「ふっ、それはハードボイルド初心者の発言だなケイちゃん。
スペンサーを読めば真のハードボイルドを理解できる。
あぁ、ゴッドウルフの行方はとりあえず読まなくて良いからな。
アレはスペンサーであってスペンサーではない。
マット・スカダーも割とお勧めだ」
「本当ですか~?」
ケイちゃんは疑わし気な声をあげた。
「ケイ。斎藤さんがごはんを食べられないし、着替えられないでしょう。私達はそろそろ行くわよ」
良子さんが気をきかせてくれた。いや、俺の着替えがどうのと言われても今更な気もするが。
お粥と漬物を食べながら鬼平犯科帳を読む。
そういえば浩一と言い争ったことがあったな。
『そもそもこの時代劇って代物はな……時刻が亥の刻だの子の刻だのさぁ、直観的にわかりにくいんだよ。それがまず気に入らんし、距離も一寸だの三尺だのなんなんだ? 馬鹿にしてんのか? 毎回注釈入れろよ』
『おい誠二。それを言うなら貴様の信奉する私立探偵小説とて単位はヤード・ポンドを採用しているだろう。あちらのほうが馴染みがないが?』
『……少なくとも私立探偵小説における時刻は二十四時間表記ですー! つまり私立探偵小説の勝ちー!』
『ならその勝利感を抱えて死ね』
『論理的敗北を暴力で塗り替えようってのか? 返り討ちにしてやる!』
『知らんのか? 歴史において正しい側は常に勝者だ!』
……あの後、アビシニアンを半壊させたところでマスターに二人ともボコボコにされて外に放り出されたんだった。
夜の往来に放り出されて二人で顔を見合わせて笑ったのを思い出した。
今になって考えてもやはり時代小説の負――――
――――――――いや、待て。
まさかそういうことなのか?
俺は電源を落としていたホロリンクを立ち上げる。
雪風、浩一、リンクス、アーク、ジェーン、結衣、遥さん(うげっ)、シーリー、ルーブ、岩村、から山ほど着信履歴が来ていた。が、それどころではない。
保存しておいた予告状をみる。警察資料と照合する。少しの思考。
その瞬間、俺は全てを理解した。




