第二十一話 舞い込んだ再会
雨の音……雨の音は好きだ……何か……顔の横に柔らかい何かがある……リーナスか?
止めろ、俺の顔の横で寝るなと言っているだろう……毛が口の中に入る……お前はお前のベッドが……いや、この感触は……目を覚ました俺の目に飛び込んできたのは茶色のクマのぬいぐるみだった。
周囲を見回す。知らない部屋。どこだここは……?
勘弁してくれ、見慣れない部屋で目覚めた時、隣にいるべきは全裸の美女であってクマのぬいぐるみではな――そうだった。
チャーリー、お前か。
久しぶりだな、元気にしていたか?
思わず膝の上に乗せて優しく頭を撫でる。こいつとは短い付き合いだったが、全裸の美女よりもお前と再会するほうが圧倒的に嬉しく感じていることに気づく。
俺は男として大丈夫か? と少し悩むが…………何はともあれ部屋を見回す。
調度品が少ない。
俺の寝ているベッド。白色の衣装箪笥。
床は淡い緑色のカーペット。
壁紙は落ち着いた暗めの淡い青い模様の入った白。
窓は……小型の窓がある。今はクリーム色のカーテンがかかっていた。
まぁ、西暦二千百年の窓は調光機能があるからカーテンなんぞ完全にインテリアだが……つまり、ここは典型的な客間、か?
頭が痛い。俺は何をしていた?
確か、綾乃と戦って、こてんぱんに負けて――そうだった、俺は戦う理由も、探偵を続ける理由も無くしたんだった。なんなら生きる理由さえも。
その後はどうしたんだったか……土砂降りの中、傘を差さないで楽しく散歩していた気がする。そして俺を守ろうとしてくれた小さな背中――――――記憶を辿っていると部屋の扉が開き、エルフの少女が顔を見せた。
「あーっ! チャーリーったらまたおじさんのところにいる!」
「……こんにちは。俺は斎藤誠二。君は?」
知っている。彼女は宮下ケイだ。
「私は宮下ケイって言います。助けてくれてありがとうございました」
行儀よくお辞儀をする彼女。腰まである黒髪が少し跳ねる。
吸い込まれそうな黒い瞳も健在だ。
青いワンピースを着ていてよく似合っている。
「いや……助けられたのは俺の方だ」
俺の発言の意味がわからないのだろう。彼女は不思議そうな顔をした。
「えっと、チャーリーが突然あなたのところに走って行って、私、全然気がついてなかったんです。
あっ、気がついてなかったというのは、あなたが悪い人たちに襲われていたのに気づかなかったってことなんですけど、助けに入るのが遅くなっちゃってごめんなさい」
一生懸命に謝ってくる。違う。君は、何も悪くない。
「……。いつもあんなことをしているのかい?」
「いつもは警察にすぐ連絡するんですけど、チャーリーがいきなり行っちゃうもんだから……しかも、おじさんから離れないんですよ!」
彼女は頬を膨らませた。チャーリー、お前……やっぱり俺のことを覚えていてくれたのか……
「で、おじさん、凄い熱だったからお母さんを呼んで連れて帰って看病させてもらったんです」
……こんな得体のしれない――イケメンとはいえ――行き倒れの男を家に連れ帰って看病だと?
「それはありがたいが……止めたほうが良い。俺が恩知らずの殺人鬼の可能性だってある」
「でも、お母さんがこの人は大丈夫だからって……普段は病院に連絡したりして、ここまでしませんよ」
……普段は病院に連絡、か。警察にすぐ連絡するんですけど、か。
「お父さんは?」
「出張してて今は家にいません」
それを聞いてはなおさらここにいるわけにはいかん。俺は出て行く決意を固めた。
その時、ケイが入ってきた扉を通って、黒い瞳に黒髪をショートカットにした、少したれ目気味の美しいエルフの女性が入ってきた。
清潔感のある白い長袖のシャツに青いジーンズを履いている。首にロケット型のペンダント。家族写真でも入れているのだろう。
「宮下良子と申します。娘を助けていただいたそうで……大丈夫ですか?」
俺と目が合うと美しい笑顔を浮かべる。
違う……違うんだ、止めてくれ。
俺は助けてなんか……助けてもらったのは……葛藤している俺のことなんて気にせず、俺の額に手を当ててくる。
ひんやりとした彼女の手のひらが心地良い。そして俺の横に静かに座った。
…………いつも思うが、女性のパーソナルスペースはどうなっている?
結衣といい、良子さんといい、近いぞ……俺からしてみればこれは恋人の距離だ。
いや。ジェーンは遠いな。
個人的にはあれくらいの距離をとってくれたほうが落ち着く。最後に会ったときはジェーンも近かったが……まぁ良い。
「やっぱりまだ熱がありますね。熱が四十二度くらいまで上がって、すごく心配したんですよ」
「俺は斎藤誠二と言います。すみません、ご迷惑をおかけして。すぐに出ていきますから……」
俺はベッドから身を起こす……視界が揺れる。大丈夫だ。この程度、なんてことはない……が、チャーリーが俺の胸にしっかりと抱きついている。
「チャーリー!」
ケイちゃんが、少しヤキモチを焼いているのだろう。ヤキモチ半分、笑い半分の声を出した。
「斎藤さん、駄目ですよ。まだ寝ていないと」
心配そうな声を良子さんがかけてくれる。
「いえ……迷惑でしょうから……」
「娘を助けてくださったんでしょう?」
「いいえ。そんなことは……」
頼む。もう止めてくれ。違う、違うんだ――そう叫びたかった。
「謙遜しないでください。バッチリ、チャーリーがあなたの活劇を撮ってましたから」
チャーリーめ。今度は俺を撮影してやがったのか。
僅かな沈黙。
俺はお門違いの感謝にいたたまれなくなってきていた。
良子さんがまた話を切り出した。
「この娘……ある事件に巻き込まれて死にかけたんですけど、匿名の方の寄付のおかげで助かったんです」
そう言いながら俺をじっと見つめてくる。
俺は……どんな顔をしてこの話を聞けば良いんだ?
「そうですか。この街にまだ、そんな美談があるなんて信じがたいですね」
とりあえずいつものジョークをかましておく。
「結構ニュースになったんですよ? 謎の大富豪を探せ! って」
少しおかしそうな笑みを浮かべながら彼女はそう言った。
しまったな、知らないふりは不自然だったか。
「で、それ以来……この娘ったら、困ってる人を見かけたらとにかく助けようとして……」
「お母さん! 私は新西京一ハードボイルドな私立探偵になるんだから! それで困ってる人を助けるんだ! ねーチャーリー」
俺の膝の上に落ち着いたチャーリーは器用に頷いた。
ちょっと待ってくれ、その恥ずかしいフレーズ……新西京一ハードボイルドな私立探偵ってのはなんだ。
ケイちゃん、悪いことは言わないからそれは止めた方がいい。
「えっと、お恥ずかしながら私も麻薬中毒になっていた頃がありまして……それを助けてくれた人がこんなメッセージを。
きっと、娘を助けた人だと思うんです……だから、謎の大富豪なんかじゃなくて、どこかの、普通の――私立探偵の人が私達母娘を、助けてくれたんです」
そう言って彼女は首に下げたペンダントからホロタグを取り出し、ホロメッセージを展開した。
おい――まさか、まさか取っておいたのか!?
……これは何の拷問だ。
俺はその時、どんな表情をしていたのか自分でも分からない――あえて言うならば、学生時代の黒歴史ノートを目の前で朗読されている気分とでもいえば良いのか?
退院おめでとう。
路地裏での刺激的なデートのお礼に、これをあなたに返させてもらう。
本当は娘さんに直接返そうかと思った。
だが、あなたの名前と、路地裏でのあなたの発言、そしてチャーリーに残されていた宮下ケイちゃんのぽつりと漏らした言葉をヒントに、少々調査をさせてもらった。
あなたは宮下ケイちゃんの母親だ。
だから、あなたからこれを彼女に返しておいて欲しい。
きっと大丈夫だ。
人生、取り返しのつかない事なんて……まぁ、あるにはあるが、あんまりない。
あなたの今後の素晴らしき人生と幸せを祈って。
新西京一ハードボイルドな私立探偵より。
断言しよう。
これを書いたやつは――まぎれもなく俺だが――頭がおかしいに違いない。
一回、いや、三回くらい死んだ方が良い。
しかし、彼女は、このバカ丸出しのメッセージをずっと大切にとっておいてくれた。そして、あれ以来、困っている人がいたら……できる範囲で助けているのだろう……俺をじっと見つめていた良子さんは立ち上がった。
「とりあえず、斎藤さんは完全に熱が下がるまで一歩も家から出しませんからね。ケイ、斎藤さんを寝させてあげなさい」
そう言ってウインクをして部屋から出ていった。
「は~い。いくよ、チャーリー」
チャーリーは俺の膝の上から飛び降りると、俺に手を振ってケイの後を追っていった。
家から一歩も出さないだと?
|ミザリーかなんかか《監禁もののホラー小説・映画》?
まったく、俺は売れっ子小説家じゃないんだぞ。そんなことを思いながら扉を見つめた。
部屋の扉が閉まり、静寂が部屋に満ちる。
俺は……気づいた。
ずっと降り続いていた雨の音が、いつの間にか止んでいることに。
俺の頬が濡れていることに。
どうやら俺は泣いていたらしい。
両親が理不尽に殺されたときに涙はすべて流し尽くしたと思っていたが、そんなことはなかったようだ。
……意味は、あった。
あったんだ。俺の助けた人が、また別の誰かを助けようとしてくれている。
俺は別に、意味を求めてやっていたわけじゃない。
あくまでも俺がやっていたのは自己満足に過ぎなかった。
いや、今でもそれで良いと、良かったと確信している。
それでも、それでもだ……綾乃の少数の犠牲で多数を救う理屈には、完全な敗北を認めるしかなかった。彼女と俺のやっていることは本質的に同じことだ。犠牲を出してでも救う。
でも、救ってる数だけ見るなら俺のやっていることは――完全に、無意味な行為だった。
だけど、ケイが、良子が、証明してくれた。
目の前の誰かを救うために命を賭けて戦い続けた日々は……決して無意味じゃ無かった。
俺は、俺は彼女を救ったんじゃない。
あの時救われたのは……俺の心の方だった。
俺は泣き続け、気づいたら眠っていた。




