第十八話 一線
午後六時
新西京三区 大黒天通り 斎藤誠二探偵事務所
<メッセージが一件届いています>
差出人――綾乃
[誠二、今夜八時にビーナスホテルで会いましょう?]
綾乃からだ。
俺は返事をしないまま、すっかり寂しくなった事務所のソファに座って考え続けていた。
黒田からのホロリンクの着信が俺の思索を断ち切る。
「どうだった?」
「ナノマシンが検出されたわい。盗聴目的じゃな。タンパク質で構成されておるからな……数日で体外に排出されるから健康に影響はない。しかし、ストリートに出回ってるようなものじゃないぞコレは」
外れて欲しかったが……やはりか。結衣を遠ざけたのは正解だったな。俺個人が標的とは思えんが、リスクは排除するのが俺のやり方だ。……善意のふりをしたストリートでの情報収集。やれやれ。
「探知距離は?」
「あぁ、盗聴して記録した内容を回収するには、対象のごく近くにいかねばならんじゃろう」
「そうか」
「お前、これの出所を知っとるのか? ただのアンダーには扱えん代物だぞこれは。首輪付きか余程の金持ちか……手を引け誠二。どう考えてもやばい」
「おいおい、勘弁してくれよ爺さん。俺のケツまで狙い始めたのか?」
「ワシは真面目じゃぞ」
「俺だって真面目さ」
「はぁ……死ぬんじゃないぞ」
「俺は殺しても死なない男って知ってるだろ?」
「体は、技術はそうかもしれん。しかし心は誰よりも……いや、言うだけ無駄じゃな。気をつけてな」
「あぁ」
俺は立ち上がると装備を確認する。
大ぶりのナイフを四本。二本は銀コーティング。二本は通常のものだ。
両足のふくらはぎと腰の左右にそれぞれ鞘を装着。
ガンベルトの右ホルスターには雪風を。今回は貫通力ではなく、衝撃力重視のホローポイント弾を装填。
予備マガジンは四つ。いつもの貫通力重視の徹甲弾を二つ。ホロ―ポイントを二つ。
左のふとももには切り詰めて短銃身化したヴェスパー20ショットガン、銀の弾丸を装填。
念のためにペッパーパンチグレネードと小型の香水の噴霧器を懐に放り込む。
俺は綾乃のメッセージに返事を送る。
(すまない。犯人がわかりそうなんだ。だから、今日はいけない。全部終わったら、君のところへ行くよ。愛している。綾乃。)
「行くぞ、雪風」
「行きましょう、誠二」
俺達は事務所の扉を開けて陽の落ちた街へと踏み出した。
午後七時
新西京七区 スラム 森診療所前
俺と雪風は七区の外れにある、診療所の前に立っていた。
木造の平屋。屋根もたいらだ。駐車場にはぼろいバンが止まっている。
俺は口笛を吹く。
ここら辺の治安の良さを考えると、このバンが盗まれてないのは奇跡に近い。
もしくは……まぁいい。
診察所の周囲を回って観察する。
裏口が二つほどある。
どうせ今の俺は一人だ。
逃げ出されたら死ぬ気で走るしかないな。
いや……腰の銃に手を触れた。
「誠二、どうしました?」
「あぁ……いつもありがとう」
「リーナスの好きな死亡フラグですね」
俺は思わず含み笑いをする。
建物内は明かりがついている。
どうやら人はいるようだ。
……罠かもしれんな。
だが、だから何だってんだ?
現時点で俺にわからないことは山積みだ。
それを知る一番効率のいい方法はなんだ?
犯人に語らせることだ。
これこそがフィリップ・マーロウ直伝。
マーロウは犯人に気絶させられて誘拐される。誘拐先で気が付く。犯人達が事件の真相をぺらぺら話しているのを盗み聞く。事件の真相を知る。そしてうまいこと逃げ出す。なんと効率的な手法だ。俺がやるのは、その逆転パターンってわけだ。
「雪風?」
「この診療所――電子防御、通常の家屋の比ではありません。警報装置もそこら中に仕掛けられています。どうしますか? 気づかれないでハッキングするのであれば、かなりの時間が必要となるでしょう」
「正面の危険な奴だけ解除してくれ。気づかれても構わん」
「わかりました。玄関の高電圧トラップを解除します」
俺は正面玄関の両開きガラス戸を開けて堂々と診療所に入っていく。
広い病院の待合室のようだ。
電気が自動的に点灯する。
床は――珍しい、木造か。俺が一歩踏み出すと木の軋む音が鼓膜を擦る。
壁はリノリウム、清潔なグレーに塗られている。
よくある受付用のカウンターは無い。
ただ、乱雑に椅子が並べられているだけだ。
俺の視線の奥には大きめの引き戸。
その引き戸の右手にはどうやら廊下が続いているようだ。ここからでは見えないが。
病院特有の消毒薬の臭いが鼻につく。それに加えて、本来ならありえない臭い。獣の臭いが、その中には混ざっていた。
そして――人狼の姿をした門番が部屋の中央に立って俺を待っていた。
距離は――十メートル。奴の服装は濃緑のジャケットに青いジーパン。
身長は、百七十センチくらいか。
目の前の人狼は無言。
ただ、人間ならにやにやとした笑いを浮かべている――俺はそんな気がしていた。
「どうした? 番犬なら外で鎖に繋がれているはずだろう? 愛玩犬の類か? それともここは――動物病院だったのか?」
わざとらしく診察所内を見渡す。
にやにや笑いが奴の顔から消える。
「愛玩犬にしては愛嬌が足りないんじゃないか? あぁ、そうか、散歩して貰えてなくて不機嫌なのかな? ほら、一緒に散歩でもするか?」
俺は腰を軽く落として手を何度も叩く。
「ほら、わんちゃんこっちだよ~。それともお腹が空いているのか? すまん、ドッグフードの持ち合わせが今はなくてな」
瞬間、人狼が俺に突撃してきた。その顔は怒りと殺意に染まっている。
人狼の速度ならどうとでもなると思っているのだろう。
右ストレート――俺は右斜め前に進みながら背中を向け奴の右手を掴み、腰をかがめながらお辞儀をする。
奴は自分の勢いのまま吹っ飛び、玄関のガラス戸を粉砕しながら外へ飛び出していった。
「なんだよ。散歩したかったんじゃないか。素直にそう言えよ。照れてるのか?」
あれだけの勢いで投げ飛ばされた相手。本来ならちょっと追いかけて立ち上がるまでの間に銃弾を撃ち込めばゲームセットだ。しかし俺はその場に突っ立ったまま、言葉だけを撃ち込む。奴が戻ってくるのを待つ。
「ただ、扉を壊しちゃうのは感心できないな。もう少しちゃんとしたしつけが必要だ。それとも低能すぎてしつけられても忘れちゃうのか?」
投げ飛ばされた人狼が扉を潜ってこちらに戻ってくる。
俺はゆっくりと移動、視界の端に診療所の奥の扉が映る位置に移動。
問題は俺のすぐ後ろに壁を背負ってしまった事だが――まぁ問題あるまい。
先ほどの舐めた突撃を反省したのだろう。
ボクシングのように両手を挙げて構えを取った。
「おっと? ボクシングの真似事か? びっくりわんちゃんショーにでも出てみるか? ボクシングのできちゃう愛玩犬! ってな」
無言で人狼は俺に近寄る。一メートル五十センチほどの距離でジャブを小刻みに打ち込んでくる。
俺も両手を挙げて構えを取る。
リンクスを苦しめたのはこれか。
だが、単調過ぎる。
奴のジャブを何発か肩で受け、左のジャブを右の掌で軽く弾く。
そのまま奴が手を戻――俺は左足を左側に、奴の真正面へと踏み出す。
俺の左足が地面についた反動で軽く右足が浮く――人狼がにやりと笑い右手を――俺は右足を一歩前に進ませる代わりに、超近接距離での上段前蹴りを放った。
人狼の右手が俺に叩きつけられる前に、顎が蹴り上げられる。
上顎と下顎がキスする硬い響きと共に、人狼がのけ反った。
奴が二歩、たたらを踏む。
俺は一歩進み両腰に差した普通のナイフを抜き、しゃがむ。
奴が天井から正面に頭を戻す。視界から消えた俺を探して奴は頭を左右に振り、下を向――俺の右手のナイフは奴の左足の甲に突き刺さり、木の床にまで貫通した。間髪入れず左手の短剣も右足の甲を縫い留める。
人狼が苦痛の呻き声を上げ、右手を俺の頭に振り下ろ――俺は掌底で奴の金的を叩き潰した。
奴の動きが止まる。
俺は即座にコートを翻しながら後ろに転がり、立ち上がる。
既に腰から雪風は解き放たれていた。
乾いた銃声が連続。
それぞれ七発、計十四発の銃弾が奴の両膝を粉砕した。
膝を砕かれた人狼は悲鳴を上げて仰向けに倒れる。
悲鳴を聞いた俺は、確信に至る。
糞ったれが!!
「最初のレクチャーだ。何故蹴りが見えなかったのか? 自慢の鼻面が死角になった。獣の力に目がくらんで足元がお留守になっているぞ」
すばやくリロード。
俺は空になったマガジンを床に乱暴に投げ捨てる。
「次のレクチャーだ。銀のナイフを使わなかった理由がわかるか? お前の再生能力が逆にナイフをしっかりと固定して床に縫い留める。自分の力を過信するからこうなる」
上半身を持ち上げて自分を固定しているナイフに手を伸ばした人狼の顔に――左目を狙って――俺は右の回し蹴りを叩き込む。肉を打つ鈍い音がマガジンの木の床にぶつかった硬質な音の後を追い、待ち合わせ室内に響く。
「確か、アンダーになりたいんだったよな? これがアンダーの戦いだ。俺は警告したはずだ。手を引け、と」
蹴り飛ばされた顔を反射的に戻してくるが――俺はそのまま回転を続けコートを翻して一回転、左の後ろ回し蹴りを、再び先ほどと同じ場所に叩き込んだ。
人狼は俺に蹴られた顔を戻しながら、今度は反射的に顔の左側を手で守ろうとする。
そう来ることを読んでいた俺は左の回し蹴りを奴の反対の側に――右目を狙って――ぶち込む。
靴が食い込み、人狼の顔を俺から見て右に振り子のように吹き飛ばした。
「いや、すまんな。アンダー同士の戦いならお前はとっくに死んでいる。本物のアンダーが相手なら、俺もこんなふうに馬鹿な犬にしつけをする余裕はない。お前は、アンダーじゃない」
俺が回し蹴りをぶちこむたびに赤いコートがひらひらと、闘牛士のマントのように宙を舞う。
人狼が悲鳴と苦痛の声を上げる。俺は、その声を絶対に聴きたくは無かった。
だが、耳を塞ぐわけにはいかない。
「どんな気分だ? 昆虫標本になる気分は? 本当の暴力にさらされる気分は? お前はそれを――知っていたはずだろうが!」
両目が見えてない状態の人狼の顎を再度前蹴りで蹴り上げる。
「楽しかったか? リンクスを、アークを、殺そうとし、罪もない人間を殺したのは? 俺は今、お前を嬲り殺しにしているが、何も楽しくはない」
半分ほど再生されてきている両ひざに再度銃弾を叩き込んで両膝を砕く。
リロード。マガジンを再度投げ捨てる。
膝が再生すれば、縫い留めているナイフを無理やり脚力だけで抜かれかねん。
そして――明確に再生速度が落ちてきている。
「最後のレクチャーだ。きっとお前はこう考えているだろう。俺には再生能力がある。だから死なない。どこかで逆転のチャンスを掴めばそれで勝てる、と。だが、良い知らせと悪い知らせがある。良い知らせは、お前の身体に蓄えられているカロリーと魔力が尽きた時、再生ができなくなってお前は死ぬ」
再度上半身を起こそうとした人狼の喉に横蹴りをぶち込んで地面に叩きつけ直す。
苦痛と憎しみにまみれていた人狼の目に、初めて死への恐怖が浮かぶ。
「悪い知らせは――俺は銀製の武器を持っている。使っていない理由? 確か俺に鍛えて欲しかったんだよな。だからお前を処理する前に最後の教育ってやつをしてやろうと思ったからだ。そして、俺自身への戒めでもある」
そう言い放ち左のふともものホルスターからヴェスパー20を抜いて顔面に突きつける。
「何故――俺の忠告を聞かなかった。マガミ」
人狼はもはや上半身を起こすことをあきらめ、大の字に倒れたままだ。
その口から漏れたのは――隠しようもないマガミの声だ。
「何で俺だと――」
「三区で俺にわざと目撃をされておいて、アリバイにもならないアリバイを作り――六区で薬をばらまいてバイオテロを起こす。その際にリンクスに脇腹を斬られた。だからお前は――今朝のホロ通話で、いつもの馬鹿丁寧なお辞儀が出来なかった。痛みで顔を歪めたら、俺やリンクスに察知されるのを恐れた。そうだろう?」
おっと、再生のための時間稼ぎかもしれないな?
ヴェスパー20の銀の弾丸をマガミの腹に一発ぶち込む。
再生の出来ない傷が奴の腹に開く。
マガミの悲鳴が診療所に響いた。
「せめて六区でドラッグをばら撒く時くらい、服を着替えておけよ。俺を舐めてるのか? そして俺はわざと大声で今夜ここに殴り込みをかけることを教えてやった。こんな陳腐な推理、外れていればどんなによかったかと俺は思っていたが……残念ながら正解だったようだな」
荒い息をつきながら、マガミは以前の、俺の知っている真っ直ぐな瞳を向けてきた。懺悔室で神父に告解するかのような、切実な命乞いが彼の口から滑り落ちる。
「た、助けてくれ! 誠二さん。悪かったと思ってる、俺、俺はただ――」
「相手を間違えているな。許しを乞うべき相手は――お前が踏みにじった人達に対してだ。お前のせいで一体何人死んだと思っている?」
俺は命乞いを無視して引き金をゆっくりとしぼる。奴が死ぬ前の数秒をゆっくり堪能できるように。
「お前は超えてはいけない一線を越えた」
診療所の扉が視界の端で開くのが目に映る。
そこから出てきたのは一人の女。
「誠二――あまり彼をいじめないで」
今、この場所で絶対に聞くはずの無い声が俺の鼓膜を殴る。
思考が、心が、瞬時に凍り付く。だが、俺の指はすべきことを冷徹に遂行する。
俺はアンダーだ。
放たれた銃声が、彼女の声の余韻をかき消した。




