第十七話 道化の騎士
十二月十四日 午前零時二十分
新西京三区 弁天通り クラブ『ババ・ヤガ一号店』(斎藤誠二)
雪風と浩一の報告が届く。とりあえず命に別状はないらしい。
仕事は仕事だ――ジェーンにメッセージを飛ばす。
相変わらずイワンは無言で酒をちびりちびり舐めている。
俺は知らず知らずのうちに人差し指でカウンターをリズミカルに叩いていた。
イワンが立ち上がる。
俺は黙ったまま動かない。
イワンはゆっくりと店の出口に向かい、そのまま三区の喧噪の中に消えていった。
俺も無言で店を後にする。
扉を開けた俺を夜気が包む。
その冷気は、俺の今の心に比べれば、真夏の太陽だった。
十二月十四日 午前零時三十分
新西京三区 大黒天通り 斎藤誠二探偵事務所
真っ暗な事務所の扉を開ける。自動的に照明が点灯する。ソファーに腰掛ける。
……結局、イワンは犯人じゃなかったのか?
俺は何をしていたんだ。楽しく哲学談義か?
「誠二……」
腰から響く声。
「何だ」
「いえ……なんでも、ありません」
まぁいい。言いたいことがあるなら遠慮なく言うだろう。
そんなことよりも、あいつらの戦いを無駄にするわけにはいかない。
「雪風」
「はい」
「ありがとう、お前のおかげだ」
「……。当然のことをしたまでです」
「麻薬過剰摂取暴走者が同時に暴走したんだよな」
「そうです」
「ありえるのか?」
「技術的には可能です。高度な医療知識、ナノテクノロジー、どちらかがあれば十分に可能でしょう」
「偶然起こることは?」
「無いでしょう。そもそも暴走するレベルの麻薬常習者は見ればわかります。入店拒否されるでしょう」
何パターンか仮説を立てる。
一番可能性が高いのは――
「つまり、中できっかけとなる特別製の薬物をばらまいた奴がいるってことか」
「それが一番ありそうな仮説でしょう」
「ヴォリィがそれを店内で売りさばく可能性は?」
「それに答える必要がありますか?」
「いや、無い。被害者の数は?」
「把握していません」
「そうか」
「知る必要がありますか?」
天才探偵誠二。犯行予告があったにもかかわらず三店舗までしか絞り込めず、バイオテロを見逃し、そして――
――――――――潮時か?
綾乃の顔を思い出す。
どれほどの時間が経ったのだろう。
扉が勢いよく開き、冷気が吹き込んできて俺の心を温める。
「せーちゃん!」
「アークたちはどうだった?」
俺の隣に――いつも通り近い――腰掛けた結衣が荒い息をつく。
「命に別状はないって。でも二人とも、ううん、リーナスちゃんもまだ意識が戻らないみたいでー」
「そうか、死んでいないなら良かった」
自分の手を見つめる。今回の事件でつくづく痛感した。
「結衣、君に言うことがある」
「どしたんせーちゃん。あらたまって?」
俺は答えず、立ち上がり取っておいた自分用の秘蔵のチョコレートを持ってきて結衣に渡す。
「食べていい」
「えっ、これ、ゴディヴァじゃん! せーちゃん好きぴ~」
改めて彼女から距離を離してソファーに座るが、彼女はしっかり距離をつめてくる。
そして嬉しそうにチョコレートを頬張る結衣。
俺には彼女の真正面に座った状態で、これからすることをやれる自信がなかった。
「誠二!」
雪風が強い口調で俺の名前を呼ぶ。俺は雪風の外部音声機能をオフにした。
「結衣。もうここには来るな」
「えっ」
彼女の瞳が揺れる。俺は机に視線を落とした。
「何度も言っているが。俺は、個人的には君の事は好きだ。しかし、恋愛的な意味ではない」
「それは、でも、まだうちの魅力に」
いつものやり取りと空気が何か違うことを察知したのだろう。
彼女の体が硬くなるのを感じる。
よく気の付く――本当に良い子だ。
「君が俺を好いてくれているのは、俺がたまたま命がけで君を助けたからだ」
「そんなこと!」
「俺が君を助けたのは仕事にすぎないんだ。俺じゃない誰かが、君を助けていたらその誰かを――まぁ俺よりイケメンな奴は滅多にいないだろうが――好きになっていたんじゃないか?」
「それは……」
彼女が俯く。
「君の想いは嬉しい。だけど、俺が女性を命がけで助けるたびに好意を寄せられるのは……正直、迷惑なんだ。彼女達が好きになったのは、俺じゃないんだ。たまたま現れた白馬の騎士に憧れているだけなんだよ。俺は――誰か一人の白馬の騎士には、なれない」
この仕事をしている限りは。いや、この生き方をしている以上は。
「じゃあ、私が今、また……大変なことになっても、仕事じゃなかったらせーちゃん
は……私を助けてくれないの?」
結衣の震える声。
「いや。助ける。無報酬だろうがなんだろうが、命をかけてな」
彼女に嘘はつけない。
「だから……だからだよ! 私がせーちゃんを好――」
彼女の声がぱっと明るくなる、が。
「助けに行くのは、君だけというわけじゃあない」
「そんなこと私にだってわかって……それでも私は……」
結衣は言葉を切った。
駄目か。切り札を切るしかない。
「そして……俺は、他に愛している女性ができたんだ」
結衣はその言葉に返事をしなかった。
「だから、もう、君はここに来ないほうがいい」
「何で――私が、せーちゃんに助けられる形で出会っていたから? そうなの? そうじゃなかったら違ったの?」
その声に、涙が滲んでいるのは明らかだった。
「結衣。俺達の住む世界はそうじゃなければ、交わることは無いんだ」
結衣が立ち上がる。
「せーちゃんの、馬鹿……」
そのまま事務所から出て行く。
彼女が出て行ったのを確認した俺は、雪風の外部音声機能をオンに戻す。
「誠二」
「何か言いたいことがあるのか?」
「あなたは、大馬鹿です」
「奇跡だな。俺達の意見が百パーセント一致するなんてことがあるなんてな」
十二月十四日
午前九時 新西京三区 大黒天通り 斎藤誠二探偵事務所
俺はトーストに紅茶、適当に作ったサラダにゆで卵を食べつつ、番田から送られてきた捜査調書を読み込んでいた。
事件当夜、ババ・ヤガに見慣れない薬の売人がいたらしい。
試供品を渡された奴がそれを飲むと疑似的な暴走状態になった、と。
ふむ。麻薬過剰摂取暴走者を殺さずに行動不能にした、どこぞの小汚いガキのお手柄と注釈が添えられている。
で、売人の特徴は――濃緑のジャケットに青いジーパンの若い男のヒューマン。
成程。
三区から六区までは……一時間もあれば行ける距離だな。
そしてワーウルフ。
俺は通話をかける。
「リンクス、生きているか?」
「誠二、俺……」
「よくやったな。お前はもう一人前のアンダーだ。お前達がいなければ、とてつもない被害が出ていただろう」
「でも、勝てなか――」
「いいか。一番大切なことは、生き残ることだ。そして被害を防ぐのが二番目に大切なことだった。奴を倒すのは優先順位としては三番目だった。誰も死ななかった。被害も減らした。お前の、お前達の勝利だ。誇って良い」
ホロリンク越しから聞こえてくる声がちょっと弾むが、上手に隠された。
「いや、雪風やリーナス師匠、それにアークがいなかったら死んでた」
「それでもだ。そういえばお前、森って医者に俺のことを話したりしたか? どんな人なんだ」
リンクスがいぶかしげな声を出す。
「黒髪黒目の綺麗なおばあさんだよ。あんたの話は……どうだったかな。おぼえてない。でも他の奴らが話しているかはわからない。なんでだ……ですか?」
「あぁ、お前達が世話になってるらしいからな。今夜あたり挨拶に行こうかと思ってるんだ」
「別に気にしなくて良いんじゃないか……ですか」
「大人の世界ではな、こういうことはきちっとしておくべきなんだよ。そういえば、レルちゃんは?」
「あぁ、全員見舞いに来てくれて、マガミが見舞いにお菓子を――」
こいつ、敢えて全員って言いやがった。俺の耳は誤魔化せんぞ! さては照れてるな?
「レルちゃんが?」
「おい、何だよ誠二……さん。その笑顔、むかつくな。俺は今、マガミの話を……」
「この爽やかな笑顔の何がむかつくって?」
俺は右の唇の端を上に吊り上げ、左の唇の端を左下に落とす。
そのうえで右の眉毛を眉間によせ、左の眉毛を上に持ち上げる。
名探偵 御手洗潔直伝の煽り顔だ。
「切るぞ」
「まぁ待て。三人にも挨拶させろよ」
相変わらずネオンカラーのタンクトップに、ボロボロのデニムショートパンツのレルが現れる。
機会があれば、今度リンクスに小遣いをやって服を一緒に買いに行かせてやろう。そうしよう。俺は勝手に決めた。
「誠二さん! リンクスお兄ちゃんが……」
「レル、リンクスはな、一人前のアンダーだ。あいつは並みの人間なら百回は死んでる状況を――乗り越えた」
「凄い!」
「あぁ、看病してやってくれ。ぴったりくっついて離すなよ」
「うん!」
元気よく頷く。ストリートチルドレンにしてはすれてない良い子じゃないか。
鬼の少年が現れる。今日も袖のちぎれた厚手のスウェット、ダメージジーンズを履いている、
……毎度毎度みてるこちらが寒くなるが、まぁ本人は気にしてなさそうだから良いのだろう。
「ジル、お見舞い、有難うな」
俺の礼を聞いたジルは黙って頷く。まぁジルらしい。
最後に現れたのはいつも馬鹿丁寧なマガミだ。
今日は薄汚れた黄色のパーカーに白い――汚れすぎて灰色に見えるが――ズボンを履いている。
「マガミ」
「誠二さん――リンクスが」
「これでわかっただろう。こんな世界に、いるべきじゃあないんだ」
俺は敢えて厳しい声を出した。ただし、マガミがお漏らしをしないギリギリには抑えておいたが。
「しかし……」
「議論は無しだ。リンクスのこと、頼んだぞ。理解したなら、もう馬鹿な事を考えるのは止めるんだ」
「はい」
そう言ってマガミは軽く頭を下げた。
「本当にわかっているんだろうな?」
「もちろんです」
「もう良いのか……ですか?」
リンクスが戻ってきた。
「黒田に代わってくれないか」
「あぁ――わかった」
ホロリンクから黒田の声が聞こえた。
「何だ誠二」
「どのくらいで皆なおる?」
「一週間は全員安静じゃな。アークとリーナスが思ったよりも重傷だの」
「リーナスが?」
「あぁ、だいぶ喉に負担のかかる魔術を使ったらしい。まだ寝ておるよ」
「アークは?」
「だいぶむちゃしたようじゃな。意識はまだ戻っとらんが、そのうち目を覚ますじゃろう」
「そうか……ところで、リンクスの詳細な血液検査を頼みたい。特にナノマシンだ」
「いいのか? 結構かかるぞ?」
「治療費と検査費はこっちに回しておいてくれ」
「あいよ。で、見舞いに来た可愛い子はお前のアレか? 今でもなかなかだが、あと二年もすればもっと色気がついて……ん? そういえばジェーンさんはどうしたんだ? お前、彼女といい感――」
「色ボケ爺。死にたくなければリンクスに代われ」
「まったく、お堅いやつじゃの。これが若さの秘訣じゃぞ? お前、そんなに老けたいのか?」
ぶつくさ言いながら黒田がリンクスに変わった。
「もういいのか?」
「あぁ、治療費は心配するな。ゆっくりしていろ」
「あんた……誠二、さんはどうするんだ?」
「俺か? いつも通りさ」
「そうか、じゃあまたな」
「……」
俺はそれに答えず、ホロリンクを切った。
丁度それを待っていたかのように事務所の扉が開き、冷気が吹き込んでくる。
やれやれ、千客万来大繁盛だな。
ジェーンが、俺の正面に座った。
「誠二! あなた、メッセージの件だけど!」
噂をすれば何とやら、か。
「どうしたジェーン。トイレが漏れそうなのか? トイレはあっちだ」
親指で外を――事務所のトイレではなく、公園の公衆トイレがある方向を指さす。
「違うわよ! 事件から手を引くってどういうこと?」
「あぁ……この事件はどうやら、俺の手には負えないらしい」
ジェーンは何も言わずに俺を見つめてくる。
「嘘ね」
「インディアンは嘘をつかない」
「あなたはインディアンじゃないでしょ。あなたが――途中で、あんな事が目の前で起きたってのに――手を引く? 冗談は止めてよね」
それに答えず俺は紅茶を一口飲んだ。
「……」
「結衣ちゃんのこと、聞いたわよ」
止めてくれ。俺は更に紅茶を飲む。
「どうして?」
ジェーンにしては珍しく、その声は躊躇いがちだった。
「どうしてだと? お前に、何か関係があるのか?」
「何かあるなら、私に話しなさいよ」
「もう一度同じ言葉を聞きたいのか?」
ジェーンの顔が一瞬強張る。
「……。なんでなの? あなたの心の師匠のスペンサーは……」
「|彼女はスーザンじゃないよ。彼女はただ、たまたま俺に助けられたから――俺に憧れただけの……可愛いどこにでもいる女の子にすぎない」
「じゃあ結局、あなたのスーザンはどこにいるの?」
綾乃の顔を思い浮かべるが、俺は答えなかった。しばらくの沈黙。
「そろそろ潮時かもしれん」
俺の発したその言葉は、しかし、事務所の沈黙を破らなかった。
ジェーンと俺の視線が絡み合う。
しばしの沈黙のあと、ジェーンがぽつりと漏らした。
「……今回の事件は、そこまであなたを追い詰めているの?」
「追い詰める? 何の話だ? 手に負えないだけの話だ。俺が無能なせいで大勢被害が出た。もっと他の綺麗な仕事――結婚詐欺師とか政治家とか――をした方が良いかもしれんと思っただけだ」
「被害がでるたびに、あなたがを責任を感じる必要なんてないのよ――ましてや責任を負う必要も」
ジェーンは俺の隣に座ると――俺の手に彼女の手を重ねてきた。
「警察の仕事は――全て後手だった」
俺は思ってもいなかったことを、気づけば口にしていた。
「強姦されて、精神的に殺された女の子達。しかし数年でレイプ犯は出所して同じことを繰り返す。親に虐待されても法律上の糞みたいな理由で、地獄に送り返される子供達。ドラッグで壊れた家庭。ドラッグ一回分のために殺される人。人狩りにあうストリートチルドレン。人間の醜さをつきつけられる永遠とも思える毎日。こんな日々に耐えられる人間がいるのか?
まともな感性の持ち主こそが警官になるべきだ。でも、まともな感性の人間には耐えられない。結局、警察の仕事は法律を守ることが第一だ。人の心を守るのは、おまけにすぎない」
俺は――かつての同僚だった男、サルの顔を思い出す。
「腐るか、無感覚になって上手く折り合いをつけるか、そのどちらかだ。もしかしたら第三の方法があるのかもしれない。俺にはわからない。結局俺には耐えられなかった。だから――この仕事を選んだ。この仕事なら、誰かの心を守れると思ったからだ」
「誠二、あなたは純粋すぎるのよ」
俺の手に重ねられた彼女の手が強く俺の手を握る。
そうやって元気づけようとしてくれるくらい、今の俺は弱って見えるらしい。
「いや、ただ、馬鹿なんだろう。違うな、大馬鹿なんだろう。だが、どうやら俺にはこの仕事も向いてないらしい。だから潮時なのさ」
「引退? あなたが? 目の前で助けを叫ぶ誰かがいたら――例えデートの最中でも、恋人をほっぽって助けに行くような人が?」
「……。仕事より、大切な人ができたかもしれん。仕事を辞めて彼女と一緒になるよ」
「嘘……でしょ?」
珍しくジェーンが驚いたような声を出した。
俺は答えなかった。
代わりに優しく彼女の重ねられた手から自分の手を引きはがす。
「まぁ、そういうことだ。今までの調査でかかった経費と、わかったことはここにまとめてある」
俺は調査報告書をジェーンの前に置いた。
ジェーンはそれを見つめるが、手に取ろうとはしない。
「舐められたものね」
「何がだ?」
「あなた……何か掴んだんでしょう? それを、他に好きな女が出来たとか――」
「いや、本当だ」
またもや沈黙が帳を下す。俺が綾乃に本気なのは確かなことだ。ジェーンはどうもそれを信じられないようだが――俺を人の心のないロボットか何かと思っているのか?
俺とジェーンは長い付き合いだが、話している時は常に軽口を叩いていたものだ。
だが、今は軽口の代わりに沈黙を叩き合っている。
「そう」
長い静寂の後、ジェーンは資料を持つと事務所を出て行った。




