第十四話 黒猫とフランクフルト
午前零時
新西京六区 工場街 クラブ『ババ・ヤガ二号店』(リンクス)
その時は突然だった。
そばを茹でている時、一瞬目を離した隙に吹きこぼれる、そんな突発的悲劇。
「ああああああっ!」
理性の消し飛んだ叫び、誰かの悲鳴、肉の砕ける湿った音が、テンポの良いダンスミュージックの合間に差し込まれるノイズとなる。
俺はクラブの中を見回す。
さっきまで享楽の社交場と化していたその場は、今やスプラッタ映画の撮影現場になりつつあった。
数人の男女が信じられない怪力で周囲の人間を殴り――いや、挽き肉に変えている。
「やばっ、なにこれ!」
アークの体をまさぐっていた女は出口へと駆けだす。
「えっ、ちょっと……」
何が起きているか理解していないアーク。
「アーク! ぼけっとすんじゃねぇ!」
仕方ない。やりたくはないがアークをしゃきっとさせるため、俺は軽くアークを殴り飛ばす。
吹き飛んだアーク。鈍い音が響く。アークは壁に頭をぶつけてのびてしまった。
しまった。やりすぎたか……舌打ちしながら視線を戻す。
「ハーフエルフ? ハンブンニ、はんぶんにシナイと?」
そう言いながら一人の男が俺に向かって突っ込んでくる。
はっ、素人が――なっ、速――加速圧縮思考
危機を察知した俺は、自動的にスローモーションの世界に入る。それでも速い。
右の大ぶりのストレート。俺の今の体勢は油断しきって棒立ちだ。
本来は左前に――相手の右外側に出るべきなのだが――瞬時に戦術を構築。
世界が元の速さに戻る。
奴の右手ストレートが俺の顔面に炸――魔力を回す。右足の膝を抜く。瞬時に俺の体は右側にわずかに傾げ――奴のストレートが空を切る。
奴の体勢が崩れた一瞬に俺は右のボディブローをみぞおちに叩き込む。
軽い沈降勁しか載せる余裕は無かったが、これでこいつは行動不――
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
目の前の男は左手を大振りに、奴から見て左から右に振り回してくる。
くそっ! だから右側に出るのは――俺は自分の未熟を反省する間も無く左足を右側に――相手の殴りつけてくる方へと蹴り、自分から殴られに行く。
振り始めたばかりの相手の腕に当たった俺の体は――物凄い力でそのまま左側に吹き飛ばされる。
こいつ、なんだこの力!
背中に衝撃、机か椅子にぶつかったらしい。
「まだはんぶんになってないよなああああああああああああああああああ」
どうやら俺をバレーボールにするだけじゃあ、満足できなかったらしい。
即座に俺は立ち上がる。
アドレナリンのおかげか、まだたいした痛みは無い。
痛みが来る前にこいつを仕留めないと、俺は死ぬ。
だが、みぞおちへの攻撃が無効だった。
何故だ? まさか?
ふたたび馬鹿の一つ覚えの大ぶりの右ストレート。
素人すぎる。俺は軽くしゃがみながら今度こそ左斜め前へ一歩。
俺の頭上を轟音が通り過――右手の袖から掌に折り畳みナイフを滑り込ませ刃を展開。
奴がこちらを振り向――逆手に握った刃で奴の首を斬り裂き背後を駆け抜ける。
奴の首筋から血の噴水が派手に噴き上がった。
五メートル。
この距離ならなんとでもなる。
「なんでよけるんだよなんでだだあああああ?」
――五秒経過
そう言いながら一歩、二歩、俺に近寄ってくる。
俺は冷静に時間を数える。
――十秒経過
「今度こそ……お前をはん――」
――十五秒経過。
男はがくりと膝をつき、痙攣しだす。失血死だ。あばよ。
俺は確信する。こいつは麻薬過剰摂取暴走者だ。
つまり、このクラブに麻薬過剰摂取暴走者が突然大量に現れたってことか?
アークは?
伸びてる。あの分なら大丈夫だろう。
リーナス師匠は?
見当たらない。
不味い。誠二に知らせないと。
脳内でメッセ―ジを作成。
(誠二、やばい、早く来てくれ、こ)
そこまでメッセージを作成したときだった。
連続で銃声が響く。
俺は反射的に遮蔽を探し、先ほど俺がお世話になった机の影に飛び込む。
二階のVIP席に居たロシアンマフィア達が銃を撃ち込んでいるのは、まぎれもない、人の姿をした狼だった。
ワーウルフに撃ち込まれた銃痕から銃弾が零れ落ち、傷口が一瞬で塞がっていく。
馬鹿野郎が、銀の弾丸を何故用意していない。
どうする、二階はワーウルフ、一階は麻薬過剰摂取暴走者、俺一人じゃあどうしようもない。
(リーナス師匠! どこにいるんだ! 助けてくれ!)
***
(リーナス)
我は愚鈍なる若き女より奉納された貢ぎ物を堪能していた。
何やら騒がしいが、我はこの棒状の焼肉を楽しむのが先決である。
何しろ誠二が我に捧げる供物、その格はあまりにも低すぎる。
奴には天罰がそろそろ降る頃であろう。
尻尾に持った棒状の焼肉を口の前に持ってきて一口齧る。
おぉ、何ということだ、この肉汁、この|赤き果実を潰して作られた混ぜたソース《トマトケチャップ》と刺激物の混合物のコントラストが、我の味覚を楽しませる。
少しずつ楽しむとしよう。我は尻尾を口の前からまた背後へと戻す。
その時だった。我の尻尾に何かが落ちてきたのは。
……我に捧げられた供物は、吹き飛ばされてきた取るに足らぬサルの下敷きとなり、床の汚物まみれとなってしまった。
…………どういうことだ?
我は余りの怒りに――笑えてきた。
ふふふ、ははははは!
ここまで我を愚弄するとは……この店のクズどもめ、皆殺しにしても飽き足らぬ。
絶滅タイムだ。
神の怒りがどのようなものか、忘れ去って久しい愚民どもに見せてくれよう。
その時、我は哀れな子羊から届いた悲痛なメッセージに気づいた。
(助ける? 何をだ?)
(いや、状況をみてくださいよ!)
何を慌てておるのだ?
我は周囲を見回した。何も異常はない。
なぜ奴は狂気山脈に迷い込んだ遭難者のごとくうろたえておるのだ?
(ふむ。猿どもがいつものように殺し合っているだけではないか)
(それを止めに来たんだろ――じゃない、ですよ!?)
解せぬ。我は首をかしげる。
(だが我は今、我に捧げられた供物を穢されそれどころではないのである。わかるか、リンクス? 天罰を――)
(俺が後で幾らでも買うから!)
我が耳がピクリと動く。いくらでも……?
つまり棒状の焼肉を、我の腹を、際限なき欲望を、満たしきるまで食することが出来るということなのか……?
(しかたあるまい。何でも望みを言うが良い)
(一階で暴れている麻薬過剰摂取暴走者をどうにかしてくれ!)
我は周囲を見回す。
確かに五匹ほど暴れているサルがいる。
入口に殺到する愚民たち。
そこに五匹は突撃して愚民たちを文字通りばらばらにしていっておる。
そして逃げ惑う愚民に押されて倒れ、踏み潰される愚民。
滑稽なドミノ倒しではないか。
愚民しかおらぬのか?
そして我の尻尾が踏ま――――フギャアアアア!!
痛いではないか!
許せん……許さんぞサルどもが……!
(リンクス……我が合図したら耳をふさいで気をしっかり持つがいい)
(わかった)
我は閉じられた空に目をやる。あそこか。
地に我を縛り付ける重みなど我には無縁。天へと続くバベルの塔の階段を見いだした我は、軽やかに、それでいて優雅に愚民どもを睥睨する高台へと駆けのぼる。
そこにいた主はとうの昔に逃げ出したらしい。
この店に入った時から鳴り響いている気に食わない雑音を止めるべく、我は前足でスイッチを押す。
雑音が止まる。
そして我が気高き声を愚民たちに届ける伝達機に向かう。
(行くぞリンクス)
(わかった、りました)
「ニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
我が気高き――あまりにも美しき――しかし儚き叫び――儚くも永遠の叫びが、この愚者の楽園を包み込む。
ふっ、精々甘き夢に酔いしれるが良い。
しかし、流石の我といえどこの規模の幻術は負担が……喉に鉄の味を感じる。しかも伝達機による波長変換まで計算にいれねばならなんだ。魔力の消耗が激しい。眩暈がする。
***
(リンクス)
耳をふさいだ俺の手を貫いて、リーナス師匠の鳴き声――俺も初めて聞いた――が店中に響く。
瞬間、俺以外の全ての生物が動作を止める。
俺も一瞬、巨大なフランクフルトを食べる幻影に囚われる。
幻術?
俺は即座に棒立ちになった群衆をすり抜け、動かない麻薬過剰摂取暴走者へと走りこむ。
立ち尽くす麻薬過剰摂取暴走者の背後を走り抜けつつ足の腱を切断していく。
丁度最後の麻薬過剰摂取暴走者のアキレス腱を切断した瞬間――世界が動きを取り戻す。
僅か十秒にも満たない時間だが、俺にはぎりぎり間に合うだけの時間。
麻薬過剰摂取暴走者が倒れる。
いかに怪力、無痛の化け物といえど、足の腱が切断されては立てない。
パニックになった群衆は徐々に意識を取り戻し、入口から外へと逃げ出していく。
戦況を分析。
今の装備とダメージで、俺がワーウルフと単独で戦うのは無理だ。
リーナス師匠もこの大魔術、援護はもう期待できないだろう。
逃げの一手だ。
アークは……放っておいても死体と勘違いされて殺されるリスクは低いだろう。
逆にあそこで気絶させたのがラッキーだった。
(師匠、俺は一度外に――)
瞬間。
俺の目の前に二階から投げ飛ばされたロシアンマフィアの男が頭から地面に着地。
頭がスイカ割りのスイカのように砕け散る。
一瞬足を止めた俺の目の前。
二階から投げ捨てた男を追ってワーウルフが着地した。
なんだよ、俺は野良犬に好かれるタイプじゃないんだがな。




