第八話 老探偵は死なず、ただ歩くのみ
十二月十三日 十一時
新西京三区 大黒天通り 斎藤誠二探偵事務所
ソファでごろごろしながらスペンサーの『虚空』を読んでいた俺。
事務所にはリーナスと結衣がいる。
リーナスは今度は火星と地球が戦争するロボットアニメにはまっているらしい。
結衣は、一方的に俺に向かって話しかけ続けてくる。
読書の邪魔だ!!
「ちょっとせーちゃん! うちの話聞いてる?」
「聞いてる聞いてる。耳にタコができるくらい聞いてるって」
生返事をしているとトルネロからメッセージが届いた。
「来たか!!」
俺はソファーから跳ね起きた。
(お前の言う条件に該当している奴が一人いた、イワン・アレクシー。ロシア人、シェイプシフター、男性で登録されてる)
添付されているファイルを開く。
顔写真が展開された。
白い肌、茶色の長髪。茶色の犬科の瞳。彫りの深い顔立ち。
どことなく狼っぽい雰囲気を感じるが――成程、シェイプシフターと言っても人と見分けがつかんな。
「よし、イワンを見つけ出す」
そう言ったが……えーと、どうやろう?
うむ。ここは誠二ネットワークを活用するしかあるまい。
まずスクワッターのゲンさんに連絡を……情報屋にも顔写真を流してだな……
「セーちゃん、何が来たのー?」
結衣が寄ってくる。近い。俺のパーソナルスペースを侵犯するんじゃない。
俺はすっと二十センチほど距離を取りつつ解説する。
「あぁ。待っていた連絡が来たんだ。とりあえずこのイワンを見つけないといけない」
「ちょっと見してみ?」
そう言いながらしれっと寄ってくる。
そろそろ俺はパーソナルスペースの保持を諦めてきた。
「こいつだ」
「フーン。この人を見つけたいってこと?」
「そうだな。とりあえず第一容疑者ってやつだからな。俺のネットワークに頼んで――」
「そかそかー。そんなマジになんなくても、うちに任せとけば一瞬で優勝だから!」
「いや、素人は……」
結衣は勝手に俺のデスクに戻るとド派手なデコが施されたホロリンクを、まるで楽器でも奏でるような速さで叩き始めた。
俺の話を聞いてくれ……五分だけで良い……頼む……
あんなのは放っておこう。困るんだよなぁ~……素人が興味本位で首を突っ込んでくると。とりあえずスクワッターのネットワークを活用するか。しかし元手が……ジェーンに前金で半額支払わせるか? それだな。まずジェーンに交渉だ。というかこれは必要経費だよ。
その前に飯にするか。
アビシニアンで何か食べよう……しかたない、結衣にも何か食わせてやろう。
いや――貧乏な時に外食している余裕はない。
……頭の中で冷蔵庫の中を検索。よし、酸辣湯でも作るか。
葱を刻み、お湯を沸かして味噌ラーメンを茹でる。
すりおろしたニンニク少々も追加。溶き卵を茹であがる一分前に流し込む。
仕上げに、豆板醤とごま油少々、白ごま、お酢を入れて混ぜ、茹でたもやしを乗せて完成。
麺に酢を吸わせる方法もあるが、俺はスープに酢を入れる方が好みだ。
完成!
「結衣、昼飯だ」
「せーちゃん料理も上手ってまじ王子!!」
「いや、俺は王子ではなく私立探偵……」
「SNSに彼ぴが作ってくれた手料理ってアップしよ~♪」
「俺は君の彼氏ではない。やめるんだ」
いつものように俺の抗議は完全に無視される。哀しいね。
酸辣湯を美味しそうに食べる結衣が、何やら言い出した。
「からすっぱくて超絶うまい! マジで語彙力消えるわー……。あ、そうそうセーちゃん」
「何だ?」
この時俺は、どうせまた意味わからないことを言い出すのだろうと思っていた。
「見つかったよ」
「何が?」
「イワンさん」
百トンハンマーで殴られるより大きな衝撃を受けた俺は――箸を落とした。
「……えっ?」
「うちのフォロワーが見かけたって~」
馬鹿な。
俺はこれから裏社会のネットワークを総動員して、スクワッターに金を払って、情報屋に頭を下――それを……この女子大生は……SNSで……十五分で……解決した、だと?
馬鹿な――陽キャコミュ力お化けの女子大生ネットワークにこの俺が敗北する――だと? ありえん、何が起きている?
こいつはずぶの素人――俺は筋金入りの私立探偵なんだぞ?
そんな……馬鹿、な……
「……ちょ、セーちゃん? なんでガチ泣きしてんの? ぴえん超えてぱおんなんだけど!!」
「泣いてない……ただ、味付けが辛すぎただけだ……」
俺の私立探偵人生でここまでの完全敗北がかつてあっただろうか?
いや、ない。
いつの間にやら自分の酸辣湯を食べているリーナスが何やら言い出す。
「……ふむ。誠二よ。貴様の時代遅れの美学が、時代の濁流に飲み込まれる様は……実に、実に滑稽で愛おしいぞ」
なんだこの糞猫!!
もういい!!
こんな事務所にいられるか!!
俺は自分の部屋に帰らせてもらう!!
いや、そんなことを言っている場合じゃない。食べ終えたら俺はイワンを張り込みに行かねばならない……私立探偵は辛い。
十二月十三日 午後一時三十分
新西京六区 工場街
目撃情報のあった工場街に俺はやってきていた。
海に近いこの区画の道を走っている車の大半がトラックや社用車と思われるバンだ。工場勤務を終えた人達がまばらに市街地の方へ自転車をこいだり、自家用車で帰っていく姿も目に入る。
この時間帯ともなれば日差しもあり、それなりに暖かい。
風さえ無ければ。
もちろん、瀬戸内海に面している新西京の街で寒風が吹き止むことは無い。
……引っ越すか……いや、綾乃さんと離れるのは耐え難い……。
「なぁ雪風……俺は気付いたんだが」
「何ですか誠二」
「ここらへんで目撃情報があった。それは良い。だが――結局具体的に発見するのは俺の仕事――そういうことだよな?」
「良かったですね。あなたの存在意義がまだ多少は残っていて」
「嬉しくて震えてきたよ」
「では迷探偵お得意の推理をしてみてはどうでしょうか?」
「良いだろう。名探偵の推理を見せてやる。奴が正規の工場労働者の可能性は低い。CID記載の住所はダミーの可能性がある。つまり、この区画にある数少ない下宿やアパート周辺を探すべきだ」
「良くできました」
荷台に山盛りの資材を乗せたトラックが走り去るのを眺めつつ、どこまでも上から目線の雪風に俺は抗議の声を上げる。
「……いや、何か分かってました感出してるけどさぁ……本当にわかっていたのか?」
「当然です」
「じゃあ何で最初から言わないんだよ!」
「あなたがボケないためにですよ、誠二。これが人間のいうところの愛の鞭、ですね」
「お前が日本国民全員を個別サポートすれば認知症は過去のものとなるな」
「私は独立型AIです。あなた一人のサポートだけで手一杯です」
「人類の叡智を独り占めしているようで申し訳ないな」
「えぇ、私への感謝が圧倒的に不足しています。具体的にはまずアンダーテイカー・カスタムのメンテナンスは常にブラックスティール社指定の最高級ガンオイルを使用すること、次に私のチップを最新鋭の――」
俺は奴の寝言を無視することにした。
どうなっている?
この寒風が吹きつける中、俺は糞生意気な人工知能にお説教をされている。何の罰ゲームだ?
リーナスは相変わらず事務所だし。ずるい、ずるすぎる。俺も猫になりたい。
「で、身元不確かな人間にも貸してくれる不動産の中でイワンが居そうな――」
俺が雪風に指示を言い終える前にリストが送られてくる。
「既に竜造寺組がバックについている業者を優先的にピックアップし、彼等がこの区画で抑えている物件のリストを用意済みです。今そちらのARに一番効率的に回れるルートを重ねました」
左右を工場、真ん中に二車線の道路、そして道路の両側には歩道……その歩道を猛烈な風に削られながら歩く俺の視界に右折しろという矢印が表示される。
「……ありがとう」
俺の存在とは?
もう、五十嵐結衣が現役女子大生探偵になれば良いのでは……?
結衣アンド雪風、語呂も良い。
十二月十三日 午後二時三十分
新西京六区 工場街 汐海荘前
新西京六区、吹きさらしの海沿い。先ほどまでのでかい道路の走っているメインストリートから外れた場所。そこにその残骸は立っていた。
この手のアパートにつきものだが――汐海という耳障りの良い美しい言葉で飾ったところで――名前と外観の乖離はより惨めなものとなるばかりだ。このアパートも例外ではなかった。
かつては白かったであろう外壁は、長年の潮風と雨に灼かれ、今では病人の肌の方が綺麗に見える濁った灰色に変色している。建物の随所には、まるで古い切り傷が化膿したかのように、赤黒い鉄錆が浮き出ていた。
特に、二階へと続く鉄製の外階段は凄惨だ。手すりの根元は腐食して痩せ細り、一歩踏み出すたびに「ギィ……」と、この世の終わりを告げる。階段の下には、不法投棄された家電の死骸や、誰かがとうに投げ出したのであろうボロい自転車が、伸び放題の雑草に呑み込まれながら沈黙を守っている。
窓の多くには厚手のカーテンがかかっているか段ボールで塞がれていて、住人の気
配を巧妙に消している。
俺は表札を確認する。104号室『イワン・アレクシー』、ビンゴ。
偽名を使っているかと思ったが――まぁ使う必要もないか。
よくよく考えるとイワンを誰が追っている? という話だ。
奴は今のところは逃亡者ではなく、狩る側なのだから。
張り込み場所はどうするか――車を持ってきて車内で見張りたいが……ここだとな……俺は周囲の狭い道路、人通りの無い寂れた風景を見回す。
相手が相手だ……とりあえず風下で良い場所を探す。
風下にある電信柱の陰に位置取り。俺はアークに連絡する。
「どうしました誠二さん?」
「アーク。今から転送する住所の104号室をお前のドローンで見張ってほしい」
「流石新西京のホームズですね! 見つけたんですか!!」
なぜだ?
誰もが俺をホームズにしたがる。綾乃もそうだ。そういえば彼女は何の仕事をしているのだろう? 彼女は俺が私立探偵ということを知ったら喜ぶだろうか。それとも私立探偵小説好きの私立探偵なんて……と気持ち悪がられるだろうか。
「あぁ……だが、奴が確実にやった確証はない。だから今は見張るだけだ」
面倒くさいのでホームズではなくスペンサーと訂正するのは止めておいた。そもそも俺はほぼ何もしていないと言いたいが――今は時間が惜しい、決して安いプライドがそのことを告げるのを妨げたわけではない。
『もどかしいですね。わかりました!!』
「……アーク」
「何ですか?」
「実はな――」
黙っていられなかった俺は、結衣と雪風がほぼ見つけたことをぺらぺらと説明した。
「誠二さん!!」
「ま、そういうわけだ。すまないが、お前の言う名探偵なんてどこにも――」
「なんてこった……寒い時代ですね……」
「わかってくれるのか?」
「えぇ――ですが誠二さん、あなたの価値はこんなことではなく――」
アーク、お前こそが俺の最大の理解者だったのかもしれない。
「ああっ!? そんなことよりも!!」
そんなこと?
いや待てって、今この瞬間において俺の死にかけの自尊心を優しくフォローする以上に大切なことなど――
「どうしたアーク?」
「誠二さん!! 次の予告状が!!」
あったかもしれない。




