第七話 後悔
十二月十日 十時
新西京三区 大黒天通り 斎藤誠二探偵事務所(斎藤誠二)
俺はアーク、リンクスを呼びつけて会議を開くことにした。
俺は自分の机の椅子。アークは来客用ソファ。リンクスは入口扉の横の壁に腕組みをして寄りかかっている。
そしてなぜか呼んでもいないのに五十嵐結衣が俺の隣に立っていた。
……いや、これはこれで美人秘書を従えている有能な探偵とか何かそういうアレな感じがして良いかもしれん。
リーナスはいつもどおり、事務所のロッカーの上に寝そべって俺達を見下ろしている。相変わらず偉そうな猫だ。
「まず……前提を共有する」
俺は口を開いた。
「シェイプシフター、ライカンスロープ、ワーウルフ、この違いを説明するぞ」
俺は人差し指、中指、親指を順々に立てながら説明を開始。
「それ、違いがあったんですね」
青いパーカーに青いジーパンを履いているアークがそんなことを言う。
「だからそれを解説するんだろ」
いつもの擦り切れた緑色の軍用ジャケットに赤いマフラー、黒いジーンズのリンクスが突っ込みを入れた。
「まずこの三つとも、何らかの動物形態と人間形態を行き来する。これが基本だ」
「つまり――例えば狼のライカンスロープは人狼形態と人間形態にしかなれないと?」
「そうだアーク」
俺は頷いた。
「じゃあ人狼にも人虎にもなれるライカンスロープはいないのか――ですか?」
「それは解らん」
俺はリンクスに答える。
「何でだよ……ですか?」
「世界は広い。未発見のライカンスロープもいるかもしれん」
俺がそう答えた時だった。
「後は魔術の問題もある」
リーナスが高みから偉そうに講釈を始めた。
「例えば狼のライカンスロープの魔術師が虎への形態変化魔術を習得している場合……当然虎にも変身できる。大きさは一般的な虎より小さくなろうがな」
「成程。流石ですね先生」
何故だ?
リンクスは何故リーナス相手だとちゃんと敬語が出る?
「ふっ、もっと崇めるが良いぞ小僧」
「で、シェイプシフターは――動物が人間に変身できる種族――と言われている」
俺は後を継いで説明を続ける。
「えっ」
結衣とアークが驚きの声を漏らす。
俺は溜息混じりに続けた。
「実際、動物形態で過ごすことが多いらしい。学べば人間の言葉も割とすぐ習得するようだし、知能も人間並みにはある。だが、人権に関しては未整備だ」
「だから密売の標的になるんですね!! 許せません!!」
またアークの正義馬鹿が始まった……今回ばかりは俺も同感だが。
「ライカンスロープ、ワーウルフに関しては、人間がベース。そして変身後は獣人の姿になるのが基本だ。二足歩行しつつ、獣の膂力や反射神経、そして再生能力を得ると考えて良い」
「マジかよ誠二……さん。シェイプシフターに再生能力などは?」
「シェイプシフターは個体差があるらしい」
「成程――ですね」
リンクスはなぜ俺の時は敬語が――いや、まあいい。
「はいセーちゃん」
結衣がお茶を俺の前に置いてくれる。
頷いて一口飲んだ。
「じゃあライカンスロープ、ワーウルフは何が違うんですか?」
「良い質問だアーク。ライカンスロープは生まれつきだ。つまり一つの種族ともいえる。生物学的にはまだ結論は出ていないようだが。人間で産まれるのは間違いない。そしてワーウルフの方は――これは病気だ。吸血鬼と同じく、感染する。だから狩人によるハントの対象になる」
俺は再びお茶を飲む。ふむ、腕を挙げたな結衣。話を続ける。
「だからワーウルフ……まぁワーベアでも何でもいいが、と戦って傷をおったらちゃんと医者に行ってワクチンを打ってもらうこと。さもなければ次は自分が狩られる側になるかもしれん」
「でも変身出来たら強くなれるんですよね?」
アークが変身ヒーローに憧れる少年の瞳をしている。やれやれ。
「ワーウルフは月の満ち欠けで凶暴性が増すらしい。満月時には暴走して人を襲って食い殺すことも多い。だから刈られる。ライカンスロープも似たような問題を抱えているが、ワーウルフほどではないし、薬で一応ある程度はコントロールできるから許されている。ワーウルフも薬でコントロールできないことはないらしいが、感染するからな。結局狩られるので臨床データがほぼない」
「そうですか……」
アークがわかりやすく落ち込む。
「そんな簡単にパワーアップはできないってことだ。以上、質問は?」
リンクスが口を開いた。
「ワーウルフやライカンスロープの再生能力、どう対処すれば良いん……ですか?」
「基本的には銀コーティングされた近接武器だな。銀の銃弾はライフリングの無い銃でしか使えんしバカ高いと色々問題がある」
「じゃあ僕なんかどうしたら良いんですか!!」
「アーク……機手はワーウルフと戦うな。もしくはショットガンに銀のスラッグ弾をつめたドローンなら戦えなくはないだろう」
「用意しておきます!!」
ふっ――そう言っていられるのも今のうちだ――銀の弾丸の高さを見て腰を抜かすがいい。
「じゃあせーちゃん。この間のペットショップの事件は誰がやったの?」
結衣が本質的な質問をしてくる。
それはな……俺が知りたい。
「だから困っているんだ。監視カメラに映っていたのは人狼。つまりワーウルフかライカンスロープ。だが居なかった。警察の見解ではそれこそ形態変化魔術を習得しているワーウルフの線で調査を進めるみたいだが」
俺でもそうするだろうな。一番無難な線だ。
「じゃあすぐに捕まるんじゃないですか?」
「ワーウルフは存在が非合法だからな。そもそも探すにしても大変なんだ。まぁそっちは警察に任せよう」
「ならうちらは何するの?」
結衣……何故お前がやる気を出している?
「俺はシェイプシフターを追う」
「成程。シェイプシフターの形態変化魔術を習得している奴を見つけるのか――ですか?」
リンクスの質問に対し、リーナスが口を挟んだ。
「リンクス。シェイプシフターが形態変化魔術を使って獣人形態になってもワーウルフのような再生能力や怪力は発揮できぬのだぞ」
「そうなんですかリーナス先生?」
「じゃあ何でシェイプシフターを追うんですか!!」
アークは元気も良く、ちゃんと俺に敬語を使えるので好きになってきた。
なんかいちいち喧嘩ごしにもみえるが。
「だって……警察がワーウルフを追うなら俺達は違うの追うべきじゃん?」
アーク、リンクス、結衣がこける。
「まぁ待て。そしてもう一つ。今回の事件は明らかに怨恨だ。となるとヴォルコフどもが行っているシェイプシフター狩りの被害者と考えるのが妥当だろう。つまり、ロシアからこちらに入国したシェイプシフターをとりあえず追う」
もっとも――馬鹿正直に入国していれば、の話だが。
「雪風」
「何でしょうか誠二」
「お前は正規の入国をしてきたシェイプシフターのデータを当たってくれ」
「解りました。先に警告しておきますが、空振りすると思います」
「それでも可能性を潰しておく必要がある」
「論理的ですね。ではとりかかります」
次だ――俺はトルネロに通話をかけた。
通話に出たのはヒューマンの男。五十代、褐色の肌、豊かな肥満体型に、見事なまでに磨き上げられた禿頭。白いダブルのスーツを纏ったその男は、新西京の裏側を繋ぐ仲介屋だ。
「俺だ」
「よぉ誠二!! 貧乏しとるか?」
くっ――切ってやりたいが今は俺の方が立場が下だ――心のいつか覚えてろよノートにこの暴言を書き加えておく。
「まぁぼちぼちだな。少し聞きたいんだが……」
「なんじゃ? ゆうておくがわしは今大変忙し――」
トルネロのやつ、早くも警戒モードで心の核シェルターに逃げ込み始めやがった。
「今街を騒がせている連続猟奇殺人事件の件なんだが」
「おぉ、あれか! わしゃあ恐ろしくて恐ろしくて体重が三キロも瘦せてしまったわい」
ならよかったじゃねぇか……といいたいが黙っておく。そして絶対に痩せていない。
「あぁ、やつれてしまったな……俺は心配だよ。で、あんたの健康のためにもちょっとその事件を解決しようかなと」
「おぉ! そうか!! ブルーローズの時といい、やっぱりいざというとき新西京を救うのはお前じゃな誠二!! じゃ、頑張れよ」
トルネロの野郎――やはり面倒ごとか。関わらんとこって顔をして切ろうとする。
「おい待てよおっさん」
「誰がおっさ――」
ここは貸しを回収しておく。
「この間の事件――空売りでだいぶ儲けたらしいじゃないか? 誰のおかげだ?」
「それは言いがか――」
こいつの反論を聞いている暇はあるがない。一気に畳みかける。
「ロシアから来た奴でCIDを手配しなかったか? もしくはロシア系の人間とかシェイプシフターにCIDを手配するという話をきいたことは?」
「CIDを取り扱える奴なんてそれなりにおるじゃろうが」
「だからちょろっと探ってほしいんだよ。ね?」
「いやいや、そんなのわしには――」
「ここだけの話だが……警察が……事件解決に繋がる情報提供者に賞金を出すという話がある。もし、その情報で犯人に結び付いたなら、お前にやる」
「しょうがないのぉ!! ちょっとだけだぞ!!」
「あぁ、任せたよ」
ふざけんなよてめぇと言いたいが黙っておく。なぜなら賞金の話はいまのところ完全に真っ赤な嘘だからだ。
通話を切るとアークと結衣が俺を質問攻めにしてきた。
「ブルーローズのときってなんですか誠二さん!!」
「せーちゃん!! あーしに隠し事? 何!? 新西京救っちゃってたの? やっぱ救世主ってこと?」
トルネロの野郎……いらないことをいうから……覚えてろよ……
「あーもう、解散!! 解散だ!!」
「誠二……さん。ちょっと待ってくれ」
リンクスが声を挙げる。
「どうした? 健康診断結果で不治の病でも見つかったのか?」
「見つかってねーよ!!」
そう言いつつリンクスが懐から取り出した健診結果のプリントを押し付けてくる。
今時紙かよ――手に取って眺める。ふむ、確かに問題はなさそうだな。
Mという署名がある。俺の鋭い観察眼は、両端が跳ねていて特徴的な筆致であることを見逃さなかった。
「M?」
「あぁ、森先生って言うんだ――じゃなくて、結局俺達は何をすれば良いんだ――ですか?」
「……今は動けない。装備を整えて準備しておけ」
またもやアーク、リンクス、結衣がこける。
十二月十一日 十三時
新西京三区 大黒天通り 斎藤誠二探偵事務所
我という至高の存在は、形容しがたい退屈の極致に囚われていた。
我は見すぼらしい小汚い小屋を逍遥しながら、我が世にも美しき漆黒の毛並みを整える。
視線を転じれば、忌まわしき肉の塊――誠二と名付けられた男が、冒涜的なまでの怠惰を晒し、古びた寝台の上で正気とは思えぬ夢を貪っておる。
何という醜悪なる停滞か。卑しき肉体労働の対価として、辛うじて存在を許されている分際でありながら、その義務さえも忘却の深淵へ投げ捨てた下等生物に、果たして宇宙が定める生の権利など残されているのか?
否……断じて否。
その点、我はただそこに顕現しているだけで、混沌たるこの世界に空の静寂をもたらす超然たる神格である。
我は見捨てられた猿を無視し、何か別の深淵なる娯楽を求めていた。
その時――扉の向こうから、運命に呪われた哀れな生贄、マガミが姿を現した。
マガミはいつものように不要な礼儀――礼儀とは我にだけ捧げるべき供物であり、誠二には無駄の極みでしかない――を誠二に発揮し、話しかけた。
「あのー誠二さん、お願いがあるのですが」
誠二は寝ていたのをごまかしながらソファから身を起こした。
「あぁ、マガミか……改まって何だ?」
「俺を鍛えて欲しいんです!!」
おお、何という滑稽な叫びか。何ゆえ、我という完全なる知性ではなく、あの愚鈍なる猿に救いを求めるのか……真に審美眼を欠いた、見込みの無き稚児よ。
「何故だ? 悪いが俺は私立探偵であってストリートギャング用の道場を開いているわけではないんだが」
「じゃあ何でリンクスを鍛えたんですか?」
「あれはたまたま……成り行きだよ」
「俺は一応リーダーです。リンクスに負けていられないんです。お願いします」
「礼儀正しいのは良いことだが……俺が思うリーダーというのはそもそも強い事ではない」
奴は何を喚いているのだ。最強の捕食者こそが、群れの頂点に君臨すべきではないのか。マガミよりなおも暗愚とは、救いようのない絶望的な個体よ。
「じゃあリーダーは何をすれば?」
「リーダーの仕事は皆の代わりに判断をくだし、こいつならできると信じて仕事を任せる、その仕事が上手くいかなかったときは仕事を任せられた奴ではなく、こいつならできると判断した自分がその失敗の責任の多くを背負う。それがリーダーの役割だ。どうもそこらへんを理解していない自称リーダーが多いようだが」
我は奴の垂れ流す狂気の戯言に耳を疑った。
何たる事か……指導者がそのような、損のみ引き受ける生贄の祭司であるならば、正気を持つ者は誰もその座を望まぬわ!
ニュースでやっておる。
政治家は己の失策を棚に挙げて何度でも汚職を繰り返し、何度でも選挙に出ておる。
奴の垂れ流すリーダー論など、現実と比べれば欺瞞と虚無の極みであることは一目瞭然であった。
「でもストリートギャングでは違います」
「リンクスが君より自分の方が腕がたつからといって、君をないがしろにするのか? もしそうなら俺がぶっ飛ばしておいてやる」
「いえ、そんなことはありません。彼は今でも俺をよく立ててくれています」
「ならそれは君のくだらん自尊心に過ぎない。そんなに強くあることが大切か?」
誠二の垂れ流す寝言に耐えられなくなったのであろう。
ついにマガミはくってかかった。
当然の反応と言えよう。
「大切ですよ……! 考えてみてもくださいよ! 今まで俺が面倒見ていた後輩がいて! 俺が糞どもに誘拐されて! その後輩が半月後に助けに来てくれたら、その時にはもう手の届かないところにいたら……俺は――俺は、どうしろって言うんですか!! あいつが強くなったのは嬉しい。でも、でも俺はあいつの前にいてやらなきゃ――」
マガミの世界を滅ぼさんとする悲痛な叫び。
だが、人の心など生まれてこの方持ち合わせてこなかったのだろう――誠二は北極の深海よりも冷たき断絶の言葉を放った。
「だからその固定概念を捨てることだ」
「結局俺に才能が無いから……リンクスは才能があったから……俺だって、俺だってアンダーになりたいんです!」
「おいおい、それを言うなら俺だって無能力者だぞ。そしてアンダーなんてなるもんじゃない。そんなものに憧れるな。アンダーなんてもんはな、クソだ」
誠二の声色に微かな怒りの色が滲む。アンダーに憧れるガンダム坊やが聞いたら気が狂いそうなことを奴は平然と抜かした。
「なら俺も改造を――」
「改造費は馬鹿にならん。そんな金があるならその金で幸せに暮らした方が良い。結局、君は強くなるのが目的なのか、それとも皆で幸せに暮らすのが目的なのか? 強くなるのは手段にすぎないはずだ。それが目的にすり替わるのは危険なことだ」
「仰る通りです……解りました……」
マガミは、まるで魂を吸い取られた亡霊の如く、ふらふらと去って行く。
だが、この我が貧相な聖域から出て行く際、いつもの丁重な礼をすることは忘れなかった。
感心なやつではあるが……その後ろ姿は、雨に打たれる子犬よりも惨めであった。
「おい、誠二。もう少し慈愛に満ちた言霊を授けてやれぬのか?」
我は誠二のあまりの冷徹さに、教えを説くことにした。
「そうは言うがなリーナス……そもそも殺し合いの技術なんて使わない環境に行くのが一番良いんだよ」
この男はまたもや訳のわからぬ世迷言を垂れ流し始める。
「そうもいかぬのが、彼ら宿命に囚われし者たちであろう」
「リンクスがどうにかするだろう」
「リンクスは早熟な知性を有しているが――その本質は、未だ幼き子羊よ」
馬鹿が考え込む。
やれやれ、この男が多少考えたところでたいした知恵は出ぬというのに。
そろそろ己のことを自覚するべきである。
「それもそうなんだが……とはいうものの会うストリートチルドレンを全員鍛えて行くわけにもいかんだろう」
「しかし、貴様のその無用かつ難解な心遣い、恐らく奴に伝わってはおらぬぞ」
我は優しく奴の盲点を指摘してやった。
おぉ、何という寛大な心であることか!
「……。そうだな。良くなかったかもしれないな。次に来たら面倒だがあいつも個別に鍛えるか……」
我が的確な指導が実を結び、この愚かなる誠二はついに慈愛の心を会得したのである。我は次の話題に移ることにした。
「で、貴様は何故ここで無為に肉体を横たえておるのだ? 我は退屈という名の狂気に呑まれそうだ。速やかに、調査という名の探索へと赴くべきである」
もちろん、張り込みという時間の悪戯な浪費でしかない徒労に付き合う気は我にはない。特にこの寒さの中では。
「あのね……俺だって好きでゴロゴロしている訳じゃあないんだよ!!」
「ならば、映画館という名の幻灯機が回る場所へ行こうではないか」
「行かねーよ」
そしてまたもや、誠二は夢幻の彼方へと意識を沈め始めたのである。
何という、人知を超えた不敬なる猿よ。




